見出し画像

WOMAN Life Style & Career Interview|朴淑慧さん<前編>

女性の自分らしい生き方を応援するための、ライフスタイルとキャリアをテーマにしたインタビューブログ。
今回は、憧れのマスコミ業界への就活に大失敗した朴淑慧さんが、自分の夢を叶えたお話しを伺いました。深夜遅くまで、徹夜の日々ですら、仕事が楽しかった朴さんですが、妊娠や出産がこれからの働き方を考えるきっかけになったそうです。そして、大切にしていた価値観さえも変化していったとか。
朴さんがどのように自分らしい生き方を見つけていったのか、ぜひご覧ください。夢を叶えた話を前編で、妊娠・出産を機に働き方を見直した話を後編で紹介します。

朴さんの紹介

Q出身地
神戸
Q幼少期のエピソード
陽キャラ演じてたけど実はうじうじ系
Q学生時代に熱中したこと
哲学にハマり、サルトルやハイデガーとか読む。

画像1

マスコミ志望の就活に大失敗

ーーマスコミを志望された理由や、就職活動について教えてください。

大学時代に芸能プロダクションでアルバイトをしていて、ファンクラブの企画や会報を作るのが楽しかったんです。その経験から、自分で何かを企画して、世の中に広めることがやりたいと思っていたので、出版やマスコミ業界に興味がありました。

就職活動はマスコミ業界でも知名度の高い大手企業だけに絞りました。電通、博報堂など知名度や大手企業にこだわりがあったのは、有名企業に入って仕事をするということに、ステータスを感じていたからです。知名度のある企業に入り、仕事ができる人になり、成功したいと考えていました。

結局、エントリーしたすべての企業で不採用となりました。泣きながら母親に電話をしたので、心配した母親がすぐに上京してくれました。アパートの玄関前で母親に抱きついて、泣いたのを思えています。

半導体の商社で法人営業として採用され、仕事をすることになりましたが、やはりどこかやりたいことと違うという想いが残っていました。

夢の広告制作会社への転職に成功

ーー夢を諦めず、叶えることができた経緯を聞かせてください。

新入社員で入社した会社で1年半ほど、働きましたが、やっぱりマスコミ業界への憧れが捨てきれず、プランナーズスクールに通うことにしました。プランナーズスクールで優秀賞を受賞することができ、そのまま広告制作会社に転職することができました。本当にうれしかったです。

広告制作会社では企画部に所属して、クライアントが新商品を出すときの企画やプロモーションを考える仕事に就くことができました。仕事はかなりタフで、毎日深夜2~3時に帰宅したり、お風呂に2~3日入れないことも頻繁にありました。上司からのフィードバックもめちゃくちゃ厳しかったです。

でも、仕事の大変さよりも、企画する仕事自体が楽しく、テレビで取り上げられたり、自分の仕事を広く知ってもらえることにモチベーションが湧いてきていました。特に大規模な金額のコンペ案件も多く、準備や企画は大変でしたが、コンペに勝った時の達成感は本当に気持ちよく、うれしかったです。

入社5年目でステップアップ転職

ーー新卒の就活で不採用になった大手広告企業にも転職されたんですね。

入社した時から5年働いて30歳になる前に、もっとステップアップしたいと考えていました。よりクライアントに近い距離で課題を解決できるようなポジションや仕事をしたいと思っていました。あと、やっぱり広告業界で最大手の電通や博報堂で働いている人と仕事をする機会が刺激的だったので、そういった環境に身を置きたいと考えていました。

所属していた会社では、電通や博報堂への転職はタブーとされていたので、転職へのハードルがありました。でも、転職したいという気持ちが強かったので、社長に直談判して転職活動をすることの許しをもらいました。

5年間東京でほとんどプライベートのない仕事のみの生活を続けていて、このまま東京で働いていくのはつらいとも思っていました。なので、博報堂関西支社にエントリーし、実家に戻りたいという気持ちも強かったです。

憧れの博報堂に転職することができ、仕事も本当に楽しかったです。様々なプロジェクトにも参加させてもらうことができ、これこそ天職だと思いながら仕事をする日々を送りました。

本社異動で馴染めず仕事が0に

ーー本社異動って栄転のイメージがありますが、腐った?!腐ったってどういうことですか!?

関東に住む方と結婚をすることになり、博報堂本社に異動になりました。異動に伴い、プロモーション職からマーケティング調査職へ変わりました。これまで携わってきたプロモーション企画のアイディア出しの仕事はなく、市場調査のリサーチやデータ分析が仕事内容でした。これまでの経験もないため、知識も浅く、仕事が全くできませんでした。

広告業界では成果を出す人に仕事が集中するため、何もできない私は仕事が0になりました。出社しても仕事がないため、早めに帰宅するような日々でした。とても惨めな気持ちでした。

プロモーションチームに拾われて起死回生へ

ーー腐ってしまった朴さんがどうやって調子を戻していったんですか?

そんな時、本当に偶然なんですけど、隣のプロモーションチームの部長に「腐ってるくらいなら、うちに来い」と声をかけてもらったんです。本当に「拾われた」という言葉がピッタリでした。

マーケティング調査の仕事とプロモーション企画の仕事のどちらも担当することができるようになりました。徐々にマーケティング調査の仕事の面白さも分かってきて、調子も上がりました。

そんな頃に第一子の妊娠が分かりました。広告業界の仕事は本当に楽しく、大好きだったので、妊娠中でも深夜2時頃まで仕事をするような働き方を続けていました。ただ、出産後も同じような働き方をしていくのか?このままでいいのか?そんな疑問が少しずつ芽生えていました。

ーー妊娠をきっかけに、今の働き方を続けていくことに疑問を頂いた朴さん。出産を機にどんなキャリアを選択したのか、、、後編でお楽しみください。

インタビュアー自己紹介

池上朋子
育休スクラをはじめ女性のキャリアを応援するサービスのマネージャーをしています。2018年に結婚を機に浜松に移住し、NOKIOOに入社しました。2019年4月産休取得、2020年1月半育休半復帰、2020年5月フルタイムで復帰してます。1歳の息子を育てながら、子育てと仕事の両立生活を楽しんでいます。とにかく息子がかわいい。
Twitter|https://twitter.com/tomoko_ikegami

朴さんが卒業、そして講師としても活躍する『育休スクラ』が気になる方はこちらをご覧ください。