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宮古島探訪記、2「龍の肚の中で」


パチャビーチの出来事は
希望をもたらしたが、
同時に困惑ももたらした。


<詳細は探訪記の1を参照>


何を、何から、始めたらいいか?

という問いがすぐさま
自分に跳ね返ってきたからだ。

やるべきことは膨大であり、
かつ、また混沌としてもいる。

私は宮古島出身者ではあるが、
住んでいるわけではない。

島から東京に出て20年。

宮古は私にとってなじみ深いが、
同時によそよそしい場所にもなった。

42歳。

ちなみに、西洋占星術では、
人が地球のために何かしたい
と感じるのは、この頃らしい。

私自身の時の流れが私を
島(故郷)に呼んだのか。

そうだという感覚はあるし、
先月に来たときにも感じた。

だが、別の理由があったことが
2日目にわかった。


朝、行き先を聞いたとき、
ピンとくるものがあった。

向かう先と設定されたのが
伊良部島だったからだ。

その美しい海岸は
ダイバーたちの聖地。

精神世界では知る人ぞ知る
海神の宮、龍宮でもある。

一方で、私にとってここは
祖母の生まれた場所。

祖母は、私の今の仕事、
ハーバリストの活動の
根底に関わる人物である。

話の本筋に関わるので
少し祖母の話をさせてほしい。

祖母の父は、長崎で
西洋医術を学んだ。

宮古島で初めての西洋の医者。
「医者ぬ屋」と呼ばれ
当時、富貴を極めた。

祖母の兄は、3人いる。

長男は劇団を組織し、
方言辞典を作る。

次男はカント哲学を大学で教える。

三男は京都学派の研究と教育に関わる。


祖母は、彼らとは腹違いの子で
伊良部島の「神人」の娘だった。

ご存知の方も多いと思うが、
神事をするのは沖縄では女性。

神職になるのは、そう珍しくない。

その血を継いだ祖母は
相模女子大で栄養学を学び、

帰郷し、教員となり、
5人の子供と旦那を
女手一つで育てた。

先述の祖父は師範学校を卒業後、
宮古島群島政府の官房長官になった。

だが、メンタルが弱く
アル中となり、祖母に扶養された。


私はそんな彼女の晩年を見てきた。

長く話すことはここではできないが
私は人類で最も祖母を尊敬している。


実際、彼女を知る人の全員が、
こういって同意するほどの
人格者だった。


華奢で無口で寡黙だったが、
活動的でパワフルだった。


彼女が75歳のとき、
薬草茶を作って販売した。


そのハーブティを販売するために
PCを購入し、操作もしていた。


「コンピュータおばあちゃん」
というYMOの曲があったが、

それは彼女のことではないか
と思ったほどだ。


彼女のハーブティは、当時、
大人気で、私もよく飲んだ。


7つのハーブのブレンド、
伊良部の伝統的なレシピ
とのことだった。


ここで一度話を止めよう。


そう、私がハーブの研究と事業は、
彼女の意思を引き継いだものだ。


そして、本格的に開始した
きっかけは何を隠そう


祖母が枕元にたったことだ。


突然、さりげなく、
スピリチュアルな話をしているが、
許してほしい。


今まで継続してきた事業をたたみ、
方向を変えるのには勇気がいる。


どうなるか、わからない
新しいことに踏み出すには、
何かの後押しが必要だ。


そんなとき、祖母が
急に夢で枕元に立った。


生前と同じく寡黙で
何も喋らないでニコニコ
私を見ているだけだった。


ただ、それは、すなわち、
促しているのだと、悟った。


数年前、私の岐路に立ち、
後押ししたのは祖母なのだ。


そうしたこともあって
祖母の生まれた伊良部に渡ることは
今の私には特別な意味があった。


伊良部に渡る橋を通りながら
なぜ、私はここに連れてこられたのか?


何かの試験なのか、と考えるのは
大げさだろうが、その可能性が
頭をよぎっていった。


さて、伊良部島は
宮古島の周辺の7つの島でも
別格の神格をもつ。


研究者によれば伊良部島を
龍宮城と言う人もいるぐらいだ。


事実、伊良部島は、
全体が龍の形態を持つ。

それに、ちなんだ
御嶽が多数ある。


有名なのは、なべ底。

海と直接つながった神秘的洞窟で、
龍の子宮とも称される。

全国各地から不治の病の人が訪れ、
その場で身を浄化し、治癒をする。

日本の龍神は、主に
川、海、滝に祀られている。

その水は人に命を与え、
運命の流れを増大させもする。


今回、行ったのは
龍がいるヌドゥクビアブ。


ヌドゥクビ=ノドクビ=喉首
アブは、洞窟

龍の喉首の洞窟である。


つまりは、
龍の胎内への入り口。


伊良部島でも、最も
神聖な場所の一つ。

私が受験に2度も失敗したときは、
祖母と伊良部島までフェリーで行き、
その加護を祈ってもらった。


それ以来だから20年ぶりの再訪だ。


20年前は関係者以外が
立ち入ってはいけない
禁足地の一つであった。


しかし、最近は観光地化され、
人気のパワースポットとなり、
誰でも入ることができるようになった。


まさか、ここに来ることになる
とは、思わなかったし、


実は、内心、怖い思いをした。


こうした御嶽はかつては
限られた女性しか入れなかった。


聖地にどやどやと大勢の
人々を連れて行くのは、
憚れるところがあった。


今やインスタ映えする
パワースポットではある。


しかし、かつては別の意味での
パワースポットだった。


それ知る人間が知らないふりして
足を踏み入れるのは、祖霊に
申し訳が立たないというものだ。


そこで、私は、ヌドゥクビアブの
地下へと降りながら


日本の未来を動かす
女性たちの先導をしにきたと
念じていた。

それは事実であるし、

そういう役目をせよ
というお達しかもしれない。


さて、先に、ここは別の意味での
パワースポットだった、と言った。


どういう意味か?


伊良部には少なくとも800年は
途切れず、続けられている
ユークイ祭りがある。


「宮古の伊良部島佐良浜では〈ユークイ(世乞)〉
という豊年祈願祭が行われ,神女たちを中心に
村の婦人たちがみな参加し,各拝所を踊りながら
健康と豊漁を祈願して歩く」(平凡社、世界大百科事典)

その神事に際して
神女たちは身を清める。


洞窟内で、瞑想をし、断食などもし、
神と繋がるために、自己治癒をする。


豊年祈願のリーダー
神女としての使命を果たすため
禊のために籠る洞窟。

そうした形で、沖縄の
洞窟(ガマ)は使われることもある。


洞窟は防空壕として使われたと
戦後は説明されることが多いが
それだけにとどまらない。


世の豊穣、陽の気の放出のために、
陰の気の充電をする場である。


神女として選ばれた女性は、
月の神と洞窟に飲まず食わずで
籠り、霊性を獲得する。


その場の中でも、高位の場が
ヌドゥクビアブである。


ちなみに、神話論的に言うなら、
「冥府下り」の場所。


日本のイザナミや
インドのシヴァ神
バッカスのディオニュソス


新しい世の到来を人々が望むとき、
破壊と再生の、陰の装置が働く。


私のハーブファスティングは、
この陰陽の原理に基いて作られる。

ハーブファスティングは
もともと修道女の断食だ。

だから沖縄の神人の断食も
私の中では意識はしていた。


ただ、頭でわかることと
現地で体感することは違う。


洞窟がどこまでも静謐なことを
思い知らされた。


静かでひんやりとして、
私たちを優しく包みこむ。


自然と一体になりながら
陰の中で休むこと。


言葉で説明するのは難しい。


言語化しずらいものがあるが、
その点ご了承いただきたい。


洞窟の中で、ふと、なぜだか、
私を、この場に、呼んだのは、
祖母かもしれないと思った。


その何かを孫に伝えるために。


無口な祖母らしく、風や音など
明確なサインはくれなかった。


だが、洞窟を出た時、雲は
晴れでもなく曇りでもない
寡黙な表情をしていた。


祖母が私を呼んだと確信した。


天国で応援してくれていると思うと、
心から嬉しかった。


ありがとう。


その後、一同は、
市街地に向かう。


夕飯前に外所さんプロデュースの
お土産屋さんに行く。


すると、貼ってあるポスターの
ある名前が目に入った。


FAT DJ KAZYA


KAZYAは、世界に多数いるが、
FAT DJは、一人しかいない。


つづく。

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