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吉村昭『戦艦武蔵』

私は、沢木耕太郎という作家が好きなのだが、先日、沢木さんの次のような文章を読んだ。

 文化講演会は二人か三人が一組で行くことになっている。その宮城の文化講演会は、吉村氏がメイン・スピーカーであり、その前座に誰をつけようかということだったらしい。それについて、吉村氏が私の名を挙げてくれたということのようだった。
 私は吉村氏とは面識がなかったが、『戦艦武蔵』という傑作を書いた先達として、深い尊敬の念を抱いているということは文章に書いていた。恐らくは、それを眼にしてくれていたのだろう。

(沢木耕太郎『旅のつばくろ』P.14、新潮社、2020年)


私は、ノンフィクションの名手として知られる沢木耕太郎が激賞する作品とは、一体どんなものなのか、と気になった。『戦艦武蔵』というタイトルから察するに、太平洋戦争を題材としたノンフィクションのようだ。

沢木さんが『戦艦武蔵』を絶賛したという文章は発見できず、その絶賛の程はうかがい知れなかったが、それを知りたければ『戦艦武蔵』を読むのが手っ取り早いだろう、と思った。

読書感想文を読むよりは、元の作品を読んだほうが断然良い、が私のモットーであるし、読めば沢木さんの気持ちもなんとなくわかるかもしれない、と思ったからだ。

そこで早速、図書館から借りてきた。

冒頭2行目

 その頃、九州の漁業界に異変が起っていた。
 初め、人々は、その異変に気づかなかった。が、それは、すでに半年近くも前からはじまっていたことで、ひそかに、しかしかなりの速さで九州一円の漁業界にひろがっていた。
 初めに棕櫚(しゅろ)の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔(のり)養殖業者たちであった。

(吉村昭「戦艦武蔵」、『吉村昭自選作品集 第二巻』P.7、新潮社、1990年)


「えっ、漁業界? 棕櫚の繊維? 海苔養殖業者?」

私は面喰らった。
1行目で昭和12年時点の中国での戦況が示されたあと、すぐに戦艦の話になると思っていたからだ。

しかし私は、棕櫚の繊維が消えたというミステリー風の話にどんどん引き込まれてゆく。

 その頃になると、ようやく異変の実体がおぼろげながらつかめるようになった。それは、春も終わりに近い頃からはじまった現象で、多くの集荷商人たちが、九州の棕櫚の産地に放たれていた。かれらは、相場以上の金額を示して、まるで野鼠の群れが食物をあさるように棕櫚の繊維を買いあさりまわったというのである。そして、かれらを動かしたのは、見知らぬ数人の男たちで、集荷商人たちが集めてきたものを、その度に即金で買い上げたという。
 男たちは、棕櫚の繊維をすぐに梱包させてトラックに積み込ませたが、それがどこに発送されたのかは一切不明で、ただ男たちが漁具にはほとんど知識のない、あきらかに素人たちばかりであることがわかっただけであった。

(同上、P.8)

ここへきてようやく、棕櫚の繊維は戦艦と関係のあることかもしれない、というヒントが読者に提示される。

そして、集められた500トンの棕櫚の繊維は、大阪で作られた製縄機とともに、三菱重工長崎造船所に搬送されたことが明かされ、そこから物語が展開してゆく……。

驚くべき書き出しに、私は舌を巻いてしまった。


どんな本か

この本は、単なる事実の羅列ではない。ノンフィクション風でもあり、ミステリー風でもある。
作者の入念な調査と、巧みな構成、創意工夫によって作られた、“事実を下敷きにしたフィクション”とも言うべき作品である。

題材は、世界最大級の戦艦「武蔵」
「武蔵」は同型艦の「大和」とともに、徹底した秘密管理の下に建造された。国際情勢が悪化していく中、諸外国にそのスペックを悟られないようにするためである。

「武蔵」の建造は機密保持のため、長崎市民の目からも隠され、それどころか造船所の所員にも艦の全容は明かされなかった。冒頭に出てきた棕櫚の繊維の使い道さえも秘密であった。

そんな中でも、日本の命運が自分たちの腕にかかっているのだという使命を帯びた作業員たちは、さまざまな困難に立ち向かいながら、連日連夜、「武蔵」の建造を進めていく。近い将来起こりうる、洋上の艦隊決戦に向けて。

しかし、その異様なまでの執着とエネルギーをつぎ込まれて作られた「武蔵」は、完成してからほとんど一度も活躍することなく、敵機の空襲により撃沈してしまう。

この本は、「武蔵」の建造からその悲惨な最期までを、生存者の証言などをもとに克明に記している。


読後

読み終わった後、私は、

「なんてことだ……」

と3回つぶやいた。


それ以外、しばらく言葉が出てこなかったのだ。

この本は、戦争オタクたちや兵器オタクたちが好んで読む戦史ものとは一線を画している。戦艦や兵器に対する憧れのようなものは一切描かれていない
むしろ、敵を打ち負かすことを是とし、それに憧れさえ抱かせる、戦争というものの「いびつさ」への批判に満ちている。

吉村氏自身、次のように述べている。

 私は、戦争を背景とした作品を幾つか書いてきた。戦争に強い関心をいだいているからだが、その反面には戦争についてなるべくならば書きたくないという意識もある。
 戦争は、多くの人命と物資を呑みこみ、土地を荒廃させ人間の精神をもすさませる。失うことのみ多く、得ることのない愚かしい集団殺戮である。それを十分承知しながら、人間は戦争の中に没入し、勝利を願って相手国の人間を一人でも多く殺そうとつとめる。戦時中少年であった私もその一人だったのだが、私が戦争を書く理由は、自分をもふくめた人間というものの奇怪さを考えたいからにほかならない。

(吉村昭「陸奥爆沈」、『吉村昭自選作品集 第二巻』P.232、新潮社、1990年)


私たちの責任

この本は凄まじかった。
しかし、この本を面白い、と言うことは作者の意図に反しているような気がする。吉村氏の否定していた戦争を肯定することになってしまうからだ。沢木耕太郎の言うように、「傑作」という表現が妥当に思われた。

この本を読むまで私は、日本と隣国が近い将来、交戦状態に入ったとしても、仕方ないかもしれないなと思っていた。それは戦争を知らないからであった。
戦争に詳しい人たちは自分のほかにたくさんいるから、自分は知らなくても大丈夫だろう、とさえ思っていた。

それは間違いだった。自分たちのまわりにいる、戦争に詳しい人たちは、戦争のうわべのカッコよさに憧れている人たちだ。実際に戦争を経験していないという点では、彼らも戦争を知らないに等しい。

これは、人任せにしてはならない問題だ。
戦争を知る方々は、吉村氏を含め、多くがこの世を去った。
もう専門家はいない。
前世紀の戦争は、今を生きる我々が知っておかねばならないことだと、強く、思った。


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