ポストコロナ,見にいきやすくなったけれど見にいくことは減っていく,「飽和するフィジカル代替型オンラインイベント」は「祝祭性」を回復できるのか
落合陽一です.オンラインコンテンツの飽和を感じる今日この頃,この問題についてずっと考え続けてしばらく経った.6ヶ月くらいしてくるとリアル代替型のオンラインコンテンツの飽和を感じてくる.今日はそんなことを考えながら.
イベントのオンライン化とはよく言ったもので,あたかも違う体験のようなフレーズで喧伝されはするものの,あくまで映像的な体験が主流だ.オーディオビジュアルを通じて得られる体験であって,鑑賞空間も多くの場合は自宅かモバイル,頑張って調整して映画館のような空間だろう.
自分も日々を生きる中で,物理的な集まりを回避して,オンラインで授業する機会も,講演する機会も,ギャラリーツアーをする機会も,テレビに出演する機会も,そして演奏会する機会も生じている.リアル(フィジカル)で行われるものの代替的に生まれているものがほとんどで,今あるツールを生かして行われている.
フィジカルなイベントはオンラインで長々見るようには出来てない
冗長なコンテンツにまみれるにつれてそれぞれの祝祭性も消えていく
確かに,機会をいただいているから現場で頑張るものの,感じる違和感がかなりある.テレビの現場とは少し異なった気分を感じる.これをなんと言えばいいのかとしばらく考えていたのだけれど,コンヴィヴィアリティなどを経由して,祝祭性というのが正しいのだと思うような気がしてきている.
今日はポストコロナのオンラインイベントでの祝祭性の回復について考えていきたい.当事者以外はどうやって盛り上がっていくんだろう.全ての物事が流しっぱなしのラジオのように変わっていって,季節感が消失した部屋の中にいる時間も早半年だ.
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