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大衆が見たい姿でしかマスメディアでは伝わらない.若い奴には生意気なこと言わせて年配の人に嗜めてほしいし,研究者には白衣を着せたい,「大衆的であるという退廃的様式美」を認識し自嘲しながらも,如何にして普遍性を目指すか.

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山葵が食べられなかったころのことを覚えているかと言われれば,確かに辛くてツンとくるものが苦手だった小学生の頃を思い出す.大人になると美味しく感じるんだと言われれば,確かにそうだったと思う.高い飯を食い飽きた自分の父が,高級料理と手料理とジャンクフードみたいなものを行き来してたことも思い出した.ミシュラン3つ星にしか行かないとか,紹介制でインターネットでは情報が出てこない店にしか行かない,というタイプのやつも山葵が食べられない小学生みたいだと思っている.山葵しか食べない奴は山葵が食べられないやつと選択に対する凝り固まり方では,いつしか変わらない存在に近づいてしまっていると思うんだ.それはアートも研究もビジネスも同じような山葵小学生問題を抱えていると思う.山葵しか食わないやつが山葵食べられないやつをバカにする.

「テレビ見ない」と自信満々にいう人も山葵小学生問題の中にとらわれてるし,「普通は〇〇」という言葉遣いをする人もずいぶんと「普通」が普遍だという教育の中で生きてきたんだなぁという感じもする.僕はそういうときに一瞬一瞬にアイデンティティが崩壊するような決定をし続ける柔軟な世界観を望んでいるんだと思う.つまり,「根拠のある自信」の「根拠に信頼をおいている社会と人」が大嫌いだ.毎日何も根拠がない中で生きていけばいいのにと思う.

今日はそんな前提でマスメディアを考えていきたい.要は,「大衆が見たい姿で流れてきた情報」を「鵜呑みにするタイプの山葵しか食わない野郎」が多すぎて,結局のところ「大衆嫌いが大衆以下になる山葵フィルターバブル」に「山葵を塗りたぐりたくなった」という話なんだけれど.

お前センスよく選り好みしたように見せかけるだけが仕事じゃねーかと.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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