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#45:古田徹也著『はじめてのウィトゲンシュタイン』

 古田徹也著『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス, 2020年)を読んだ。著者は、私が近年最も注目している哲学研究者の一人。著者のことを初めて知ったのは、ほんの数年前の新聞記事がきっかけ。それ以来、『言葉と魂の哲学』(講談社選書メチエ, 2018年)、『不道徳的倫理学講義 人生にとって運とは何か』(ちくま新書, 2019年)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書, 2019年)と読んできた。

 本書は、ウィトゲンシュタインの生きた軌跡をたどりつつ、その思索の骨格部分をわかりやすく描き出すことに努めた渾身の作品である。ウィトゲンシュタインは、私にとっては非常に魅力に満ちた哲学者であり、まだまだ二次文献を通じてしか接することができていないが、それでもそうした間接的な接し方を通じて知るその思索はとてつもなく刺激的で、私の仕事における基本姿勢もその強い影響を受けていると自分では思っている。例えば、それは、著者が述べるウィトゲンシュタインの次のような姿勢。

 何も隠されていない。現象の背後に隠されている謎や秘密など何もない。実情は、特定の像に囚われ、目の前で展開される現象の別のアスペクトを見ていない、ということに過ぎない。ウィトゲンシュタイン流の形態学の肝は、見方の固定化によって見落とされるアスペクトに光を当てるために、具体的な比較の対象を発見し続けるーーあるいは、発明し続けるーーという点にある。(pp. 226-227)

 本書を読んで、改めて、ウィトゲンシュタインはすぐれて倫理的な哲学者であったと強く感じた。生きることにもがき苦しむ中で生み出されてきたその思索は、少しでもそうした苦しさに思い当たるところのある人々に勇気を与えてくれるものであるように、私には思われる。本書を締め括る著者の次の文章は、著者もまた似た何かを感じていることを、私に思わせる。

 彼[ウィトゲンシュタイン]はある箇所で、「私は実際、世界の片隅に散らばっている友のために書いている」と綴った。彼の遺した著作が世界中で読まれ続けていることは、その友がーーともに嵐に立つ者がーー、彼が思っていたであろうよりも遥かに多く、世界の隅々にいることを物語っている。(p. 308)

 本書のタイトル通り、ウィトゲンシュタインについてはじめて読む読者にこそ、強く勧めたい本である。