#65:北村隆人著『共感と精神分析 心理歴史学的研究』

 北村隆人著『共感と精神分析 心理歴史学的研究』(みすず書房, 2021年)を読んだ。あとがきによれば、本書は、著者の博士論文を改稿し、加筆したものとのことである。精神分析の実践における「共感」の位置づけを、歴史的に重要な精神分析家たちを取り上げて、歴史的に跡づけた労作である。

 400ページを超える大部な本であるが、全体に記述は平易かつ明解で読み易い(その分、論述の詳細さと解像度はいくらか犠牲にされているかもしれない)。精神分析的な臨床実践に関わっている人、関心のある人には、考えを整理したり、自分の知見の不足を補ううえで参考になるところが多いと思われる。精神分析的臨床における「共感」を主題として、このような形で本にまとめられ、出版されたことには大きな価値があると評価できると思う。

 一方で、本書には、私からすると、物足りなく感じる部分や異論もいくつかある。例えば、本書における「共感」の概念規定は著者の中で先にあって、それに基づいて本書全体の論述が進められている印象があるが、それぞれの臨床家の中で、それぞれの時代背景と臨床経験、そして他の臨床家の考えの影響のもとに、どのように「共感」や、「共感」に相当する過程が、どのような概念構成を経て臨床実践に位置づけられていったのかを、さらに丁寧に辿っていく論考を望みたいと思った。もちろん、それは本書の著者の意図とは異なる取り組みなので、無い物ねだりでしかないのだが、そうすることで、私たちが日常的に理解している「共感」概念と、臨床実践における「共感」概念の異同を論じることができるであろうし、臨床実践の中で練り上げられ、洗練されて来た「共感」の過程とその意義の方から、日常的な「共感」や社会の中の「共感」の意義を照射し直すことが可能になるのではないかと、私は考える。

 私に異論があるのは、「共感」を「相手(クライエント)の”内側”から経験をなぞること」として捉える著者の基本的スタンスである。「共感」とは相手の気持ちや経験を理解することであるとする捉え方は、日常的で常識的なものである。しかし、相手の気持ちや経験を理解するためには、相手の「内側」に入る(いちおう比喩的な意味で)ことが必要であるかどうかは、もう少し吟味する必要があることではないだろうか。私自身は、「共感」の過程を、相手と自分の間に生じていることを感じ取ることとして捉えたいと考えている。つまり、相手の気持ちを自分も感じるという意味で「共に」ではなく、相手と自分との間に、相手と自分とが「共に」いる場に自ずと生じてくる(「自ずと生じてくる」とはどういうことを指すのかについては詳細な議論が必要になるのではあるけれど)ものを感じるという意味で「共感」を捉えたいというのが、私の考えであり、私自身の臨床実践の感覚である。

 とはいえ、やはり本書は著者の労力に敬意を表すべき仕事であると言えるだろう。これだけの目配りの広い学派横断的な著作は、小此木啓吾氏の数々の仕事以来、しばらくなかったのではないだろうか。本書が、わが国においてなかなか進まない学派間の真剣で切実な対話(見かけ上の「対話」ならありふれているのだけれど・・・)を生み出す起爆剤の一つとしての役割を果たすことを願いたいと思う(グリーンバーグとミッチェルの『精神分析理論の展開』[原題:Object relations in psychoanalytic theory]がそうであったように)。

 そして、私自身も、そのような仕事をしていくことを心がけたいと思う。