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#11:十代の頃のヒーローはエラリイ・クイーンだった

 パラパラとおすすめのページなどを見ていたら、早川書房のページを見つけた。開いて中をざっと見てみたら、『フォックス家の殺人』の新訳版の刊行予告が! 目にした瞬間思わず声を上げてしまった(笑)

 エラリイ・クイーンは、子どもの頃の私のヒーローだった。ホームズでも、ポワロでもなく、エラリイだった。クイーンの作品を最初に読んだのは、小学4年生の頃。図書館で借りた『Yの悲劇』。今となっては、どの出版社から出ていた、誰の訳による本だったのかわからない。当時の私には、もちろんそんなことには関心がなかった。図書館の職員さんに「『Yの悲劇』っていう本はありますか?」と尋ねたら、探してきてくれて差し出してくれた本だった。

 次に読んだのは、新潮文庫版の『Xの悲劇』。これは小遣いで買った。当時は定価で300円前後だったと記憶している。その後は、東京創元社の創元推理文庫版で「国名シリーズ」を読み進んだ。そこで初めて、探偵の方のエラリイと出会った。一冊ごとにカバーの色が違っている本が書店の書棚に並んでいるのは、小学生の私には壮観であり、憧れだった。

 創元推理文庫にラインアップされていたクイーンの長編をあらかた読んだ後、中学生になった私は、ハヤカワミステリ文庫へと進出することになった。そして、その頃には「海外ミステリ」の魅力にどっぷりとハマった私にとって、ハヤカワミステリ文庫は、10代の頃の読書遍歴の主戦場となっていった。

 いわゆる「クイーン中期」の作品を、ハヤカワミステリ文庫で読み進めた。創元推理文庫にラインアップされていたのは、ハリウッド時代までの作品に限られていた。逆に、当時は「国名シリーズ」と「レーン四部作」はハヤカワミステリ文庫にはラインアップされていなかった。正直に言えば、「中期」の作品群は、中学生、高校生の頃の私にはあまりピンとこないものが多かった。「中期」の作品群の真価を理解できるようになったのは、30代以降に再読するようになってからである。それでも、頑張って(?)読み進めたのは、その頃早川書房から刊行された、フランシス・M・ネヴィンズJr. 著『エラリイ・クイーンの世界』の導きのおかげである。今も手元にあるその本は、1980年刊行の初版で、定価は1500円。文庫本を買うのが精一杯の中学生の私にとっては、ハードカヴァーでもあり高価な本であったが、刊行後すぐに購入して貪るように繰り返し読んだ。すぐに私にとってのバイブルになった。(近年になって、大幅増訂版とも言うべき『エラリー・クイーン 推理の芸術』[国書刊行会, 2016年]の刊行に狂喜して即座に購入したことは言うまでもない[笑])

 『エラリイ・クイーンの世界』を読んで、未読の作品群への期待を膨らませていた当時の私が、ネヴィンズJr. による作品紹介に心惹かれたのが、『フォックス家の殺人』だった。しかし、当時は、クイーンの中期以降の作品のほとんどがすでに文庫になっていたにもかかわらず、『フォックス家の殺人』はまだ文庫化されていなかった(確か、『最後の女』と『心地よく秘密めいた場所』も文庫化されていなかったような記憶がある)。まだポケミスの存在のことがよくわかっておらず、図書館にない本を取り寄せる知恵もなかったので、ただ文庫化されて刊行されるのを待つしかなかった。

 そんな状況で、当時毎月購読していたミステリマガジン(早川書房)の刊行予告に、『フォックス家の殺人』が掲載されたときの喜びといったら!(後にディクスン・カーのマニアと化していった私は、同様の経験を何度もすることになる。)待ちに待って読むことができた作品というバイアスもあったのか、私にとって『フォックス家の殺人』は、クイーンの作品群の中で比較的上位に位置している。一般的な評価はそれほど高くないのではないかと思うのだが。成人後に再読しても、私の評価はあまり変わっていない。

 そして話は冒頭に戻る。そんな私が、新訳版の刊行予告を予期せず目にしたわけである。ハヤカワミステリ文庫でのクイーン作品の新訳プロジェクトは、『九尾の猫』『災厄の町』に次いでの第三弾になるのだろうか。クイーンの作品群の中でも一般にトップクラスに評価されている二つの作品の後に『フォックス家の殺人』が登場するのは、意外に思える。あれ? それとも実は世間の評価も高いのかな? いずれにしても、新訳版を手に取るのが待ち遠しい。作品の内容も筋立ても結末もほぼ記憶している。それでも、クイーンが繰り返し用いたモティーフが織り込まれた、静謐な悲劇ともいうべきこの作品を三読することが楽しみでならない。