見出し画像

上京田舎者のアイデンティティの浮遊 第二話

東京に住んで4年。
長いながい就職活動が終わり、東京の広告会社に就職が決定した。
半年ぶりに実家に帰った。
空港から家まではバスで1時間半ほどかかる。
道中、緑豊かな自然をみて懐かしさと同時に違和を感じてしまった。
そのときの感情は、いまもメモに残っている。
---
2016.7.17 11:00
わたしはいつまで東京で暮らすんやろ?
そしていつここに帰るんやろ?
家族と一緒におれる時間ってあとどれくらい残っとるんやろ、、
色々考えて選択した道やに
この自然をみるとどうしようもなく悲しくなる
---
2016年7月に綴ったこの生の気持ちは、上書きすることなくそのまま保存している。
そしてなぜか定期的に読みたくなる。
そして、帰りたくなる。
帰って、祖母と母の手料理を食べたい。
8畳1Kの小さな部屋で、カップラーメンをすすりながら
そんなことを日々考える。


東京に住んで5年。
友人とカラオケに行った帰りに、電車で話していたときのことだ。
夏の帰省タイミングの話をしていて、わたしは
「○日に東京に戻ってくるよ」
と言った。
友人は、
「もう、東京が戻る場所になったんだね」
と言った。
わたしはすかさず、こう言った。

「東京は『戻る』、九州は『帰る』でちゃんと使い分けとんよ」

昔から東京に住んでいる友人にとっては、若干冷たい言葉に感じたかもしれない。
でも、わたしはこの言葉を、東京にやってきたときからずっと使い分けてきた。
そして絶対に一度も間違えることはなかった。
「東京に『帰る』」とはどうしても言いたくなかった。
東京はわたしにとって、帰る場所じゃない。
わたしにはいつでも帰れる田舎がある。家がある。
東京は、帰る場所じゃない。


東京に住んで7年。
会社の同期と後輩と飲みに行ったときのことだ。
会社では基本いつも敬語だが、同期にはタメ口なのでいつもコテコテの方言を使っている。
後輩にとっては、わたしの方言が新鮮だったらしく
「なんでちょっと話し方が関西っぽいんすか?笑」
と言われた。
その時、並々ならぬ苛立ちを覚えてしまった。
初めて飲みに行った後輩がわたしの故郷を知っているはずもないという前提をふまえると
わたしの怒りは理不尽ではあるのだが
わたしは生粋の九州人なのに、自分の話す言語に疑いを持たれたことに腹が立った。

7年もいると、だんだんと東京人扱いをされてゆく。
なぜかわたしは、それがすごく気持ち悪かった。
東京は好きだ。
小さい都市だけれど
変わり者を許容してくれる大きな街だ。
無関心は諸刃の剣であるが
この街にはあまりにも多すぎる他者がいて
全員に関心を持っている暇はない。
ありがたいことに、
わたしはこの無関心のおかげで生きやすい。
奇人なんてありあまるほどいるので
田舎ほど注目されることもない。
でも、わたしは九州の片田舎で育った人間だ。
その自分がどんどん、他者や都会の空気でできた消しゴムで消され、薄れてゆくような気がして
大切にしてきたものをいくら両手ですくっても指の隙間からこぼれ落ちていくようで
とてつもなく虚しかった。
自分が消えてゆくようで。

虚しくて、しょうがなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?