アークナイツ【回想秘録】老鯉


リー「一日三食」
新しい場所に行くのなら、その都度現地の市場を見て回ろう。



 
[八百屋さん]旦那、あんたこの市場でもう何回もグルグルと回ってるけど、目当ての食材が見つからんのかい?
 
[リー]おれのことを言ってるんです?
 
[八百屋さん]そうだよ。そろそろ市場が閉まっちまうから、はやく出て行かないとここで夜を過ごすハメになるぞ。
 
[リー]夜って……まだ七時じゃないですか。
 
[八百屋さん]はぁ、やっぱあんた現地のモンじゃないだろ、一目見て分かるよ。ここは夜だと物騒になるんだ、そんな時間まで店を開ける度胸なんざ誰も持ち合わせちゃいないよ。
 
[リー]……確かにおれはここに来てまだ数日と経っちゃいませんよ。近くの旅館に泊まったのも、つい昨日のことでさ。
 
[八百屋さん]龍門には行くところがごまんとあるってのに、旦那はなぜこんなちっこい市場を回ろうとしているんだい?
 
[リー]ちょっとした癖というか習慣でね。新しい場所に行くたびに、現地の市場を見て回るようにしてるんです。
 
[リー]風情やら人情やら、はたまたこの地ではどういう作物が獲れるのか。ぜーんぶここで知ることができるますからねぇ。
 
[八百屋さん]ただの野菜市場だろうに、違うところなんてあるのかい?どこだって賑やかに、購買客が行ったり来たりするだけだろ。
 
[リー]そうですねぇ……じゃ例えばですけど、尚蜀の市場は一晩中開けっ放しなんですよ。こことは違ってね。
 
[八百屋さん]はあ……
 
[八百屋さん]……ていうかあんた、結局買うの?買わないの?買わないのならもう閉めさせてもらうけど。
 
[リー]なにかオススメはあります?
 
[八百屋さん]ちょうど季節も熱くなってきた頃だし、ハナガツミを二本くらい買って帰って粥にでもするといいよ。熱さを解消してくれるからね。
 
[リー]うーん、それだったら退散しときますぅ。旅館の冷蔵庫はそこまで大きくないんでね、こんな30cmものサイズがあるハナガツミなんか入りませんよ。
 
[八百屋さん]なんなんだい……変な人だね。
 
[八百屋さん]まったく、帰宅時間が遅れち……
 
[街のチンピラ]ちょいとおやっさん、今日はちーっと帰りが早すぎるんじゃねえの?
 
[八百屋さん](チッ、このチンピラが……はやめに切り上げたってのに、これでも出くわすのか……)
 
[街のチンピラ]みかじめ料は用意できてるんだろうなぁ?先月滞納した分も一緒に渡してもらうぞ。
 
[八百屋さん]こ、今月はちょいと不景気でして、本当からっきしなんですよ~。
 
[街のチンピラ]そりゃちょうどいい、それならさっさとこっから出て行きな。屋台はほかの能力がある人に任せるからよ。
 
[八百屋さん]ちょっ、何をするんだい?
 
[八百屋さん]やめろ、壊すな、壊さないでください!もう少し……!もう少し期限を延ばしてくれれば、必ず払いますんで!
 
[街のチンピラ]ケッ、もう遅ぇんだよ!
 
[???]ちょいとお待ち、そこのお兄さん。まあ手を下げてやってくださいよぉ。
 
[街のチンピラ]チッ、なんだテメェは?どっかのお偉いさんか?
 
[リー]いやいや、買いかぶりですって。おれとは兄弟と接するような扱いで構いませんので。
 
[街のチンピラ]……調子乗ったこと言ってんじゃねえぞ。オレの上が誰なのか、まずは聞いてみたらどうなんだ?
 
[リー]それは林(リン)のお方のことを言ってるんで?
 
[街のチンピラ]分かってんのなら図々しくしてくるんじゃねえよ。
 
[リー](ったく、なーんでこの街で出くわしたチンピラはどいつこいつも“自分はリンの手下だ”なんて言ってくるんだ……)
 
[リー]いやぁ~、どうりでお兄さんと会ったことがあると思ったら~。きっとリンさんのお宅でお会いしたことがあったんじゃないでしょうかね~。
 
[街のチンピラ]は……?あ、会ったことあんのか?
 
[リー]そりゃもちろん~。去年リンさん家のキンモクセイがそりゃもう満開で、それでたくさんシロップを作ったんですけど、そちらはちゃんと受け取りましたかね?
 
[街のチンピラ]あ、当たり前だろ!帰り際だって、リンさんから十何個も瓶詰をもらった。今だって全然食いきれてねえんだわ。
 
[リー]あっ、ちょいとお待ちを……いや、違ったな。リンさん家に植えられていたのはキンモクセイじゃなくて、桃の木でした。
 
[街のチンピラ]*龍門スラング*!テメェ、リンさんのこと知ってんのか知らねえのかどっちなんだよ!
 
[リー]おれは知らないかもしれませんけど、お前に関しちゃ絶対知ってるはずもないだろ。
 
[リー]そら、さっさと消え失せろ。かのリンさんは規律に厳しいことで有名らしい。もし勝手に彼の名前を使って悪さをしてる人がいると知られちゃ、そいつはロクな目に遭わないだろうな。
 
[街のチンピラ]チッ、とんだ疫病神と遭遇しちまったもんだぜ。
 
[八百屋さん]その……旦那、助かったよ。
 
[リー]いいんですいいんですぅ、ちょいと口を動かしただけですので。次ああいった小物と出くわしても心配はいりませんよ、どうせリンさんを笠に着て威張りちらしてるだけなんですから。本物の連中があんな礼儀知らずなわけがありませんよ、ねぇ?
 
[八百屋さん]はぁ……自分はただの八百屋だ。そんな人を見る目なんざ持ち合わせちゃいないよ。
 
[八百屋さん]そうだ旦那、ちょっとだけ待っててくれ。
 
[リー]はい?
 
[八百屋さん]旅館の冷蔵庫は小さいって言ってたけどさ、この一袋分のライチだったら置けるだろ?
 
[八百屋さん]うちに植えてあった木から獲ったやつでさ、売り物にはならんのよ。ちょっとした感謝の気持ちだ、持って帰ってやってくれ。
 
[リー]……
 
[八百屋さん]……旦那、どうしたんだい?
 
[リー]あー、いやね、この瑞々しいライチのためにこんな遠くまでやって来たっていうのなら、それはそれで来た甲斐があったって思っただけですよ。ありがとうございます、親父さん。
 
[八百屋さん]ふふっ、気に入ってくれたのなら何よりだ。時間があったらまたうちに寄ってきてくれよな。
 
[リー]ええ、必ず。
 
 
 


[八百屋さん]リーさん!ちょいちょい、リーさんや!
 
[リー]おやぁ、ツァイさんじゃないですかぁ。まだ市場に入ってないのに、もうおれを呼んでる声が聞こえていましたよぉ。
 
[八百屋さん]あんたに残してやったこの冬タケノコの鮮度が落ちちまうから呼んだんだよ。もう大寒に入っちまったからな、冬タケノコの旬ってやつだよ。
 
[リー]たった数分ってだけでしょうに、そんなすぐ鮮度が落ちることなんてあります?
 
[八百屋さん]ほれ、帰ったらちゃんと塩水に漬けておくんだよ。そうしたら長持ちするから。
 
[リー]いやいやいいですって。おれが借りてる部屋のキッチン、こんくらいの広さしかないんですから、ラップで包んで冷蔵庫に入れときゃ十分ですよ。
 
[八百屋さん]何を言うんだい!こいつは上物なんだ、あんたは目利きがあるからわざわざ残してやったってのに。
 
[リー]心配いりませんよぉ。二日もしたらある賓客をもてなさなきゃならないんで、ずっとは置いておきませんよ。
 
[八百屋さん]おっ、リーさんも龍門で友人ができたんで?
 
[リー]まだ友人ってわけでもないです。
 
[???]なら、いつになればリー殿の友人になれるというのじゃ?
 
[リー]ありゃリンさん、今日は奥さんのおつかいで?
 
[リン]たったタケノコ数本のためだけに、わざわざ家から十数キロも離れた市場まで取ってこいと言ってくるほど我が儘なヤツではないわい、儂の家内は。
 
[八百屋さん](リーさん、こ、こちらの方って……もしかしてあの方なんじゃ……?)
 
[リー](今はただの通りすがりの老人って扱いにしといてやってください。)
 
[リン]リー殿、まだ質問の返事を聞いておらんぞ。
 
[リー]おれは世間一般の善良な一市民に過ぎませんよ。もしデカい酒楼(ジャウラウ)の宴会で奢ってくれるものなら、絶対その人のことを親友として扱ってあげますとも。
 
[リン]それにしては部下が寄越した報告とは違っているのう。お前さんがこの一週間出入りしてきた場所、どこも路地裏にある小さい店舗ばかりではないか。
 
[リー]それだけおれが出没する場所を把握してるのなら、なんでよりによってご自宅から十数キロも離れた市場を選んだんです?
 
[リン]タケノコのために十数キロもの距離を走る甲斐はないが、友人に感謝を述べるためなら、そうする甲斐もあるじゃろうて。
 
[リー]大げさな、少しだけ手を貸しただけですって。おれがあの場にいなくても、どうせほかの誰かが片付けてくれたはずですよ。
 
[リン]それは違うぞ。お前さんがいなければ、きっと今と比べて“キレイに”片付けられてはいなかったかもしれんぞ。
 
[リー]……はは、リンさん、自分の立場くらいちゃんと弁えてますって。
 
[リン]それにしても、いいタケノコじゃな。どう調理するつもりじゃ?
 
[リー]適当に炒め煮でも作ろうかと、それで十分です。
 
[リン]そんな当たり障りのない調理方法では少し勿体ない気がしてしまうのう。どれ、ここは羽獣を一匹締めてもらってスープにするのはどうじゃ?
 
[リー]いやぁ、それだとタケノコの風味が消えてしまいますよぉ。
 
[リー]なにより……
 
[リン]憚る必要なら無用じゃぞ。
 
[リー]いやね、なによりこのタケノコは本来なら野生に生えていたもの、悠々自適でいたいんじゃないですかね。きっとほかの食材と一緒なんかゴメンだって思ってるはずですよ。
 
[リン]タケノコそのものが良すぎると、いくら深い山中に生えていたとしても、掘り当てる者たちを引き寄せてしまうものじゃ。
 
[リー]そうなれば、落ち着いた日々も送れないではないか?
 
[リー]はは、それはおいおい分かる話です。
 
[リン]ウェイのヤツがなんの謂れもなく他人の家を訪れるはずもないのにのう……
 
[リー]それに関しちゃ自信があるんですよ。
 
[リン]なんじゃ?
 
[リー]……一旦ウェイ様が箸を持てば、もうおれに話しかけてくることもなくなるって自信が。
 
[リン]ふふっ……あーすまんが、リンゴは置いてるかな?
 
[八百屋さん]ありますとも!ささっ、どうぞ。
 
[リン]いくらだね?
 
[八百屋さん]いいんですいいんです、お代は結構ですよ。あなたがいるおかげで、ここ数年自分たちはみんな落ち着いて暮らせているんですから。
 
[リン]それでは商売にならんだろう。まあいいから受け取りなさい。
 
[リー]リンさん、買い出しじゃないって言ってませんでした?
 
[リン]来た以上には買って帰らんとな、娘のためにも。
 
[リー]いや~、世帯を持ってる人は違いますね~。本当なら来年一緒に姜斉にある湖で花見をしないか誘おうと思ってたんですけど、こりゃキャンセルでしょうねぇ。
 
[リン]お前さんも落ち着いて、早めに世帯を持ったほうがいい。
 
[リー]遠慮しときますよ。落ち着いた日々なんて、おれが求めているもんじゃないんでね。
 

 
 


[八百屋さん]そら、こちらが今シーズンの青梅になりますよ、奥さん。皮は薄いし肉厚だし、種も小さい。味は酸っぱさの中に甘味があるし、きっとよだれが止まらなくなりますよ。
 
[フミヅキ]ふんふん……
 
[八百屋さん]今のうちに酒漬け用に何キロか買っておかないと、清明(チンミン)の時期を過ぎたらもうこの味わいはなくなっちゃいますよ?
 
[フミヅキ]なるほど……では少しだけ頂きましょうか。
 
[八百屋さん]あいよ、俗に“青梅 酒を煮て、時新を闘ず”って言いますもんね……はは、つっても自分は学がないもんですから、単にこの一句だけを憶えてるってだけでしてね。
 
[リー]ツァイさんよ、遠くからでもお客さんを丸め込もうとしてるのが丸聞こえですよ……まったくあなたって人は……ここんところますます口が達者になってきちゃってぇ。
 
[八百屋さん]へへ、そりゃ商売だからな。
 
[フミヅキ]あらリーさん、いつもこのお店にいらしてるのですか?
 
[リー]お久しぶりですぅ。夫人のほうこそ、どうしてこんなところに?
 
[フミヅキ]ここは龍門で一番大きく、品揃えがいい市場だからですよ。食材を仕入れたいのならここが一番です。
 
[リー]夫人自ら買い出しに来られるなんて、なにかご用事でも?
 
[フミヅキ]ええ、何日かしたらイェンウーの誕生日になるんです。彼のために腕を振るってあげようと思いまして。
 
[リー]なにかお作りになるんです?
 
[フミヅキ]……それがまだ思いつかなくて。むろん彼がいつもよく食べてるメニューを幾つか。
 
[リー]ウェイ様が好んで食べられるメニューを幾つか、ですか……こりゃ夫人の腕が試されますねぇ。
 
[フミヅキ]オホン、ええ……まあ、手間暇よりも気持ちですから。
 
[リー]そりゃごもっともで。
 
[フミヅキ]ただ……初めて市場に来たものですから、どうやって品を選らベばいいか分からないのも事実でして。よろしければ、リーさんの手を借りたいところなのですが。
 
[リー]問題ありませんとも。たとえばこのトマト、もし生食をされるのでしたらピンク色のやつを買われるといいですよ、張りがあって食感がいい。炒め物用でしたら、紅いやつを選びましょう。味は濃厚だし、出汁もよく出ますし。
 
[フミヅキ]ええ、憶えておきます。あちらに芋が置いてありますね、潰して燻製肉と合わせるといいかもしれません。
 
[リー]芋ですかぁ。だったら同じサイズのやつが並べられていたら、重いやつを買うといいですよ。重いってことは水分もデンプンも多い証拠、口に入れたらホッカホカです。
 
[フミヅキ]分かりました。ではシイタケはどう選びましょう?干し物がいいでしょうか、それとも新鮮なのを?
 
[リー]それぞれ良さがありますから、夫人がお作りになられる料理次第ですかね。
 
[フミヅキ]新ショウガとお肉を詰めて、蒸し物にしようと思っています。
 
[リー]だったら干しシイタケを使いましょう。水に漬け込んだら香りも味も増しますんでね。
 
[フミヅキ]ふむふむ……なるほど。
 
[リー]そうそう、この先を進んだら醤油を売ってるとこがあるんで、もう一品羽獣の醤油焼きも作ってみたらいいんじゃないでしょうか。
 
[八百屋さん](ちょいとリーさん、あそこはつい最近値上げしたばかりだぞ。)
 
[リー](それについては心配いりませんよ、ツァイさん。)
 
[フミヅキ]玫瑰豉油汁(ムイグヮイ シーヤオジャップ)を作るのですか?
 
[リー]ええ。
 
[フミヅキ]まあリーさんったら、勘違いをなさっているのではなくて?確かに彼はよくこの料理を食べてはいますが、それは私が好きだから長年ずっと一緒に食べてくれているだけですよ。
 
[リー]……それは承知してますとも。
 
[フミヅキ]え?
 
[リー]以前食事の席でウェイ様も仰ってましたからね。夫人が好んでいたから、ウェイ様も無条件に好物になっていたんでしょう。まあ、こういうことは珍しくもありません。
 
[フミヅキ]……ふふっ。
 
[フミヅキ]リーさんったら、商売人の方よりもよっぽど口がお達者ですね。
 
[リー]はは、商売人を言うのなら、近頃のおれはまさにそんな感じになりつつありますよ。
 
[フミヅキ]けれどリーさん、いつも自由気ままに暮らしていたのではなくて?最初イェンウーが何度もあなたを近衛局へとスカウトしていた時だって、全部拒んでいたではないですか。どうしてそんなあなたまでもが商売のお悩みを?
 
[リー]ウチにまた一つ“口”が増えてしまったものでしてねぇ。他人様からの使いっぱしりの手伝いがてら、食費を稼いでるんですよ。
 
[フミヅキ]まあ、リーさんもようやく世帯を持つようになったのですか?でしたら後日改めてイェンウーと一緒に奥様へご挨拶を申し上げに伺いますね。
 
[リー]いやいや、そうじゃなくて……古い馴染がガキをひとり残して姿をくらましやがったんですよ。んで、その子をおれが引き取ってやったんです。
 
[フミヅキ](首を振る)
 
[フミヅキ]なんて無責任な……その方、いつ戻ってくるかは仰っていました?
 
[リー]いいえ……ただまあ、さすがに子供をひとり残して放っておくわけにもいかないでしょうし、数か月間くらい世話を見ているうちに、いつの間にか帰ってきてくれるはずですよ。
 
[リー]んでガキをそいつに返してやったら、おれもそいつに倣ってどこか遠出しようかと思っています。
 
[フミヅキ]龍門じゃ満足できないんです?
 
[リー]満足はしていますよ、ただおれは放蕩児なんでね。いくらその場所が良くても、一か所には留まれない性分なんです。
 
[フミヅキ]そうですか……しかし、今日はありがとうございました。そこそこ食材も買えたことですし、私はこれで帰ることにしますね。
 
[リー]ええ、お気を付けて。
 
[リー]……
 
[八百屋さん]リーさん、リーさんったら。
 
[リー]あぁ、ツァイさん……なんです?
 
[八百屋さん]さっきからずっとそこに立っちゃいるけどね、買い物客の邪魔になってしまってるよ。
 
[リー]……おっと、これは失礼、オホン。ところで、この輸入品のサクランボなんですけど、いくらです?
 
[八百屋さん]リーさん、あんたこれまでずっと値段が高いからってこいつに触れようともしなかったじゃないか?
 
[リー]いやね、試しに少し買って帰ろうと思って。なんせ、うちの娘っ子が好きなもんですから。
 
 
 


[リー]どーもツァイさん、先週注文した例の食材はもう届いてます?
 
[八百屋さん]おおリーさん。もちろん届いているよ、ちょうど待っていたんだ。
 
[リー]いんやぁ申し訳ないですぅ。今日ちょっと家でドタバタしてましてね、待たせちゃいました。
 
[八百屋さん]いいんだいいんだ、まだ九時前だからね。日が暮れて店仕舞いするにはまだまだ早いよ。
 
[八百屋さん]にしても、今日はあんたが来たんだね?あのガタイのいいお弟子さんに頼まなかったのかい?
 
[リー]あいつなら今日やることがあってね。こっちはつい引っ越したばかりなんですよ、だから部屋を掃除させるようワイフーとアの野郎を任せてやったんです。
 
[八百屋さん]引っ越した?なんだい、前の家じゃもう入りきらなくなったのか?
 
[リー]部屋は少なすぎるし、お客さんを招くにも不便でしてねぇ。もう一個くらい冷蔵庫を置きたいんですけど、キッチンも小さくて。
 
[八百屋さん]冷蔵庫二個でも足りんのか?
 
[リー]大勢でメシを食うことになりましたからねぇ。ウンが少し手伝えるようになってよかったですよ、さもなきゃメシを作るだけでもぶっ倒れちまう。
 
[八百屋さん]俺に言わせれば、あんたのその料理の腕前だけは途絶えさせちゃならねえよ?ほかのものは、まあ別にいいとして。でもあの子がいてくれたのなら、俺も安心だよ。
 
[リー]はっ、あいつならまだまだですよ。火の加減がなっとらん。
 
[八百屋さん]つまり、今日はあんたが腕を振るうってことなのかい?
 
[リー]ええ、みんな一日中手伝ってくれましたからね。そろそろ労ってやるかと思いまして。
 
[八百屋さん]わっはっは、いいね!なら、このキンカンの木を持って行ってくれ。あんたの事務所の開業祝いとしてだ、商売繁盛ってな。
 
[リー]いやいやそのキンカン、確か店に何年も置いてるやつでしょ。ほかの人じゃそう易々と触らせてくれないような、ずっと大事にしてきたものでしょうが。
 
[リー]冷え込んできた時期に入って、ちょうど実を結ぶようにもなったんですし……なんで今日おれにやるんです?
 
[八百屋さん]実はなリーさん、店を畳むことにしたんだ。
 
[リー]……移転ですか?
 
[八百屋さん]引退だよ、引退。
 
[リー]……
 
[リー]まあ、もう十何年も経ちましたからねぇ。
 
[八百屋さん]あんたが現れなかった前の年も数えると、ざっと三十年弱にはなる。
 
[八百屋さん]前月通知書が送られてきたんだ、来年にはここを大型スーパーに建て替えられるんだとよ。店はそのまま残すこともできるとはいえ、だ。
 
[リー]ここの数年の龍門……ちょいと建て替えが多すぎやしませんかね。家の近くにあった茶楼(チャーロウ)も、カフェに建て替えられちまうって。
 
[八百屋さん]ああ、そうだな。まっ、夫婦そろってここまで働いてきたんだ、そろそろお暇する頃合いだろうよ。
 
[リー]息子さんと娘さんも大きくなって、世帯を持ってこっから出て行きましたもんねぇ。このまま店をやる意味もなくなったし、それならあちこち見て回るのも一興ってもんか。
 
[八百屋さん]うちはずっと龍門にいた人間だ、確かに大炎のほかの都市には行ったことがなかったな 。

[八百屋さん]これまでの貯金、そして政府が補償で出してくれた移転の手当。これだけあれば数年は遊んで暮らせるな。
 
[八百屋さん]それでさリーさんよ、あんた色んなところに行ってきたことがあるんだろ?どこかオススメな場所はないかい?
 
[リー]……いきなりぶらついていた頃の記憶を掘りだそうとしても難しいですねぇ、なんせ長い間ずっと龍門に居座っていましたから。
 
[リー]しかしまあよくよく思い返してみると、良くない場所の記憶はとっくにぼやけちまってる……風光明媚な景色とあふれ出す人情味しか残らなくなっちまったもんです。
 
[八百屋さん]それと賑やかな市場もな。
 
[リー]ははは……それ、まだ憶えてたんですか。
 
[八百屋さん]尚蜀に行ったら、まっさきにその一晩中賑やかな市場に行ってみることにするよ。
 
[リー]ええ……そうしてください。
 
[八百屋さん]これまでの間ずっと、毎回あんたを見かけるたびに“龍門から出ていく”なーんてことを言っていたが、十数年経った結果、俺が出ていくことになるとはな。
 
[リー]そうですねぇ、これまでずっとそう思ったとしても、毎回なにかと脚を引き留められてきたものです。
 
[リー]やれやれ……ところツァイさん、うちは毎回あなたのような旅立ちする人たちのためにこの先の吉凶を占って差し上げてるんです。
 
[リー]長年仲良くさせていただいたお礼として、今日はタダで占って差し上げますよ。この先一体どういった光景を目にするのかってね。
 
[八百屋さん]おお、頼んだ。
 
[リー]ふぅむ……
 
[八百屋さん]どうだ?
 
[リー]世旺の卦(せいおうのか)が出ましたね、つまり大吉ってことです。この先はきっと健康に安全に、何から何まで上手くいくことでしょう。
 
[八百屋さん]ワハハ、あんた相変わらず口が達者だな。
 
[リー]ツァイさん、これは口が達者ってもんじゃないですよ、おれの本心です。また……いつかお会いしましょう。
 
[八百屋さん]……ああ、またいつかな。
 
 
 


[スーパーの放送]そろそろ冬に入る頃!つきましては大特価サービスとして、もれなくお肉を買えばおまけが付いてくる!そろそろ冬に入る頃!つきましては大特価サービスとして、もれなくお肉を買えば……
 
[ワイフー]ウン兄、さっきからずっーと並んでますけど、一体いつになったら私たちの番になるんですか?
 
[ウン]まあまあ、もう少し待ってやろう。今日はセールスデイだからな、当然客も多くなる。
 
[ワイフー]もう足が痺れてしまいましたよ、たかがモモ肉一本のためだけに。鍛錬で立ちっぱなしの時だってこんなに疲れたことはないんですからね。
 
[ウン]数日前リー先生がわざわざネギ油のモモ肉合えを注文してきたんだ、誕生日の日に食べたいってな。今日はちょうどスーパーに卸したてが置いてあったんだし、何日かしたら冷凍品しか買えなくなってしまう。
 
[ワイフー]いい歳しておいて、ますます子供っぽくなってきてますよ、あの人。食べたいものがあれば一刻も待てないなんて。
 
[ウン]自分の願いを満足して叶える、それが誕生日という日さ。
 
[ウン]お前だって口ではそう言っているが、前々からすでに誕生日プレゼントを部屋に隠しておいてるだろ。
 
[ワイフー]なっ……なんでそれを知ってるんですか?言ったじゃないですか、私の部屋は掃除しなくていいって!
 
[ウン]部屋には入ってない……ゴミを捨てる時に袋いっぱいになっていたラッピングペーパーを見つけただけだ。
 
[ワイフー]こっちだって、まさかラッピングがあんなに難しいものとは思いもしませんでしたよ。外して包んで、そしてまた外して。それでやっとキレイにラッピングしてやれたんですからね。
 
[スーパーの店員]いらっしゃいませー、ご注文は?
 
[ウン]モモ肉をください。
 
[スーパーの店員]前足か後ろ足か、どちらにしましょう?
 
[ウン]後ろ足で。
 
[ウン]ところでワイフー、アを見なかったか?あいつまだ帰ってきてないぞ?モモ肉を受け取って会計を済ませたら帰らなきゃならないのに。
 
[ワイフー]私も知りませんね。スーパーに入った途端いなくなっちゃいましたから。
 
[ワイフー](周りを見渡す)うーん……
 
[ワイフー]あっ、いました。あれですね、ちょうどこっちに向かってきていますよ。
 
[ワイフー]何か買い物でも行ってきたんですか?こんな遅れて帰ってくるなんて。
 
[ア]いンや、ちょっとブラついてただけだ。なにかリーに買ってやれねえモンはねえかって。
 
[ウン]目ぼしいものはなかったのか?
 
[ア]へへ、まあそうだな。
 
 
 


[レジの店員]四百七十一龍門ドルになりまーす、お支払い方法は?
 
[ウン]あの……ちょっと金額がおかしくないですか?
 
[レジの店員]そんなことはないですよ?機械が全部計算してくれた金額なんですから、間違えるはずがありません。
 
[ウン](おかしい、なんで俺が計算した額よりも多いんだ?)
 
[ウン]ワイフー、袋を開けてくれ。もう一度数え直したい。
 
[ワイフー]ウン兄、もういいですって。どうせウン兄の計算が間違っていたんでしょ、いいからはやく家に帰りましょうよ。
 
[ア]そうだそうだ、一日中外出しっぱなしで、ワイフー姉もヘトヘトになっちまってるんだぞ。さっさと家に帰って休もうぜ。
 
[ウン&ワイフー]……
 
[ウン]……ワイフー、やっぱり袋を渡してくれ。
 
[ワイフー]……はい、ウン兄。よーく数えておいてくださいね。
 
[ア](やべッ、余計なことを言っちまった……)
 
[ウン]モモ肉、大根、カボチャ、レンコン……
 
[ワイフー]あれ、ウン兄、袋の一番下に薬材のパックが入ってますよ?
 
[ワイフー]へ――ヘックション!ゲホゲホッ……鼻がすごいことに。
 
[ウン]ゲホゲホッ、うえッ……ってなんなんだこれは!
 
[ア]あーあ、俺は悪くねえよ?お前らがどうしても開けるもんだから。
 
[ア]ただお前らがリーにやるものが、そのーなんだ……どれも面白くねえんだよ。
 
[ア]そんじゃあまた後でな、俺は先に帰らせてもらうぜ。
 
[ワイフー]ゴヘゲホゲホッ……こ、こここ……
 
[ワイフー]こんんんのクソガキィ!待ちなさあああああい!!
 
 
 
リー「一日三食」 完


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