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全て泡沫に消える時は平等にくる

引き続き、信じられないほど刹那的に生きています。とりあえず今回のフェーズは多少長引きそうです。4月から強引に環境が変わるから、地に足つく可能性もあるけど、今は風のよう。風の妖精みたい、それか水の妖精、と最近ついに妖精の属性まで指名されるようになりました。

私は、自他共に「短命」だという認識があるらしい。花火のように輝いて、散っていく、そんな生命。
未来への認識があまりにもぼやけていること、行動指針は幼い頃の私を幻滅させないこと、割とすぐに「久しぶりだね」ということ、ほとんどのものが私の時間の概念が圧縮されていることを暗に語る。一年前のものでも懐かしい、と私はいう。だってその時にもう帰れないことを実感しているから。逆に、終わって欲しくないもの、終わりを受け入れられないものに関しては私はひたすら思い出して、自分の胸に刻み込んで、傷が流れ続けるようにする。触れ続けていれば、それは今のものとなるから。

「長生きしてね」
この年齢で、こんなにもそう言われることがあるだろうか。それに対して曖昧に笑うことしかできない私は、生への執着が薄すぎるのではないか。生きるって頑張ることだと思うし、頑張ってはいる。その方が嬉しいことを感じられるチャンスが上がるし、それに体を張っているわけでもないのに、手放すつもりでいる、と言葉だけでいうのはあまりにも失礼だから。

生きることは割と大変だけど、今の所楽しいことの方が多いから、別に辞めるつもりはない。
それでも、別に生き急がなくても、目標を定めていなくても、生命というのは波打ち際のようなものだと思っている。

いつか、全て跡形もなく流される。残るものといえば泡沫だけ。それは私たち人間がタイミングを決められることじゃなくて、波が来たら砂浜に刻んでいたものは全て消えるような感覚と一緒で、時が来たら引き上げたり、流されたり、変化を余儀なくされる。

when the tides come in, we will have to go. 
珊瑚が見てきた果てしなく長い歴史の中で、私たちが関われるのはほんの一握りの時間のみ。

その時は、必ずやってくる。だから、その時が来るまでは、そこの環境や風景を精一杯楽しむので良いと思っている。

それでも、何も残っていなくても、そこにいたのは事実だから。
心のかけらを少しずつ砕きながら、置いていくことになるから。
それは、珊瑚に混じって、私たちを超えて残るから。

やっぱり、水の中での方が息がしやすいし、水の中から見上げる太陽が一番綺麗だと思っている。

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