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【早まった読書感想文、規制から生まれる狂気の末路ーパノプティコンを凌ぐシノブティコンの現代へ緑の魔酒を注ぐー】


『ドラッグの誕生 十九世紀フランスの〈犯罪・狂気・病〉』を読んでいる道中。読了まで我慢できなくて綴る。読了後に感想文を書こうというものなら、軽く一万字は書かせられるであろう読書体験中なわけで。

さて、今日も書こう。『岸辺のない海』に漂着した実在しない自分の右手で。

酒精の教皇と、止木場の紳士、敬服せるお二方が共通でお読みになっているというのだから、どうしても鼎談をそのうち成し遂げたい青二才は、一足遅れで積読りました。

光刺すフランス、闇翳るドイツと二項対立として仮措定したのも束の間、結局のところどちらも相応に「狂気」を幻出したこと、やはりその起源は19世紀にこそあると訝しげたわが直観は正しい。このムジナの穴蔵のロープを強く握りしめながらも暗黒の地下へ降っていくほかない。

まず、フィロキセラが蔓延する、そしてアブサンがその煙幕的混乱から渾々とファウンテンのごとく湧いて出てくる、その歴史的必然性はやはりフランスにこそ相応しいとの予感も、既に読了前からテオーリアする。

そして時代の進歩とともに登場する科学的アブサン(仮称)の火付けをするチェコ・アブサンの登場を、ここで私は妄想の域からまず取り出して、歴史の必然性の元に措定しなければならぬ。20世紀の概括がもし超現実的狂気の世紛いごとならば、その地でそれが登壇するのも、やはり必然的である。
(この点はベンヤミンの記述方法に貫かれた『プラハ、ニ〇世紀の首都:あるシュルレアリスム的な歴史』を参照のこと)

翻って19世紀ときたら、ベンヤミンの『パサージュ論』に見るように、『狂気』の都はやはりパリなのである。細菌を発見したコッホやパスツールをきっかけとして、人口統計学と手を組んだ19世紀の衛生学の齎す概念は、個人から集団へと一挙呵成に還元される。その具現は、ナポレオン三世とオスマンの抜本的な都市改造によって、その衛生感を隅々まで市民の集合的無意識にまで訴えていくことになる。こうして疫病、性病、失業者の群れ‥は社会を弱体させるものとして、一掃を目指された。

「本来は個人レベルでの病であったはずのアヘン中毒やアルコール中毒は、人口全体へと拡大する「疫病」のメタファーで語られ始める。」

巴里の夕暮の、黄昏の郷愁を、アブサンが連れてきた頃に、社会という一つの生命体はそのようなうねりを体現していたのだ。

こうして、執拗にベンヤミンに感化を受けてきた我が直観もやはりただしい。ここでの紹介本はアナール学派やフーコー的なアプローチをするというような相違はあれ、文学・哲学的にも我が視座に収まる、繋がる。知的興奮。博覧の是。愛智の極。

そしてこの本についての談義会合を三密でしたくなる。

読むべき本を指南してくださる先達がいるというのは、何よりも幸福である。でなければ星の数ある叡智の大宇宙で、知恵の血となり肉となる魚としての本を渉猟し、我らが進むべき未来として到達すべき社会(そのようなものが未だあるのかは甚だ疑問ではあるが)への方舟の舵取りをすることは到底できやしない。

もし万が一、「大学」とやらにいく意味が未だあるとするならば、こうした水先案内人を捕まえることをもってしてであろう。「授業」とやらの形式にしがみついている場合ではなかろう。積んだ本の数だけ、視座は上昇し、禁欲道徳としての堤防の外側が見渡せるようになるだろう。そこまでして漸く自ら「学ぶ」ことができる。そうまでしたなら、高い学費を払った意味もあるといえよう。比喩的な意味で、この人工的=ノモスとしての堤防は、規制、夜警、国家、リヴァイアサン、多数派などとも呼ぶことができよう。ドラッグを無批判に規制するのはそれそのものを害悪と規定している社会に於いて当然のことである。その害悪と規定されたきっかけはなにか、そのとき社会はどうなっていたのか、そこまで遡らなければ、知的探究を怠らんと欲さなければ、見えてこない。ましてやそこに「自由」を甘言し、享受しようと模索するのならば。

何事も周到に準備しておくこと。例え革命だとしても、ゲバラのように密林にもエクリチュールを持ち込まんとすること。でなければおいそれと「自由」なんぞ手に入る術はなく。まだまだ同じ墓穴を掘り進める狢は少ないと言えよう。知的武闘派の革命家を待望するという夢想。

無論、このような論調は西洋文明的功利主義の偏見から出るものではないが。

人口に膾炙する死に至る病。しかしそれはサルトルも大江もいうように、本来的な意味での死ではない。その都市を覆う濃霧=規制あるいは喫緊的にいえば自粛警察とでも俗称されるもの、息を吸えば自然とそこに存在するもの。しかしそれは所詮は都市を構成する即物的な一物に過ぎない。すべては繋がっている。歴史も文学も酒も医学も、そして感染症も薬物も。規制を繰り返すだけの見るも無残な悪循環的帰結だけは避けたいと、必死で読む次第である。武闘ならぬ知的舞踊をば。

まだ序章しか読んでいないにも拘らず、此処まで書かせる文献なのである。読書趣味者は忙しい、コンスタントにインプットするも、知的興奮の波に流され、漂着した新天地でのインスタントなみかん箱を取り出しての急ピッチのアウトプット。

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