ひつようあく。


必要のないものをどんどん縮小していく流れ。

いいことばかりだろうか。

お茶出し職員の廃止のニュースをみながら思う。


良い悪いは別として、人間がしなくてもいいことが

どんどん増えていくのは好ましいことばかりだろうか。


仕事自体が機械にとられて、必要がなくなって

喜べるのは一部の人たちばかりではないのか。


ちょっと視点を変えてみると、何がみえてくるか。

人件費をとにかく削る。

人口減少に対応する効率化もあるから歓迎される。


しかし、不必要な仕事が収入源で生命線である人が

いるとしたら、その家庭に生まれた人だとしたら。


絶対に不必要だけど生活のために、近い将来は

「働く場をあえてつくる必要」も出てくるはずです。


良いと思えたことが時代が変わると逆に悪くなる。

不要と思えることが、時代が変われば必要になる。


私たちの社会は、どうもいったんバツをつけると

その後、未来永劫バツでかまわないと決めつけがち。


そのうちになんだか具合がおかしくなってきても

バツにした後、ひっくり返すという選択を捨ててしまうから

どんどんタイトに絞り切るという方向にいくしかなくなる。


いつもなんだか退路を断って前に進んでいく。

それ自体は正しいことなのかもしれないが、

どうやら苦しくなってきていることにみんな気づきだした。


便利の対極にいる不便。

効率の対極にいるテマヒマ。

これからの社会で逆をとっていくことが、

あらゆる意味でヒントになる気がします。


人を削れば、働けない人も増える。

働けない人が増えれば、消費する人が減っていく。

会社を維持するために人を減らす、ムダを減らす。

持つ人は富み、持たざる人は天を仰ぐ。


どんどん買わせようとするが、買う人の絶対数が減っていく。

利益がなくなるからと値段下げられない、一度買えば要らない。

買ってくれない、値段が下がる。成り立たなくなる。


もっとバランスをとる必要があるのではないだろうか。

私たちはどんな立場にいるとしても、

自分の正しいと思うことのラインや目線を

意識的に下げてみたり、角度を変えたりしながら

より広い視野でさまざまなケースを想定しなきゃならない。


このままいくとこうなっちゃうかもしれないな。

自分は大丈夫だからいい。ほかの人はほかの人だし。

自己責任でしょ、自分でなんとかしてよ。


花ばかりみて、枝や幹、根っこに水が行き届かない。

枯渇してから初めて気づくのでは遅すぎる。


高度成長→成長の維持→生き残りのための切り捨て

→次の時代はどうすべきでしょうか?


これ以上、何を捨てろというのか。

捨てたものが循環しない、ヒトもモノも循環しない。

ヒントは常に、逆に考えることで生まれる。

採らなかった選択肢にも大きなヒントは隠されている。


おそらくは、それに気づいていないのではなく、

みようとしていないだけだと思う。


助けたら巻き込まれて、巻き添えを食うとか。

ミイラ取りがミイラになるとか。

いろいろと言って避けて、排除してしまうけどね。


どんどん小さくなり、少なくなっていく資源のように

私たちの選択肢もどんどん少なくなっていくのではないか。


このネタ、なんだか以前書いた気がする(笑)

まぁいいや、いまのこの気持ちを書き留めるのも

それはそれで悪くはないだろう。


時を戻そう、いや戻せないからこそあえて

時を戻したテイで考えてみてほしい。


フォレたちに明日はある。


「ぺこぱ」みたいなオチで締める(笑)

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