1993年2月1日。 「21:00帰宅。avexのタイアップ考えるために、ジュリアナCDもらって聴くが苦行」 そりゃ苦行だ。 ここまでの忘却レコードショップのラインナップを見ていただければ察していただけるでしょう。 でもこんなタイアップ、本当にあったのかな。在籍してたサブカルチャー雑誌のカラーにはあまりにも不似合いなジュリアナ東京。たぶん企画書くらいでボツったんじゃないでしょうか。 嫌いでした。 あ、はっきりすぎるほどはっきり言った。
1993年2月10日。 「借りた森田童子ベスト。「ぼくたちの失敗」は普通に涙が出る」 4月29日。 「「ぼくたちの失敗」シングルCDももらう」 ベストは「高校教師」5話と6話の間で聴いてますね。 私がいかに桜井幸子さんと「高校教師」に身悶えし続けたかは、忘却ブラウン管をご覧ください。 いま改めて曲だけを聴き直してもすばらしいなあ。 最初と最後の繰り返しの間の4パート。これだけの少ない言葉で、起承転結のドラマが鮮やかに浮かび上がってくる。 それを「春のこもれ陽の
1992年12月6日。 「日曜日に編集部後、17:00六本木WAVEでやってた、小西康陽さんと橋本徹さんの「黄金の七人」イベントを少し見る」 12月28日。 「「黄金の七人」もらう」 フリッパーズ・ギター効果で盛り上がってた「黄金の七人」がついにCD復刻発売されたときとかでしょう。
1992年11月26日。 「六本木WAVEにサバービア・スイートコーナーできてて、JOHNNY LYTLEのCD買う」 サバービア・スイートについては以下、忘却マガジンストアを参照ください。 そしてこれは2枚のアルバムをまとめたCDのようですけど(いまでも持ってますけど)、まったく記憶にないです。
1992年10月22日。 「フランソワ・ド・ルーベの輸入盤アルバム買う」 フランソワ・ド・ルーベといえば私の中では「さらば友よ」と「冒険者たち」のサントラの作曲家。 さて以下忘却映画館にも書いてるんですけど、「さらば友よ」(68年)のテーマ曲と、エンニオ・モリコーネ御大の「アンタッチャブル」(87年)が似てる気がするのは私だけでしょうか。 まあ映画サントラとしてはありがちな旋律とアレンジと言えばそれまでですが。
1992年10月18日。 「借りたピチカート・ファイヴのLP「ピチカート・フリー・ソール」ダビング」 調べると3つ前に登場の「スウィート・ピチカート・ファイヴ」のリミックスアルバム(LPレコード)のようなんですけど、なんでピチカート・ファイヴのウィキにも載ってないんだろう。 (93年発売の「FREE SOUL 2001」とは別物です)
1992年9月15日。 「ムーンライダーズの新譜「A.O.R.」サンプルテープ聴く」。 後にちゃんとCD買いました。 91年に「最後の晩餐」で復活したムーンライダーズ。 復活2作目は、メンバーの中でもポップなメロディメーカーの岡田徹さんと白井良明さんのプロデュースによるこの大名盤。 とくにA面(便宜上そう呼びます)。鈴木慶一さん作詞で、岡田さんと白井さんによる怒涛のポップチューン。 でもムーンライダーズでないとできない曲とサウンドのひねくれ具合と、老後を迎える
1992年9月13日。 「Bunkamura。14:00、誘われたロマ・イラマのライブ。インドネシアのロック」 ワールドミュージックが好きな友人に誘われて、ですけど、もう何も覚えておらず。 でもそれが本名なのでしょうがないですけど、昭和の九州の人がプロレスラー「ボボ・ブラジル」と聞いたときのような、エロ専の私には目を疑うお名前。 ちょ、マチオ(木村拓哉さん風に)。
1992年8月24日。 「9/21発売のピチカート・ファイヴ「スウィート・ピチカート・ファイヴ」のサンプル借りる」 勤務してた月刊誌編集部に届いたやつです。 「万事快調」「CDJ」収録アルバム。 ただ前に書きましたが、初期ピチカートの熱狂的なファンだった私は、このころから少し熱が冷めてしまいまして、ちゃんとは聴かなくなってしまったんですよね。 30年くらい経って、改めてこの時期にもハマるんですけど。
1992年8月8日。 「後輩にジョン・バリー「ナック」のサントラもらう」 「映画の渋谷系」は小西康陽さんプレゼンツの「ナック」のリバイバル上映から始まりました。 以下、忘却映画館にそんなことを書いてます。 サントラは「007」のジョン・バリー。 でもこのとき以来、ずっと聴いてなかったなあ。
1992年6月5日。 「森高千里「ROCK ALIVE」借りる」 勤務してた月刊誌編集部に届いたサンプルカセットだったと思います。 調べたら代表曲「私がオバさんになっても」収録アルバムでした。いま聴いてもずっといい曲。 でもいまの人には信じられないでしょうけど、本当に歌のとおり女盛りは19歳で、24歳過ぎたらクリスマスケーキのたとえで売れ残りと言われてたんですよね。 昭和はモラルのない時代だったからそんな女性蔑視なことを言えた、だけではなく、昭和の人は男も女も
1992年3月23日。 「朝、えとせとらレコードに行ったとき、ミシェル・ルグラン「おもいでの夏」サントラ買う」 ミシェル・ルグランのサントラをよく買ってる時期ですね。 これはこの2か月前にレンタルビデオで見て、それ以降、私に深く刻まれた1本となった映画です。 私が大好きな「年上女性への憧れと童貞喪失と別れ」というジャンルがあるんですけど(そんなことを原稿などでわざわざ文字にしてるのは私くらいですけど)、その中でもとりわけの1本。 そしてミシェル・ルグランの中でもとり
1992年3月19日。 「「泣かないで」の原題「ONLY WHEN I LAUGH」は、高橋幸宏がアルバムタイトルにしてた」 これ正確にはこのとき、大好きなニール・サイモン原作「泣かないで」という映画を見たときの日記で、このアルバムを聴いたのはもっと前です。 日記には断定で書いてますけど、幸宏さんはこの映画からアルバムタイトルをつけたで間違いないですよね? 1曲目「WEEKEND」MVが公式にありました。 これ「ONCE A FOOL」などでも書きましたけど
1992年3月18日。 「えとせとらレコード行ったとき、「シェルブールの雨傘」当時の日本版サントラを見つけて買う。1,500円」 前項の歌謡曲特集で伺ったときですね。 「ロシュフォールの恋人たち」のほうがどうしても繰り返し聴いてしまって、こちらはレコードラックに刺さったままでした。そのうち聴き直します。
1992年3月13日。 「友人宅へ。手土産持参で、借りてた歌謡曲EP戻し。夜、またしても終電まで歌謡曲特集作業。倉田まり子「HOW!ワンダフル」がいい(笑)。♪男がいて女がいて恋ができるの~」 勤めてた月刊誌で古い歌謡曲の特集をやることになって、新人おつかい係の私は、あっちこちでシングル盤のジャケ探しに奔走してました。 いまみたいにネット漁れば出てくる時代ではないので、蒲田の中古レコードショップ「えとせとらレコード」に借りに行ったり、上記日記のようにDJやってて歌謡曲も
1992年3月10日。 「友人宅でダビングした、森口博子「ETERNAL WIND」ばかり聴いてる」 以下忘却映画館に書いてますけど、熱狂的なガンダムファンでしたけど、Zガンダムくらいからはもう記憶も薄れ、これが主題歌の「F91」くらいを最後に見なくなってしまいました。 でもこの曲は永遠に好きだなあ。いつも森口博子さんの声で泣けてきます。