完璧な文章に近づくために

完璧な文章は存在するのか。また完璧な文章とはどのような文章なのか。

私の答えは「完璧な文章は存在しないが、完璧に近い文章は存在する。それはより分かりやすくより正確に伝わる文章」だ。

ところで「分かりやすい文章」と「より正確に伝わる文章」ではその方向性が異なっている。

より多くの人に伝える文章には分かりやすさが求められるが、考えや思いをより正確に伝えるには、並の文章力では分かりやすさからは遠ざかってしまうだろう。
伝えたい事柄が複雑であるほどに、分かりやすく伝えることは難しいし、分かりやすく表現することで正確さが損なわれてしまうこともあるはずだ。

総じて分かりやすさと正確さを兼ね備えた文章を書くことは極めて難しい。

両方を兼ね備えることが出来ないのなら、私はより分かりやすい文章で多くの人に読まれることよりも、より正確に伝わる文章を書く方を選ぶ。
言い換えれば10人に7割伝わる文章より、5人に8割伝わる文章を書きたいと思っている。

それを突き詰めれば、分かりやすく伝えることは親切さでもあり、正確に伝えたいという思いは独りよがりで傲慢なのかもしれない。

それでもこと文章に関しては、私は何よりも正確さを大切にしたいと思っている。

分かりやく親切であることと引き換えに正確に伝えることから遠ざかってしまうのならば、私は独りよがりで傲慢であることを受け入れる。それは文章を書くことにおいての嘘偽りない今のところの正直な思いだ。

もちろん文章を書く上での心がけは、他の多くのことと同じく人それぞれであるから、分かりやすさを何より重視する方がいてもその姿勢は尊重したい。

ところで私はより正確な文章を書くために、1度書き上げた文章を少なくとも30回は書き直してから公表している。
書き終えた文章を一文ずつ読み直し、にらめっこをしながらフレーズを入れ替えたり、より適切な表現に書き換えたりすることで、自分の考えと書かれている文章との間合いを埋めていく。

例えば「消えてしまうのかもしれない」と「消えてしまうかもしれない」のどちらがより自分の考えに近いかを考える。「のかもしれない」と「かもしれない」の違い考え、その文脈により相応しいフレーズを当てはめる。

またスマホで読み直して気付けなかった文章の違和感をタブレットで読み直して気付けることもあるから、読み直す時には異なるデバイスを活用する。さらには印刷してから紙で読み直すと、より客観的に自分の文章を読むことが出来る。
他にも朝と夜でも気付けるポイントは異なるだろうし、フォントによっても文章の見え方は異なっている。

いずれにしても文章を書き直すことは、目の前で自分が書いた文章がより良い文章に変わっていく過程を体感出来るから、私にとっては何より楽しい作業だ。

30回書き直して31回目に読み直した時に初めて気になる表現が見つかったり、削った方が良いと思える文章が見えてきたりもする。だから書き直しは際限なく続けられてしまう。

自分の考えを正確に表す文章を書くことには終わりない作業が伴うが、どこかでを書き直しを止めて完成としなければならない。

その書き直しを止めるポイントが何よりも難しいが、書き直すことで完璧な文章に近づけるのならばその作業は惜しみたくない。

いわば完璧により近い文章を到達点とした完成を見極めるために、私は日々自分の文章と向き合っている。

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