りんごについて語るとき
「明日世界が終わるとしてもあなたはりんごの木を植える人だろうか」
早朝のカフェテラスで彼女は僕にそう尋ねた。手元のブラックコーヒーには朝日が小さく映っていた。
「僕は世界が終わる前日にりんごの木を植えるのだろうか」
「実になることのないと知りながらりんごの木を植えること。それは終わりを知った者が奏でるはじまりなのかもれない。あたなは目的のないはじまりを歩むことができる人だわ。ただ、ただそれはね」
彼女はそこで言葉を切った。僕はシュガーとミルクをたっぷり入れたコーヒーの柔らかい甘みを味わい、彼女の言葉の続きを思考に結びつけた。
世界の終わりを知った男が、あるいは女が、それでもりんごの実を想い、木を植える様にはロマンが宿っている。しかしそのロマンの裏側には、世界が終わるという現実から目を背けているという逃避が隠れているのではないか。
「僕は幻想で美しく現実を隠そうとしているのかもしれない。華麗な虚偽で残酷な真実から目を背けているのかもしれない。希望を盾に現実を隠しているのかもしれない。月がその姿を闇に隠すようにね」
それは彼女に向けられたのか、自分自身に向けられたのか。言葉は余韻を残して消えていった。彼女はその余韻を掴み、新たな言葉を放った。
「そうね、我々は世界の様々な現実から目を背けている。いつか死ぬをことを知りながらも、死を語るより明日への希望を想って生きているから」
彼女は目の前のブラックコーヒーをただ見つめていた。その目に朝日は映っているのだろうか。
「世界が終わる前日にりんごの木を植えずに現実を直視するならば、僕らは何を見て、何を語ることができるだろう」
再び僕は思考を巡らせた。
「りんごは丸くて赤く芯が通っている。丸は形の中心で赤は色の真ん中だ。この問いは丸くて赤く芯が通っているりんごだからこそ意味を持ち、我々に世界の見方を教えてくれる」
「それで、思考の巡回を経た後にもう1度尋ねるけれど、あなたは明日世界が終わるとしてもりんごの木を植えるのかしら」
一呼吸間を置いてから僕は彼女の問いに答えた。
「やはり僕は明日世界が終わるとしてもりんごの木を植えるだろう」
いつかは訪れる別れを悟りながらも、目の前の恋人を盲目に愛するように。
「ところで君はどうしていつもブラックコーヒーを飲んでるの」
朝の光はコーヒーの暗闇の中でその輪郭を示していた。
「わたしはただ真暗なコーヒーが好きなの。シュガーもミルクもいらない。真実が見えにくくなるからね」
彼女は明日世界が終わるとしてりんごの木を植えるのだろうか。
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