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【あの卒業生は今】益子哲生さん

【あの卒業生は今】vol.22
今回はあることに10年以上も打ち込み、実績を上げてきた益子さんにインタビューをし、学生時代の経験や社会人としてのエピソードをお聞きしました。


-はじめに自己紹介をお願いします。
 2006年に経済学部経済学科を卒業しました、益子哲生です。現在はセールスフォース・ジャパンという会社でエンタープライズ首都圏営業本部第二営業部部長として勤めています。


-学生時代の印象に残っていることはなんですか?
 受験後初めて町田に足を踏み入れた時は自分の想像していた東京とはまた違うなっていうのが第一印象でした。とはいえ大学時代は大学の建物とか雰囲気がすごく好きだったのが思い出です。壁がバーンとあるわけではなくて、町から隔たりなくふらっと中に入ることができて、けやきの広場に入ると建物に囲まれていて、緑もあって、大きな公園にいるような感覚で気持ちがよかったのを覚えています。
 大学の近くに住んでいたので、友人と遊んでいるときは終電を気にしたうえで終バスも気にしなきゃいけなかったのがすこし嫌でしたね。(笑)
 あとは大学なので自分とは違う「人種(生まれ育ちや考え方)」に触れるのはもちろん刺激的でしたし、経済経営、英語、芸術とか色々な学部があるので、出会う人ごとにいろんな一芸を持ってる人たちと出会う瞬間が多く新鮮でした。


-何かサークルや団体には入っていましたか?
 「OEP」というサークルに入っていました。当時はラップがメディアでも流れるようになったりして、ラップやHIP-HOPがはやり始めた時期で。自分はラップを歌っていました。大学祭でライブをしたりもしました。体育館いっぱいに600人くらいの観客がいる中で、ダンサーと一緒にステージに立ちましたね。最高の思い出です。
 始めたら癖になりました。ラッパーとしてどこまでいけるのか試したくなっちゃって、町田のクラブとかで歌いながら頑張った時期があります。結婚して子どもが生まれるまでなので就職して10年ぐらいは続けていました。


-他にはどんな活動をなさっていたのですか?
 基本的には友人と二人組として活動していました。渋谷や横浜のクラブのイベントでライブさせてもらったり、ライブのトーナメントに出たりとか。サラリーマンしながらだったので少し大変でしたね。
 ファンキーモンキーベイビーズが町田のクラブでずっとライブしていたんですよ。毎月同じイベントに出させてもらっていて、その出会いの延長線でファンモンのライブツアーは一緒に回ったりしました。各地で関係者とががいるアフターパーティーをするんですけど、そこでライブで出るとか。そんな感じでした。
 「フリースタイルダンジョン」にも当時走りで参加したりもしました。
 一昨年久しぶりに歌う機会もありましたね。勤めている会社全体で「アメリカズ・ゴット・タレント」をモチーフに「セールスフォース・ハズ・タレント」というイベントが開催されたんです。そこに日本の社員のラッパー4人くらいで曲を作って応募しました。そしたらまさかの東京予選、アジアパシフィック予選を通過してしまったんです(笑)世界予選なんかはアメリカの芸能人が司会をしてくれる規模です。しかもそこで優勝してしまったんですよね(笑)


-想像を絶する規模の経験で驚きました!お話を聞いているともう十分なほどの経験量にも感じますが、大学生のうちに経験しておけばよかったと感じることはありますか?
 あります。語学を学ぶことに打ち込まなかったことですね。今はビジネス英会話教室に通っています。お金をかけてわざわざ学び直すんですよね、大人って。(笑)なので学生時代に真面目に勉強していればよかったなあと思います。あとは何かほかに打ち込めるものを見つければよかったなあとも感じます。そうしたら今よりも選択肢を増やすことができたと思います。でも今の生活が嫌いなわけではないです(笑)


-逆に、経験していてよかったと感じることはありますか?
 裏返しになりますが、ひとつのことをやり続けたのは自分の中で大きいと思います。たかが音楽、たかが歌ですが10年以上何かをやり続けるって人間なかなかできることではないと思うんです。そのきっかけが桜美林での経験なので、続けてよかったなと思います。


-卒業後の進路について教えてください。
 卒業後はTMIソリューションズ株式会社(旧トッパン エムアンドアイ株式会社)というサーバーやIT機器の代理店に就職しました。そこである自動車メーカー担当の営業チームで12年ほど勤めました。
 最初の3年ほどは議事録をつけるくらいしかすることができなかったし、周囲には「ザ・理系」という感じの人が多くて、自分は壁を作られやすかったです。そのため、円滑にコミュニケーションをとるための立ち回り方などを意識していたので、何かIT関連の専門的な技術というよりは人間力や考察力を学んでいきました。何年かすると先輩方に認められて社長賞を受賞したり、自分も営業活動をすることができるようになってきて、32歳のころには自分も一丁前になったなと感じました。
 そのタイミングで、この会社に居続けるのは自分の為になるのか?営業という仕事で世界ランキングを付けたら何位なんだろう?という疑問が生まれたんです。営業力を鍛えられる面で世界NO.1として有名だったのがセールスフォースだったので、門を叩いてみようかなと考えました。地元の野球部のエースが大リーグに行くみたいなイメージです。(笑)
 そこから何回も何回も面接して一社だけ受かって、そこから現在6年目です。3年ぐらい営業マンをして、今は部長になって3年目です。営業マン8人のサポートをしています。


-なぜIT系の仕事を選んだのですか?
 かっこよかったのが一番大きいですね。(笑)アメブロとかmixiとか、SNSの流行の始まりの時代を見ていたので、その分野にネットの可能性を感じました。ネットを介して家族や友人とつながったり、田舎と都会が繋がったり、フォロワーまたはメンバーが増えたりしてコミュニティが広がっていくことって夢がありますよね。


-仕事をする中で意識していることはありますか?
 客観的な視点を意識しています。営業では誰かに何かを説明する場面が多いので、説明を聞く側の捉え方やその結果の感情を考えたりしますね。難しい話をむずかしく話すのではなくて、誰でもわかるように変換して伝えます。
 これってダンスや音楽にも言える話だと思うのですが、自分が何をしたいかも大事だけどもっと重要なのは見る人が何に感動するのかとかどう伝わるのかとかだと思います。なので言い換えると「伝える、伝わる」を意識したコミュニケーションをしているのかな。


-誰かの上に立つ役職だと思うのですが、その際に意識していることもお聞きしたいです。
 自己開示は大切にしています。一緒に仕事をしていくうえでお互いに理解のないまま動き始めてもうまくいく確率は低いと思うので、まずは自分から人間性を伝えます。そうすると向こうも教えてくれると思います。そうやってお互いが伝え合えれば少しでも理解が生まれて、変なストレスが生まれずに仕事することができるんじゃないかな。


-あなたにとって桜美林大学とは?
 新し打ち込める何かを見つけた場所であり、ユニティというか集まってみんなで大きく輪になっていくきっかけをくれた母体であり、大事な仲間を作れた場所です。ざっくり言うと「落ち着くホーム」って感じです。

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