はる

日本のすみっこでひっそりと息をする一児の母。

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最近の記事

彼女がいる人を好きだった5年間のこと(4)

あの日以来、ヨシダ君と仕事帰りに飲みに行くことが増えて、私たちはとても仲の良い先輩と後輩になった。 季節は秋になっていた。 ちょうどその頃、職場で大きな仕事を任されることになった。私にとっては初めての大きなプロジェクト。なんの因果だろう、サブで付いてくれることになったのは、ヨシダ君だった。 私たちは、本当に良いチームだったと思う。毎日遅くまで残業して、大変なこともたくさんあったはずなのに、自分たちで考えたことが形になる、ということが嬉しくて毎日が楽しかった。ヨシダ君は、

    • 彼女がいる人を好きだった5年間のこと(3)

      とある金曜日の18時。私たちは、駅前で待ち合わせをした。同じ職場の先輩と後輩で、飲みに行くだけ。自意識過剰に思われたくなくて、お店はよくあるチェーン店の居酒屋にした。 私のほうが少し早く着いた。季節は夏。まだ空は明るくて、ヨシダ君を待っている間、ぼーっと空を眺めて過ごした。この日のことを思い出すたび、あの空の色を思い出す。 おつかれさまです、と声がして前を向くと、ヨシダ君がいつもの笑顔で立っていた。半袖のワイシャツに、流行のネクタイ。髪の毛はワックスできちんと整えられてい

      • 彼女がいる人を好きだった5年間のこと(2)

        その日、ヨシダ君は、上司から大声で怒鳴られていた。 何があったのかは分からない。ヨシダ君がものすごいミスをしてしまったのかもしれないし、パワハラ気味のその上司の、虫の居どころが悪かったのかもしれない。とにかく、いつも明るくて人懐っこい笑顔のヨシダ君が怒鳴られている、そのことが私の胸を苦しくさせた。ヨシダ君の顔は見えなかった。いつも姿勢の良いその背中が少し丸まっていることに、ますます胸がギュッとなった。 こういう時に、先輩としてどう対応すべきか分からず、上司から解放されたあ

        • 彼女がいる人を好きだった5年間のこと(1)

          24歳の春。 会社に新入社員が入ってきた。何十人と採用された社員のうち、私の部署に配属されたのが、ヨシダ君だった。 ヨシダ君のことを思い出すとき、「ジョゼと虎と魚たち」という映画に出てくる妻夫木聡の顔が浮かぶ。爽やかで、人懐っこい笑顔。誰でも分け隔てなく接するから友達も多いけど、チャラチャラしているという感じではなく、どちらかというと堅実で真面目。だけど、流行ものが好きなミーハーさがあったり、酔っ払って女友達と寝てしまうような軽さもある、今どきの男の子。 配属されてすぐ

        彼女がいる人を好きだった5年間のこと(4)

          真夏のソーダ水のような幸せ

          コロナ禍の中、色々な思いはあるものの、息子と共に実家に帰省している。 私を産み、育ててくれた父と母が、2人にとっては孫となる息子を、これでもかと可愛がる。その様子を見ているだけで、胸がぎゅっとなるのは、どういう心の仕組みなのだろう。 息子の誕生日パーティーをしよう、ということになり、実家の和室を、ダイソーで買ってきた風船やガーランドで飾り付けをした。和室にそぐわない色とりどりの風船。漆塗りの渋めなテーブルの上の、バースデーケーキ。決してインスタ映えはしないその光景を、私は

          真夏のソーダ水のような幸せ

          好きだった人のこと

          旦那さんと出会う前に、ものすごく好きだった人がいて、5年間ほど片思いをしていた。その人には、大学時代から長く付き合っている彼女がいたけれど、私はめげなかった。その彼女とは別れて私と付き合って欲しい、と何度も告白し、その度ふられ、そして、とうとうその人は彼女と結婚した。 相手の結婚で幕を閉じた片思いに、食事も喉を通らないほどに打ちのめされ、世界は灰色となり(本当に文字通り景色がモノクロにしか見えなかった)、夜は睡眠薬を飲まないと眠れなかった。静寂が怖くてワンルームの部屋でずっ

          好きだった人のこと

          これが私という実感

          息子が4歳になった。 結婚してすぐに子どもが欲しくて、長くて長くてひたすらに辛い不妊治療を経て、息子が産まれた。子どもが生まれてからは、世界がひっくり返ったかのように私の人生は息子中心になり、子育てが私の全てになり、お化粧や、おしゃれや、好きな映画や音楽や、そういったものからは遠ざかり、母親として生きるようになった。子育てという作業は、辛くて苦しいことも盛りだくさんだけれど、やっぱり息子はかわいいし、我が子の成長は涙が出るほど嬉しい。この子がこの世に生まれて来てくれただけで

          これが私という実感