見出し画像

うっかりが過ぎる日に泣いても良いし笑っても良い。

こんにちは。

お正月休み。例年に比べて時間に余裕があるのでnoteを連日投稿してみるチャレンジ。

カフェのアルバイトは元旦だけお休み。
他は短縮営業ということで短い時間ではあるが楽しく働きに出ている。
楽しいは嬉しい。が、楽しかろうと嬉しかろうと物理的に身体は疲れていくもの。

自分ではこれぐらい余裕!と思っていても思いの外、生活のために家事炊事掃除をしていたり、年末年始は家族総出でのお付き合いもあって人に会い、食事もするので体力は確実に消耗していることを私はうっかり忘れてしまう。

うっかり忘れてしまって活動していると、うっかりミスを連発する。

恐ろしく記憶力や集中力が優れている場面と、とんでもなく判断力や行動力が機能しない場面の差が私はとてもひどく、『ねぇ!そんなミスする!?』っていううっかり具合が我ながら酷いことがチラホラある。

ほんの数年前まではそんな自分への自己嫌悪と自己肯定感の低さが地面を掘って下回っても足りないぐらいだったが、今はうっかりな自分を自己受容できているのか過剰に落ち込んだり、のたうち回ったり、泣き喚いたりは減ってきたというか、しなくても日常生活を継続できるようになりつつある。

じゃあ笑い飛ばして元気かっていうと、そうとは言い切れず、ダメージはしっかり受けている。ネタにはなるな、ぐらいの気持ちで静かには受け止められるようになりつつあるが、うっかりミスはとても恥ずかしい気持ちになる。ちょっと一瞬自分の存在を消したくなる。今ここにいる私はカリソメの私。本当の私ではない!と叫びたい。隠れる穴をくれ、と心底願う。透明マントでも良い。願いは虚しく残念ながら私は大人の女性の平均身長よりも遥かに図体がデカいので物理的に目立つことからは逃げられない上に、しっかりしていたい理想の私も私だし、うっかりな私も私なのだ。現実を受け止めるにはファンタジーに逃げないことだと山田ズーニーさんの話を聞いてから、私は本当の自分探しをしなくなった。話は逸れた。で、ミスプレイをした時はとにかくなるべく平静な振りをしている。動揺はダダ漏れだよ、って自覚していても可能な限り【しれっと】していたい。理想は高く持つタイプなので『私失敗しないので』と行動も実績も伴っていたいところだが、理想と現実は綺麗に反比例の曲線を描いているのが私の日常だ。
なのでキッチリしっかりしたい人は私の立ち振る舞いにモヤモヤすると思う。
今の職場は私の頑張りたい気持ちとそれに全く伴わない挙動不審さをセットで生温かい目で見守ってくれる最良のメンバーに恵まれているので楽しく働かせてもらっている。

そんな私のうっかりを書ける範囲で書き出してみる。

・親子料理教室だと思ってエプロン持参で参加したらケータリングの食事を食べるだけのイベントでとってもオシャレな空間で親子で美味しいものをオロオロ食べて帰ってきた(主催の人がお料理イベントをしている!という前情報とイベント開催日だけ見ていて詳細を把握しきってなかった)

・子どもたちを誘って愛知から東京まで参加しようとしていたイベントのタイトルが行きたいと思っていたものと行こうとしているものの主催と内容が想定していたものと異なっているという勘違いを参加計画途中に指摘してもらって初めて気がつく(行こうと段取りしてるからこのまま勢いで行っちゃうか、とは思っている)

・駅名が似ていてローカル線で目的地から全く逆方向を目指して会社の部門会議に遅刻しそうになる(前職の話。あまりにも方向音痴が酷くてそのあとは先輩や上司や同期が会議の日は家まで車で迎えに来てくれて本社まで連れて行ってくれていたので当時私の送迎を支えてくださった皆様には感謝してもしきれない!)

・常連のお客さんが不動産業をしていると思い込んでスタッフと話していた(大家をしていると思っていた)ら、名前がオオヤさんなだけだった。超勘違い!!!!

・すごくどうでも良いんだけど梅干しの種を唐揚げにしちゃった(唐揚げの下味に梅干しを放り込んでいて、衣つけるときにも揚げるときにも見落として、ナンダコレ?ってなる)

実にくだらないことの連続なんだけれど、これらのような一連のうっかりを手帳にメモして記録し続けた過去がある。3年くらい。その結果、体力と気力を消耗しているとただでさえ不安定な物事の段取り、見通し、確認を見落としまくっていることが把握できた。自己肯定感や運の良さの要素は関連づければ意味づけられるけれども、事実だけに着目したら落ち込む必要は実はないのかも!と気がつけた日から、慌てたり落ち着きが無くなったりが格段と減った。要は勢いよく踏み出してしまって、事前の確認が不足過ぎるのと途中の軌道修正が脆弱なだけだった。

ミスはする。失敗もする。ノーミスと成功のみなんて空想どころか妄想にしてもありえない。イタタ!なうっなりが途中経路にゴロゴロあったとして、ゴールまでどう行く?っていうのをその都度考え直して行動をやり直せばゴールには辿り着けると知った時の感動ったらない。

自分以外の人を巻き込んでのミスは迷惑をかけてしまうので、謝罪したり、反省の意を伝えたり、必要な対応をもちろんする。
もちろんするんだけど、ミスをしたら生きてちゃいけないんだぐらいの姿勢と態度でいないと許されないと思い込んでいた時期はただひたすら落ち込んで謝罪も反省もしても、必要な対応をなんとかして、その後も不必要なほど落ち込んで反省をしていたと思う。

今なら大事なのはミスを理解して、必要なリカバリーをしたなら、そのあとは普段通り過ごしても良いのに、私はミスをしたらその実行犯は世間や社会から許されないと思っていたから、許されまい自分の存在が許されるように立ち振る舞っていたのだ。

現実的にはその瞬間に誰かを失望させたり、嫌悪感を与えたりしても、永遠にそれを許されないほど自分の存在は他人から気にされていなくて、ミスをした自分を許せないのは私のミスの受けた他人ではなく、ミスを起こした自分なんだと思う。

この辺の言語化はまだまだ弱いのだけど【私の頭の中の思い込み】という色眼鏡やバイアス、フィルターが私の言動に色濃く作用してるんだな、ということを理解した。

なので、色々考え方が変化しても、うっかりミスは相も変わらず安定して発動する。

事実は変わらない。
でもそのあとの行動は変えられる。
そしてどんな行動を選択しても良いんだ、と知った。

何かを良いとか悪いとか判断するのは簡単で、でもその社会や世間や他人のジャッジで私の気持ちは左右されなくて良いってこと。伝わるだろうか?

社会や集団の中で気持ちよく過ごすためにルールや社会通念がある。

その中でルールや倫理を守ることが優先されるばかりが大事なことじゃないんだなぁと思う。

なんて文章を綴るうちに話を盛り始めて収集がつかなくなりそうだ。

大きなことを書くとそらぞらしくなる。
要は今日もうっかりミスを連発して恥ずかしいけれど、しれっと難なく笑って暮らしているよ、と言うことが言いたい。

新年早々のうっかりが過ぎる自分。
2015年あたりは毎度毎度泣いていたけれど、2020年は冷静に振り返って対応をし対策を立ててビールを飲んで笑いながらテレビを見るまでになっている。健全な成長ではなかろうか。

こんな風に感じられるようになったのは今日まで出会い、付き合い続けてくださる人たちのおかげに違いない。
今後もお付き合いいただければと願っている。

【文房具メモ】
本投稿のメイン写真はハルカゼ舎の日めくりカレンダーです。4センチ四方ほどのミニサイズに月日と曜日と素敵な一言が綴られているナイスなカレンダーはこちらからお求め頂けます。
ハルカゼ舎オンラインショップ

投稿写真は2019年のカレンダーです。
1ヶ月ほど日めくりしては、コクヨの測量野帳ノートのロフト限定版に貼り付けて日記を書いていたんですが早々に力尽きたのが去年です。
今年のnoteの投稿も徐々に失速しそうですが、そんなことは気にせず書いていこうと思います。

口調も文章構成も全然定まらないまま書いていて焦るのだけどひとまず書きます。
プールに浮いていても泳げるようにはならないんだよ、っていう痛恨のメッセージを他の方の投稿で受け取りましたので書きながら持ち味を探して作っていきます。


#blog #オバケ #オバケの森
#文房具 #文房具オタク #筆記具
#うっかり
#自己肯定感 #自己受容
#哲学対話 #哲学相談
#コクヨ #測量野帳
#LOFT