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心の語源は「コロコロ変わる」。制御できなくてあたりまえ

先日久しぶりに、実家の母と大喧嘩した。
怒り心頭で実家を出て、駅までの道を歩く。その日の東京の気温は35度を超えていたこともあり、怒りはどんどん増してくる。

しかしホームに到着した電車に乗り込み、冷房の効いた室内で車窓から移りゆく景色を見ていると、ふつふつと自分の非も感じてきた。「ちょっと自分も言い過ぎだったかも。謝った方がいいかな」としおらしく思い始めている。さっきまで怒りの火山爆発状態だったのに、今は反省している自分がいる。

最寄駅に到着し、駅のスーパーで買い物。パソコンの入ったリュックと共に重い荷物を背負ってまた炎天下を歩いていたら、なぜか母への怒りがまた沸々と湧き出てきた。さっきまでの反省はどこへやら、「人をなんだと思ってるんだあのクソババア」と汚い言葉が心の中に出てくる出てくる。

結局、着いたアパートでシャワーを浴びて、冷房の効いた部屋で冷たいお茶を飲んでいたら「やっぱ謝った方がいいかな・・」という気持ちになってきた。そう思っていたらちょうど母からLINEで今朝はごめんなさいとメールがあり、仲直りした。


こうしてみていくと、人の感情というのは環境で大きく左右されるようだ。
どんなに素晴らしい話を聞いてもジメジメした暗い部屋だったら、話の内容よりも「あの部屋、なんか暗くてジメジメしてたな」という印象がもっとも強く残るように。

以前、自分は官公庁の金融部門で事務をしていた際、よくある大部屋ではなく6人のデスクがやっと収まる、小さい部屋に勤めていた。金融部門は部屋に施錠をしないといけないから、が理由だそうだが、パワハラの巣窟のような職場で毎日誰かの怒鳴り声が響いた。

翌年人事部に通報が行ったこともあり、自分の部署は大部屋に統合されたところ、パワハラはグッと減った。
よその部署の目もあるし、何より高い天井や広々とした部屋は開放感があってみんなの気持ちに余裕が出来たからかもしれない。

サカナくんは「狭い水槽の中だと魚同士いじめが始まるけど、広い海の中ではいじめはない」と言っていた。
知人のお子さんが行っている葉山町の高校は広大な海と森に囲まれており、また定員の割に学校の敷地がだだっ広く、いじめは起きたことがないらしい。やはり感情というのは環境で大きく左右されるみたいだ。

どうしても許せない、この感情を抑制できない。家族に辛く当たってしまう。
そういう時はきれいなカフェに行ったり、自然の多い公園に行ってみるのも手かもしれない。
コーチングや対話など、誰かの力を借りて自分の感情と向き合うのはとてもいいがそれすら難しい時、頭で何とかしようとするよりも、一旦場所を移動すると、心に何かいいことが起きるのも事実だ。

コロコロと変わる心を何とか制御しようとするよりも、素敵な場所にコロコロ
移動させる方が、心も楽だったりする。










今日もお疲れ様です。
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秋から始まる文章講座は、土日クラス、まだまだお席ございます。


最後までお読みくださりありがとうございました。
明日も適当にしっかりで参りましょう〜〜

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