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ビジネス文書で言葉を響かせるにはどうしたらいいのか?

先日、文章講座でこんな質問があった。

「文章に余白を持たせる大切さはよくわかりました。でもプレスリリースなど、ビジネスの文章にはどうしたら余白を持たせられるのでしょうか?」

即答できず、宿題にさせてもまった。

余白というのは、文と文の間にあるスペースのことではない。言葉から匂い立つものだ。

音が防音室のように壁があると響かず、森のように壁がない場ではどこまでもこだまする。言葉も同じで、なるべく強い正しい書き方をしないことで、文章には余白が生まれる。正しい言葉は響かない。心に言葉が響くとき、そこには常に余白がある。

この書き方に当てはまらないのが、ビジネス文章である。

会社のブログなど、いわゆる「中の人」的な立ち位置ならある程度、好き勝手に書くことが出来るかもしれない。
しかしプレスリリースなど、会社の顔をしょって書く以上は間違いなく、正しい情報を読者に伝えなければならない。そうした文章にはどうしたら余白が持たせられるのか。

例えば「~かもしれない」という書き方は文章に余白を持たせることが出来るが、若干頼りなさそうに見えなくもない。
ビジネス文書と余白はかなり相性の悪い食い合わせである。

だが何にしろ出来ないということはないはずだ。
あの農林水産省だってコロナ禍でも面白動画をつくってみせたじゃないか。

(文章とは直接関係ないけども)

ビジネス文書など、正しく間違いない文章に余白を持たせるためにどうしたらいいのか。
そのアンサーとして「愛するチャンスを見つける」というものを挙げたい。

文章を書くとき辛くなるのは、決まって感動がないときだ。

「伝えたい」という身を焦がす渇望があるときはまだいいのだが「これについて書かなければいけない」になった途端、人は書くことが苦しくなる。正しく間違えずに書かなければいけない仕事の文書など、なおさらである。こうした状況で余白を生むのは難しい。

一方で、プロのライターはどんなお題が来ても書くことができる。例えば「納豆について1万字のコラムを来週までに書け」とクライアントに言われても、なんだかんだ納品できる。

なぜ彼らはそれができるのかというと、対象から愛するチャンスを見つけているからだ。「ほお、納豆の発祥は中国という説があるのか」「えっ納豆って足の匂いと同じ成分が香りにあるのか」、そんな驚きや発見、そうした感動ポイントを起点に書いている。逆に言えばこうした感動がないまま書くのはプロのライターでもかなり苦しい。

ビジネス文書にどうしたら余白を生み出すことができるのか。それは「この文書を通して、私は何を伝えたいのだろう?」を深堀りしていくことではないだろうか。

なぜ自分はこのことを伝えようとしているのか?と自分に問いながら書く。それは「自分はなぜこの仕事をしているのか?」という問いでもあり、もっと言えば「私は誰?」という大きな問いにもつながる。

この歴史のこの時代の中で、なぜ自分は今この仕事をしているのか。この問いを突き詰めた先には「誰かの役に立ちたい」とか「お客さんの笑顔が見たい」とか「単にこれをするのが好きだから」という純粋な想いが湧き出ているはずだ。

そうした自分の仕事に対する純粋な想いから紡がれる言葉は、ルールの多い・自由が利かない状況であっても、読み手には伝わるものがある。

去年の春に離乳食無料で炎上したスープストックさんのプレスリリースが絶賛されたのは、正しい言葉からにじみ出る、企業の中で働く人たちの信念みたいなものが読者にも伝わったからではなかろうか。


書かなければいけない時は、書く対象から愛するチャンスを見出す。
その結果、例え並んでいるのが正しい言葉たちであっても、読者はそこに余白を見いだす。

正論は純度が極めて高いときのみ、人の心に響くのだ。












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