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ユニティインスティチュート体験記セドナ ハートの広大さに還る旅『LIVING ENERGIES⑨』


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GyaniI Atsuko


セドナへの旅で受け取ったこと。  
それを言葉で綴ろうとして、私は途方に暮れてし まった。  
いったいなぜなのだろう? 
実は私がセドナを訪れたのは二度目のことだった。  


前回は 10 年ほど前に個人旅行で…。  
そして、そのときはセドナについて、もっと簡単に 語れたような気がする。


「セドナ! 最高だったよ! 抜けるように青い空、そ して力強いレッドロック、澄みきった空気に、エネルギー に満ちた、いろいろなヴォルテックスが所どころにあって …。


ほんと、地上に天国があるとしたら、こんなところ! と思うぐらい美しいところだったよ!」  
そう、初めて訪れたときにセドナの地から感じたものは。本当にすばらしかった。



けれども、私は今、あらためて思う。  
やはり、ただセドナを訪れる、ということと、リーラ やプラサードとアルヴィナにガイドを受ける、ということは、私にとってまったく異なる体験だったのだ、と…。  


いうならば、このうえもなく美しいと感じていたお気に入りの庭園に、実は秘密の扉があり、その奥には、息 を飲むような絶景が広がっていた…と。


私が、今回の旅を言葉で表すことができないと思うのは、もしかしたら、私が受け取ったものが、たぶん言葉という領域をはるかに超えているものだったからかもしれない。
 

そして、セドナで見たすべての景色…。  
恩師たちの住まうその美しい街で、いつのまにか大好きになっていた仲間たちとした、すべての体験。風そよぐ庭園でのランチタイム。そして、キャンドルの灯りの もとでのディナー…。 すべての想い出が等しく愛おしく、そのどれかだけを選ぶことはできない。

彼らとともに過ごし、そして見せてもらったセドナは、それほどまでにすばらしかったのだ。 だから私は、セドナという場所についてではなく、今 回のセドナの旅を通じて、私の内的な体験について振り返ってみようと思う。


ワーク会場だったリヴィングの大きな窓からは、シュガーローフと呼ばれる、こじんまりとした丘が見えていた。 砂糖菓子のようにかわいらしいレッドロックは、セドナ のハートチャクラと呼ばれているのだそうだ。
 


その岩山に目を向けると、自然とハートの奥深く、今まで触れたこともないような場所がほころんでいく。 そして私は、その胸の内からなにかが流れ出てくることをただ感じていた。 それは一瞬のようでもあり、そしてまた、そこには 確かに永遠があった。


「Close your eyes and Take a Deep  Breath…」  
「目を閉じて、そして深く呼吸をしましょう」  


プラサードとリーラ、そしてアルヴィナの微笑を見ながら、通訳してくれるコマラの声に導かれて、私は目を閉じた。 両の手を胸に当てると、胸は手の温かさを感じ、手のひらは私自身の体温を感じている。  


さらに深く、深呼吸をすると同時に、ハートと呼ばれる場所、胸の内側が外側に、急に裏返ったかのような 感覚を感じた。


私は驚いて、思わず少し眼を開けてしまった。  
なにが起きたのか、そのときの私にはわからなかった。  
そして、そのあと気に留めることもなかった。
けれども、今、その瞬間を思い起こしたとき、私は突然に理解した。



あれは、自分の内側にあると思っていたハートが、実 は私自身の存在のすべて、そして、そのまわりにある世界のすべてと再びつながりを持った瞬間だったのだと。  


私のなかにハートがあるのではなく、私たちが生きているのは、ハートという広大なスペースの広がりのなかなのだ、と。  


ある夕方に、アルヴィナが自宅の裏山へのお散歩に みんなを誘ってくれた。 ちょっとしたお散歩というよりは、ふだん運動不足の 私にとってはじゅうぶんなトレッキングだったのだけれど。  


細身で美しく、物静かなアルヴィナが、短パン姿で急な山道を楽々と登っていく姿を見て、アルヴィナにいつも 感じていた優雅でありながら、揺るがない感じ…そのし なやかさと、力強さの源を見た気がした。 息を切らしながら、登りきった小高い丘のうえから後ろを振り返ったとき、そこに広がる景色に、私は思わず息を飲んだ。  


沈みかけの入り陽の淡い橙色の光を受けて、レッド ロックと呼ばれている荘厳な岩々が、自ら、クリスタル の大聖堂のように輝きはじめていた。 私は、恩師たちに感じていた質がそのまま、セドナと いう場所の質でもあるということを理解した。  


威厳がありながら、愛に溢れ、そして平和的なのに、 ダイナミックでもある…。  そして、そこに出会うものを、その本質へと導いてくれる…。


 


セドナの旅から戻って半年ほどになる。
そして、私は思っていた。
本当すばらしい旅だったけれど、今回の旅では驚くような変化がなかったなと。


けれども、今、セドナでの日々を振り返って、私は静かに驚いている。 意味があるとか、成果があるとか、どれくらい変わったかとか、これまで一生懸命に追い求めていたものを、 今はそれほど気にしていないことに気がついた。  

変わらなければ、という意識から開放されていることにさえ、私はまったく気がついていなかった。 もしかしたら、本当の変化はきっと目には見えないのかもしれない。


それはたぶん、いつのまにか、あまりにも自然に起こるものだから。変化がなかったということに、焦りを感じていなかった私は、もしかしたら以前とは大きく変化したのかもしれない。

私は、またセドナの地を訪れたいなと思っている。 そして、リーラとプラサード、そしてアルヴィナと、セ ナのやさしい風を感じながら、もう一度キャンドルの灯りで、ディナーをともにしたいなと、本当にそう思う。  


けれども、それと同じ強さで、私はこうも思う。
私は今もセドナとともにある。
そして、三人の恩師は、いつもハートという広大なスペー スのなかで、ともにくつろいでいる。  


セドナからの帰りの飛行機のなかで、私は涙が止まらなかった。
サンフランシスコから、関西空港までの10時間ほどのフライトのほとんどを、私は泣いて過ごした。 それは、寂しかったからでも悲しかったからでもない。  



ものすごく愛されていると、感じたから。  
この世界に生きていて、取引ではない愛を、体験する ことはどれくらいあるだろう?  


プレゼンス ~ただ、そこにともに在る~  
サトルボディ・ヒーリングにおいても、繰り返し伝えられる、ハートの深みにある質。  
物事を変えようとするのではなく、ただ、それがあるがままであることを許す。

 
そうすると、凝り固まっていたものが緩み、そこにスペー スが生まれていく。 エネルギーを与えることも、奪うこともない中庸の状態。 それを体験することによって、変化するものは自然に変化していく。  


本当の愛とは、もしかすると、ただともにある、ということなのかもしれない。 そして、私はあの旅で、セドナの大地から、そして三人の恩師と、旅の仲間たちから、確かにそれを受け取った。  


その稀有な旅をできたことに、心から感謝している。  そして、実はどんな場所、そして誰の心の奥ともつながっている、あのセドナの夕景のようなハートの深みで、 より多くの仲間に、これからも出会っていきたい。


心からそう思う。  
ありがとう。愛とともに…。

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