会いたいって思えばチャリを飛ばして行ける距離に 躊躇いなんていらないじゃない
2ヶ月後に控えていた日本への一時帰国が完全に消えた
1年は帰ってくるなよ
母親の言葉に大人しく従って ここまで耐えてきた
来たばかりの頃は日本を思うことさえ自制していたから 日本へ帰りたい と言葉に出来たのは余裕が出来た証拠なんだろうけど
9月頃 母親との通話中 帰ってもいいんだ とどこか自己肯定された気になってその通話後すぐに日本へのフライトのチケットを取った
学校のホリデーのページを見ながら取ったんだけど 見ていたのは2019のものだったらしく
追加で$100払って1週間日付をずらしたのは 情けなくもコロナがあたしの耳にも届きはじめた1月の半ばだった
母親に 帰れたらいいなぐらいの気持ちで居ろよ と言われたのはテロの1周年式典が中止になった日
その言葉が受け止めきれなくて泣いた
そしてその翌日 航空会社が日本行きの便を3月30日から6月30日まで全て欠航することを発表
意地でも帰るよ
なんて脆い言葉だったのだろう
この1年何のためにバイトで稼いで 貯金して 学校行って 勉強して ここまで頑張ってきたのか
友達と九州旅行する予定を11月から立てていた
この4月から1人暮らしを始める広島の友達の家に泊まりに行く予定だった
高校時代ずっと一緒にいた友達が京都と高知から帰ってきてくれると二つ返事だった
知らない間に帰国日をどこかから聞いてスケジュールに入れてくれていた中学時代の友達がいた
全部全部消えた
だけど今日もう1回両親と話して 10月のホリデーも厳しいかもね って話になった
6月帰れない時点でいろんなことを諦めはしたんだけど 10月を逃せばあたしが次に帰れるのは年末
2年弱かぁ
1年会わない約束が ここまで延びる可能性が出るとは思いもしなかった
会いたいよ会いたくて仕方ない っていうあたしの言葉に母親は まぁこうやって電話してるしね って平気そうな声を出す
普通の大学生の3倍4倍くらいの頻度で電話してるし そんなに遠くに行ったっていう感覚がないらしい
会えなくてもいいの? って問い詰めたら だって会いたいって言ったらもっと会いたくなるでしょ って
会いたいって言わなくて済むぐらいの気持ちなら帰っても会わんぞ って返した
会いたいよ
会って抱き合って泣いちゃうんだろうな
もう手段がないならいっそのこと 海を泳いで手を取り合った瞬間沈んでしまいたいね
そんな言葉が零れるくらいには
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