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「ケの日」にあるハレの顔を見逃さない

例えば、ウエディングケーキのファーストバイトよりも、日曜日に焼いたホットケーキが忘れられなかったり。高級フレンチに行った夜よりも、ビジネスホテルでプリンを食べた夜の方が思い出深い。そういう事ってあると思うの。

7年前のクリスマスに私は婚約した。夫になる人と一緒に婚約指輪を買いに行った時は、ダイヤモンドの輝きに少し圧倒されてしまった。そういうクラクラする非日常があるのがハレの日。一緒に暮らせば、その生活は日常になる。一年のうちほとんどが「ケの日」だ。等身大の2人で紡いでいく。

悪いことじゃないんだよ。

さて、私たち夫婦のクリスマスはいつもの日常だ。お互い美味しいものが好きなので、毎年レストランには行くけれど、それはイブや25日ではない。

今年は、思い立って、ケーキをスポンジから作ってみようということになった。後悔は始めてからやってくる。うちには電動のハンドミキサーがなく、全て天然のハンドで混ぜないといけない。これが本当に大変で、時間がかかるわ、いつまでたっても混ざらないわで、とても疲れた。

オーブンでの焼き上がりを待つ時間、なぜか私は「”笑ってはいけない”をしよう」と提案した。提案したくせに何も考えていなかったので、とりあえず変な顔をしていた。夫が「漫画君たちはどう生きるか」の表紙をお面のように自分の顔に被せたところで、私は笑ってしまい、すぐにゲームオーバーになる。

スポンジは焼き上がり、ふくらみのない容姿にやっぱりねと思った。「卵焼きみたいだね」とか「平屋だね」とか「硬いからコーヒーに浸して食べないといけないかも」とか「歯の悪いお年寄りは食べられないかも」とか、一通り2人で作ったものを、2人でネタにするのは以外と楽しかったりする。

ふと、食べ方の変更を思いついた。何も、スポンジに生クリームを塗るだけが正解じゃないし。強がりつつ、スポンジ(もはやスポンジなのか?)をさいの目状に切り、横にたっぷりの生クリームを配置した。

気休めにアラザンをかけてみたのだけれど、食べてみると主張の強さに後悔。

本当は映画リトルフォレストの出てくる直方体が美しい真っ白なケーキをめざしてたんだけどなぁ。まあ、理想と違うことなんてよくあることだ。それより生クリームをディップにして食べるのも中々おつじゃないか。

やってみて後悔したり、疲れたり、理想と違ったけど美味しかったり、そんな風に日常が流れていく。その中で一緒に暮らしている人と笑えたら、結構いい。自分とその人のハレの瞬間がそこにあるから。

誰かと一緒に生きるって、「ハレ」を共有できる、贅沢な時間かもしれない。

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