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タイの不思議な文化タンブン(徳を積む)

ベトナム縦断したり南米に1年間居住したりして、今はタイのお寺で修業中のひろみです。


お寺修行3日目。
昨日宣言した通り、今日の朝は瞑想から始まった。

今日は調子が良かったのか、朝30分、昼45分、夜30分(セレモニー?があり歩き瞑想はなし)瞑想を行うことができた。

マスターから瞑想のやり方を教わったが、意識すべきことは1つ2つほどしかなく、このお寺では試行錯誤して自分に合う方法を見つけていくことを重視しているのだと思う。(瞑想方法に関しても後々記事にする)

そんなわけで今日はいろいろ試してみた結果、マスターから教わった方法に加えて

  • 大きく鼻から息を吸い、そして口から大きく吐く

  • 吐くときに3回プトゥーと唱える(タイ語で「幸せ」のような意味)

  • 眉間とへそが紐でつながっている様子をイメージする

これをやった結果、昨日までは色々と瞑想中に考えてしまっていたのが、今日はその思考を始める前にそれに気づき止めることができるようになった。

また、これは関係あるかどうかはわからないが、手と足がピリピリとしびれる感覚があった。

明日からも試行錯誤していく。


タンブンについて

タイの仏教といえば、このテーマは絶対に外せない。

タンブンとは「徳を積む」ことを指し、簡単に言えば「これを行えばあなたもあなたの家族も幸せになれるよ」というもの。

よくイメージするのは、朝お坊さんが街を練り歩くときに施しをしてあげることだろうが、タンブンにはお寺でお祈りをすることや、貧しい人に施しを与えること、またお寺を掃除したりお坊さんの身の回りのお世話をすることも含まれる。

ここで面白いのが、タンブンはたとえ今世が終わっても決して減ることはなく、来世もしくはその祖先にまでずっと継承されるらしい。

このタンブンがあるおかげでお坊さんは仕事に就かずとも食事をすることができ、家の中で生活することができる。

僕が今いるお寺では、お寺の敷地内で大体10人の近隣住民が毎日お世話押してくださっていて、掃除をしたり、枝の剪定をしたり、新しく建物を建てたりしている。

彼らは毎朝早くにお寺に来て、だいたい夕方くらいまでいる。
最早仕事ですか?と聞きたくなるレベルだが、それをおそらく無償でやっているので、タンブンとはすごいものだなあと感心している。

ちなみに僕の食事はこのタンブンから分けてもらっていて
お坊さんでもなんでもないただの日本人の僕が施しなんか受けていいのかと、申し訳ない気持ちとありがたい気持ちでいつもご飯を食べている。


タンブンの時には、お坊さんはこのような容器を持って行く。
これは(たぶん)バーッと呼ばれていて、お坊さんにとっては最も大事な道具だ。

僕によくしてくれるお坊さんのLINEの背景画像がこの写真↓であることからも、そのことが伺える。

仏陀はこのバーッを最も大事にせよと教えを説いたそうで、それほど重要なものだけにとても美しい。
これを作る専門のお坊さんがいて、魂を込めて作ってくれるそうだ。年配のお坊さんのバーッほど使い古されているので、おそらく一生同じものを使い続けているのだと思う。


タンブンは馴染みのない僕からするととても不思議なものだが、お坊さんはそれによって生かされ、国民はそれをすることで幸せになれるというWin-Winの関係となっていて、素晴らしい文化でもあると感じる。

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