日本史論述ポイント集・古代③

前回、「論述に向けた学習の基本は教科書の読み」であると述べました。

教科書にすべてのことは書いてある。入試問題で教科書を逸脱した内容が問われることはありません。だから、教科書で勉強すれば良い。

しかし、教科書の内容をきちんと理解できているかと言えば、多くの受験生にとって疑問符がつきます。

教科書では重要な人名や事項がゴチックになっています。だから、どうしてもその言葉にだけ目が行ってしまう。そうすると、論述で問われる大事な部分がこぼれ落ちてしまいます。

論述で問われるのは、短答問題では試せない史実の背景や因果関係でした。そうした内容は教科書ではゴチックの用語がない部分に書かれています。多くの受験生はそういうところを読み切れていないのです。

最初に述べたとおり、この「ポイント集」は〈教科書を読む手引き〉として作られました。ぜひこれを手元に置いて教科書を熟読してください。新たな発見が、1ページに最低2箇所はあるはずですし、それでこそ初めて「読めた」と言えるのです。

さて、今回は「7世紀のヤマト政権」です。厩戸王から中大兄皇子、そして天武天皇へ、何が目指されていたのか、歴史のたて糸を通しましょう。


古代③・7世紀のヤマト政権

Q1 厩戸王(聖徳太子)が目指した政治とは?

A1 

①有力豪族に支えられた連合政権から脱皮し、大王中心体制を確立する。

②そのために、冠位十二階により氏族単位の王権組織を再編成し、憲法十七条を定めて豪族の官僚化を図った。


Q2 遣隋使の外交姿勢とその目的は?

A2 

①中国皇帝に臣属しない形式をとることで、大王の自立した地位を示すとともに、朝鮮諸国に対して優位に立ち、独自の華夷秩序を形成しようとした。

②律令・仏教をはじめとする先進的な制度・文物を摂取して、国家建設に役立てようとした。


Q3 改新の詔の意義は?

①公地公民制や地方行政組織の整備、統一的な税制など、中央集権化に向けた目標が示された。

②一方で、それは長期的な目標であり、政権内での皇族・豪族間の対立もあって、その実現は半世紀以上先の大宝律令の完成を待たなければならなかった。


Q4 白村江の戦いは国内の政治にどのような影響を与えたか?

A4

○唐・新羅の連合軍に大敗を喫したことで、対外的危機が高まったため、中大兄皇子(天智天皇)は国防の強化と内政の充実に専念した。


Q5 壬申の乱の意義は?

A5

①大海人皇子は自ら東国の豪族を動員して勝利し、皇位を得た。

②大友皇子側についた畿内の有力豪族が力を失った。

③この結果、即位した天武天皇は強大な権力を手に入れ、中央集権体制を推進することが可能となった。

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