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夏の海に溶けてみた

琉球硝子のグラスのなかの氷がカランと音を立てて割れた。

毎日40度を越すような温度のなか、
少しでも涼しさを味わおうと、
大事に棚にしまってあった琉球硝子のグラスをいそいそと取り出してきた。
そして独特な風合いを持つ琉球硝子のグラスに、冷やしておいたサイダーを入れてみた。

グラスにサイダーを注いだ瞬間、
シュワシュワと言う音と共に気泡が弾け、
いかにも冷たそうな飲み物が出来上がった。

そのいかにも冷たそうな飲み物を、
年季の入った扇風機を廻しながら、ひと口飲んでみる。

すると口のなかいっぱいに、毎年飲んでいたあのサイダーの夏の香りが広がった。サイダーを飲みながら、ここは海の底だと想像してみる。

海の底をどこまでも歩いて、わたしは海のなかに溶けて消えていくのだ。

そうしてどこか違う場所で漂う自分の姿を想像してみる。蒼と透明のあいだの波に揺られて、どこまでもどこまでも運ばれていく。
そうやって、家で仕事をしているあいだは自由に色んなところを浮遊できる。

そうやって瞑想を繰り広げていると、
ジリリと旧式のベルが鳴った。

「はいはーい」

わたしは、現実に引き戻されることに名残惜しさを感じながらも玄関扉をあけた。

そこにいたのは大家のばあちゃんだった。
「これ、畠でようけ取れたからアンタにあげよう思って」

ばあちゃんは手拭いの法被りをしたまま、籠いっぱいの夏野菜をくれようとしていた。

茄子、トマト、ピーマン
採れたての美味しそうな野菜が広がっている。

「ばあちゃん、ありがとう。良かったらサイダーでも飲んでいかん?」

わたしは月2万で借りている民家のなかに、ばあちゃんを招き入れた。

「ええんか?ほな、ちょっとだけ…」

ヨイショッと声をだしながら、ばあちゃんは上がり框を登った。先ほどまでシュワシュワと音を立てていたサイダーはすっかり大人しくなり、鳴りを潜めていた。

それをすこし残念に思いながらも、わたしはもう一つ蒼い彩色がついた琉球硝子のグラスにサイダーを並々と注いだ。

シュワっと音がして、また気泡がフツフツとグラスのうえに登ってきた。

「ばあちゃん、はい」

そうしてわたしは、ばあちゃんにサイダーを振る舞った。

「えぇねぇ、色がじつにオシャレや。まるで夏の海におるみたいやな」

思わずばあちゃんが言った言葉に、なぜか胸がいっぱいになった。

「ばあちゃんもそう思う?わたしもこのグラスを眺めてサイダー飲んどると、夏の海に溶けていきそうやと思ってんねん」

「夏の海…暑さで照りつける白浜…」

ばあちゃんは目を閉じて語り始めた。

「むかし、戦争に徴収されるまえのお父さんとこっそり砂浜をデエトしたことがあったんよ。明後日、旅立ついうほんの僅かな時間、こっそり人目を盗んで白浜を歩いたっけ…」

「そうやったんや…ええ思い出やな」

「せや千人針いうて流れ弾に当たっても、死なんようにひと針ひと針願いを込めて皆んなで縫ったものをお父さんにあげた。」

「お父さんは…?」

「あぁ、ちゃんと生きて帰ってきたよ」

「そうなんや、良かったね。」

「それから、毎年のように夏になると海に行ったもんや。小さい子らも連れて遊びにいった」

「そっか…ばあちゃんにとって海は想い出の場所なんやね。わたしもじつはこのグラスにサイダーを入れながら、海のなかを想像しててん」

そのとき、カランと音が鳴り氷が音を立てて割れた。

「そや、これさっきもらった小豆やけど…」 

徐にばあちゃんは、小豆の入っていたビニール袋を開け、野菜が入っていた籠に流し込んだ。

ザザァンザザァン…

小豆が籠の表面を流れるそれはまるで波の音そのものだった。  

目を瞑るとわたし達の目のまえには、
どこまでも海が蒼々と広がっていた。





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