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とある慶應生の就活体験記 ①戦いの始まり

書いている人について

こんにちは。ニョロボンと申します。
初投稿となるこの回を初めに、僕自身が約1年間経験してきた"就職活動"というシロモノについてみなさんに発信していきたいと思います。まずは僕の自己紹介について以下にまとめてみます。

性別:男
大学:慶應義塾大学
文理:文系
卒業年:2025年(いわゆる25卒)
その他:非体育会系、サークルには所属

僕はかなり就活には力を入れこんでいた方で、一般的な就活も、特殊な就活も双方経験してきました。そこで自分なりに経験したコトや、感じた疑問、理不尽さなどを含めた「日本の就活の実態」というもの広く伝えたいなと思いこの投稿を始めています。もちろんこの内容は26卒以降の学生の皆さんにも役立つ部分があるとは思いますし、就活とは全く関係ない/もう遠い過去となってしまった方にも一種の読み物として共有していきたいなと考えています。

 また、このNoteに関しては後輩の学生や社会へ向けた発信をメインにすることから、有料化・収益化を強く望んではいないので基本的に無料で読んでもらえるようにするつもりです。なお、この体験記はエッセイ調で長期間にわたって執筆していくもので、結構直接的・刺激的な表現もあったりするためそういうのが苦手な方はブラウザバックを推奨します。また、以下の投稿文については簡素化のため敬体ではなく常体で書いていきます。

「シュウカツ」のはじまり

「あなたはいつから就職活動をはじめましたか」
こんな質問を就活のアンケートやらで書かされることが多かったように記憶している。いくつか選択肢があり、たいてい僕の場合一番上にある「2023年5月以前」という選択肢にチェックしていた。この「2023年5月」とは学年で言えば、大学2年から大学3年に上がりたてすぐの時期である。今考えればふざけた話だ。経団連や政府の申し合わせでは大学3年終盤(大学4年に上がる時期)の3月に情報解禁(ESの提出や説明会が可能になる)、大学4年の6月から面接等の選考解禁となっているハズなのにそれに1年も先立って就活を始めている学生が存在しているのだ。詳しくは他の投稿で書くつもりであるが、「就活の早期化」の影響というものは年々無視できなくなってきているということなのであろう。

 さて、そんな自分がなぜ大学3年のGW近くから就活を始めなければならなかったのか。それはひとえに「周りに流されて生活していたこと」がその理由である。周りに流された結果、就職活動という"マジメ"なイベントに身を投じることになったのは皮肉な話だが、それだけ周囲の環境や関わる人というのは人生に大きな影響をもたらすということだろう。

 僕が所属しているのは一番最初に紹介した通り、慶應義塾大学である。羨望、憧れ、嫉妬、憎しみ…様々な感情を日本人に与えてきた「名門」大学であるが、就活に強いという評判の通りほとんどの学生が「一流」の上場企業・大手企業に就職していく。そこではタテ・ヨコ・ナナメの繋がりはすさまじく、先輩から後輩へと就活の情報というのは生きているだけで雨のごとく降ってくるのだろう。

 幸い僕は大学3年からゼミに入っていたこともあって、大企業で出世してきたご両親にケツを叩かれて就活を始めたりした同級生から情報を横流ししてもらったり、「大学3年に上がったら即就活を始めるものだ」という新たな(非)常識を持てるようになった。その影響もあって就活について特に情報を持っていない自分でも大学3年のGWを過ぎたころにはエントリーシートを各企業に出す「模範的で優秀な学生」となっていった。

 今考えるとこれは中々特殊な環境で、学年が多少変わったくらいで皆が一斉に右を向いてバチバチにスーツを決め、ガクチカなるものを編み出しているような事態は異常であろう。高校同期が行った他の大学の話を聞いてみるとそんなことは決してなく、みんなテキトーに生きていたり、就活なんてしなくたってなんとかなるさといった緩い価値観が浸透していたりと、大きなカルチャーショックを受けたものだ。 

慶應生であるということ

 慶應義塾大学というのはやはりそういった意味で非常に世俗的な学校で、図らずとも日本社会の格差の拡大・再生産を一手に担っている機関と言えるんだと思う。就活に成功して三田会なるマスターベーショングループを作り、人事権を握るまでに出世した慶應卒業生が新たに慶應生を採用する…そういった繰り返しがこの日本社会を形成してきたのだろう。

 そのような環境にもまれ、僕は大学3年生の5月には自分の名前やら大学やらを大企業のエントリーシートにロボットのごとく打ち込んでいくようになった。

 ちなみに、膨大な就活メールの山を漁ってみると、僕が一番最初に登録した会社は日本政策投資銀行だった。俗にDBJと呼ばれる日系金融の最高峰である。その後に三井住友銀行→三菱UFJ銀行→ボストン・コンサルティング→アクセンチュアと続く。こうしてみるだけで超絶ミーハーな就活のはじまりで、自身の向き不向きや関心分野など気にもかけていないことがうかがえる。その頃は(今もそうかもしれないが)年収、ネームバリュー、見栄といったくだらないところが温室育ちの慶應生の琴線に触れたんだろう。

 こうして僕は就活の世界に飛び込み、右も左もわからない中で「慶應生」というブランドと尊大なプライドだけを武器に各社へのエントリーを開始したのであった。

~次回に続く~
 

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