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映画「三島由紀夫VS東大全共闘」プロダクションノート④

                          

「三島先生」と呼んでしまった東大全共闘

五十年前のあの日、東大全共闘の木村修は、三島を千人の学生の前に引っ張り出して論破してやろうと画策していたという。学生らは体を鍛える三島を「近代ゴリラ」と揶揄するポスターを貼り、心理戦を挑んだ。

1969年5月といえば、安田講堂が陥落した四ヶ月後、学生運動がセクトによる暴力的地下闘争、内ゲバに移り変わる過渡期だ。東大900番教室には、退廃と緊張が入り交じった異様な空気が漂う。三島の護衛にきた楯の会のメンバーらが全共闘の中に紛れている。

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司会の木村は冒頭、敵であり、貶める対象であるはずの相手を「三島先生・・・」と呼び、あわてて「三島さん」と訂正している。これは議論の帰結を示唆していることに、ここでは誰も気付かない。

討論で交わされる言葉は難解だ。テーマは国家、暴力、時間の連続性、政治と文学、天皇・・・。私たちは、教室に吹き荒れる熱風に晒されながら、飛び回る言葉を一つ一つ捕まえ、分解しなければならない。
全共闘学生が三島に牙をむく。だが、三島は清らかな眼に、微笑みすらたたえながら、丁寧に言葉を紡ぐ。
三島はそして「自らの死」に幾度か言及する。

「私が行動を起こすときは・・・」、「自決・・・」

清純な眼差しを見ながら、はたと気付く。三島は一年半後の自死の理由を、全共闘学生たちに懸命に理解させようとしているのではないか。私には「この討論会は三島から未来を背負う青年たちへの遺言」と思えてならない。
討論の終盤、敵対しているはずの両者の言葉が共鳴している。予期せぬ心理的連帯に眩しさを覚える。

三島3

私たちはいま「保守対革新」「右翼対左翼」「愛国対反日」という、言論分断の時代に生きている。現代のカテゴリーに当てはめれば、三島由起夫は「右翼」に分類されてしまうだろう。戦後右翼の思想の根幹は反共、愛国、そして親米だった。だが、三島の思想は「戦後右翼」のそれとはまるで違う。

三島にとっての敵は「経済繁栄にうつつを抜かし堕落してしまった日本」そのものだった。ヤルタポツダム体制によって去勢され、米国の属国になった日本、魂を失った日本人こそが、三島や楯の会の学生たちの怒りの標的だった。その思想の根底には、左翼学生との共通項すら見いだせるのである。

東大全共闘の木村が「三島先生・・・」と呼んでしまったのは間違いではなかった。戦後体制を批判してきた三島への敬意が、言葉となって飛び出してしまったのである。

秘蔵映像から見える現代社会

いま、保守・愛国を名乗る集団は在日朝鮮人らの排斥を叫ぶ。汚れた言葉に力はない。ネット空間では論争と称する匿名の罵り合いが繰り広げられる。それはバーチャルの言論にすぎない。

<私たちが現代社会で見聞きする議論など、物陰に隠れながら石礫を投げ合うような卑怯な小競り合いにすぎない>

この映像を見れば、そんな事実を思い知ることになるだろう。

この映画の関係者プレビューが終わり、私が客席を振り返ったときのことだ。会場の片隅で、楯の会一期生の篠原裕と東大全共闘の木村修が、手を差し伸べ、握手を交わしているの姿を目撃した。篠原の著書を巡って、二人は手紙での交流が芽生えていたのだという。

五十年前、敵として対峙した二人の間に、私は三島の魂を見た。

                            了

壇上TGS