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なぜ日本の美魔女はイタイのか

「ダンナとその気にならないならラッセル・クロウでも思い浮かべればいいのよ」

とは、年上の女友達。

彼女的には映画「グラディエーター」時代のラッセル・クロウがツボらしい。

50歳を過ぎても、恵まれた遺伝子をパークアベニューの皮膚科医による超最先端技術で磨き上げた美肌と、スリムなジーンズやレギンスを履きこなす体型をキープする彼女は10歳は若く見える。

そんな彼女のご主人は10歳以上年上で、お金はあるが、巷でもちょっと有名なほどブサイクなのだ。

そんなご主人を知っているだけに

「マイケル(仮名)は指使いが絶妙なの」

などど言われた日には完全にTMI(too much informationの略)

そんなディテール絶対聞きたくないし...という話である。

しかし、ここにある答えをみつけた気がした。

ずっと不思議に思っていたのだ。

ニューヨークでは女性が40歳になっても50歳になっても、美容に精を尽くして、セックスを楽しむのは自然なことである

それが日本となると、「美魔女」と祭り上げられ、イタイだの、気持ち悪いだの言われるのはなぜなのだろう?


ラッセル・クロウ好きの友人を含め、ニューヨークでは、女性たちの会話の中に頻繁にパートナーの名前が登場する。いわゆるマウンテングのためではなく、たわいもない話題である。

「マイケルはこの髪型が好きなの」「マイケルはこの色があまり好きじゃないの」「マイケルはこっちの靴の方が好みなの」

そして男性側は

「うちのワイフは超ホットだ」

と褒めるのである。

これは結婚後10年、20年経っても継続されるべきもので、この関係が崩れると、やれカップルカウンセリングだの、やれ離婚だの、それはそれは大変な騒ぎになる。

日本のように、自分に関心がない旦那のことはひっそりと諦めて、ジャニーズや韓流に走ったり、はたまた、目的地のない自分磨きに精を出すのではなく、徹底的にもがくのだ。

カップル間で完結していれば、どれだけ美容に精を出そうと、セックスセックスと騒ごうと、外野がとやかくいう筋合いではないのである。

特定のパートナーがいなくても、そこそこ外見に気をつかっていて、そこそこユーモアのセンスがあれば、いくつになっても、さほどデートの相手に困らないのがニューヨークという街である。このため、シングルでも「次のデートの相手のために綺麗になろう」という明確な目標が設定しやすい。

一方で、日本では、受け手を失って「自分のため」と銘打った女性たちの美容魂が、行き場のない怨霊のようにさまよって、世間をビビらせているのではないだろうか。

もちろん、これは彼女たちの責任ではないし、カップル双方はもとより、社会全体にはびこる様々な意識変革を要する壮大なテーマであって、今ここですぐ解決に至る類のものではない。

なにより、自分のために綺麗になる、という意識を持つことは素晴らしいことだ。

それでも

数々の試練を乗り越えて、時にはラッセル・クロウの助けを借りたりしながら

「うちのダンナはLBD(Little Black Dressの略)が好きだから」

と言ってRag & Boneあたりの膝上のワンピースを着こなすアラフィフの女友達をみて、こういうのなんか良いな、と思うのだった。


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