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虐めにあった小学生時代・終


必殺技で殺したのは自分だった

いじめっ子に勝ちたい。前回の記事から私はその一色に塗られていった
思いつく行動は全てやってみる。ハルちゃんより面白いもので興味を持ってみる、救世主となった同級生に話しかけて友達を作ろうとする。拒絶してくるハルちゃんや藤子ちゃんの悪口を言ってみる。そのすべてが全く上手くいかない。
学校のみんなは四六時中私を虐める悪魔・・・というわけではなかった。気が向いてくれたら話しかけてくれ、普通に遊ぶ日もちょこちょこあった。それでもそれは「特別な事」だった。私はそれがことさら惨めに感じた。

その頃私は家族に嘘ばかりついていたけど、最後のSOSは「藤子ちゃんと友達に、虐められて蹴られた。そのせいでお腹が痛い。学校に行きたくない」というものだった。
嘘だ。蹴られてなんかない。おなかも大して痛くない。でもそれくらい言わないと、助けて貰えない、休ませて貰えない。逃がしてもらえないと思ったんだ。生きるための、必死な嘘だった。

家族は血相をかえ、私を病院へ連れて行った。「もし何かあったら藤子ちゃんの親と話してやる」と息巻く母親。私は恐怖した。ついた嘘が病院でばれてしまうかもしれない。その事で頭がいっぱいになった。学校を休みたかった。ただそれだけだったのに。

診断結果は「便秘」というめちゃくちゃ曖昧で、微妙だった。それに救われ、2日程家で休ませてもらい、あとは学校に言った。親は言う。「また暴力振るわれたら、今度こそ私達は我慢しない。いいなよ」と。

言えるわけがない。暴力なんて振るわれてないんだから。
逆に暴力や、決定的な何かがないと私は助けて貰えない。そう痛感した。
いっそ誰か、暴力を振るって欲しいと願う日々が続いた。


小学校の遊びで、「自転車おにごっこ」というのがあり、私はそこでも毎回鬼だった。前まではタッチする為にスピードを緩めなければならず、そのせいで誰も捕まえられなかった。普通の鬼ごっこよりも不利なルール。

差別的な学校生活にストレスを貯めていた私は、いつのまにか、「もう、やられる前にやるしかない。倒さなきゃ。 敵を倒すんだ・・・!」とヒーローな気分に陥っていた。

自分が誰のせいで虐められてるか、もう解っていた。藤子ちゃん。私を虐めるルールを作った「悪人」5年生で私には絶対勝てない女王。この子さえ倒せば、私は絶対保育園のように、普通に遊べるんだ。そう信じて、彼女を倒す為に、考えぬいた必殺技。

それは裏で泣いている自分を助ける、もう1人ヒーローがいる感覚。
いつもと違う勇気を出せ。このままで黙るな。戦え、勝て!!!
アニメの主人公になったつもりで、全力で藤子ちゃんの自転車に突っ込んだ

ガッシャーーーーン!!!!

藤子ちゃんの自転車は倒れた。私はタッチした。敵を倒した興奮が身体中をかけめぐる。私を嗤い、クラスを先導した悪の女王を、私は倒したんだ!!!!

・・・

次の瞬間私が見たのは「泣きながら、怯えながら自分を見る小学生の藤子ちゃん」だった

倒したと思った悪は、ただの小学生だった。
泣いている藤子ちゃんを見て頭を巡ったのは、保育園の時にみんなで笑いながら遊んだ記憶。優しかった彼女。大好きだった、皆。

私は。私は彼女を倒したかった訳じゃなかった。ただ仲間はずれを辞めて欲しかっただけ。
みんなと遊びたかった。みんなと同じ「仲間」に入れて欲しかった。ただそれだけ。
振り返ると同じく鬼ごっこしてたみんなが私を怯えた目で見てた。
5年生仲間は藤子ちゃんに駆け寄り、「大丈夫!?」と心配してる。

倒したかった訳じゃない。苦しめたかった訳じゃない。
でも私は苦しかったんだ。やめて欲しかった。
そしてみんなと当たり前に友達として遊びたかった。
でも今の私は、みんなにとっての「怖い何か」になってしまった。

どこで間違えたんだろう。
少なくとも「苦しい状況を必殺技で相手を攻撃する事で解決する」っていう、私の考えは間違っていたんだ。それだけは解った。

その後は散々だった。暴力行為を先生にこってりと絞られて、彼女の両親も学校に来て怒られて、親にも怒られて、「なんでこんな事したの!?」って言われても、口には出せなかった。

泣いた藤子ちゃんを見て、なんだか自分が今まで受けていた辛さは、この涙に比べたらささいなことなんじゃないかって思って、言い出せなかった。
傷つけた理由を、藤子ちゃんに擦り付けていいのか解らなくなってしまった。

結局藤子ちゃんが卒業するまで私は怖がられ、無視されて、孤立し続けた。
その後も家では男の子教育を受け、私は無愛想な男の子みたいな育ち方をした。「友達なんて対して必要ねーよ」なんて口に出せるほどに。


藤子ちゃんが卒業して3年後、事態は劇的に変化する
それまで「なんとなく怖い子」として無愛想に、気味の悪い人間だった私を救ってくれたのは、5、6年担任として転勤してきた滝田先生だった。

彼女はクラスを受け持つなり1人1人とコミュニケーションをとり、無愛想な私を疑問に思ったんだろう。少しずつ趣味を聞き出し、外れて遊ぶ私に話しかけ、そして、学芸会の劇の台本を急に任せてきた。一人ぼっちの私が色々な事を想像、妄想してる事を逆に生かしてくれたのだ。

その時に書いた台本は、小学生が肝試しに入った先に幽霊がいて、最初は怖かったけど、生前の悲しみ、生きている小学生達にあえて嬉しい想いを聞いて、仲良くなり一緒に遊ぶけど、最後は「親の居る生きた小学生」を寂しい想いを我慢して送り出す話・・・みたいなのだった気がする。

小学生の台本だから穴だらけだ。でも支離滅裂な部分だけを上手に直して、「これ!これすごいよね!!もーちゃんが考えたんだよ!」と5年生みんなにアピールしてくれた。私は外れ物から、一躍尊敬の的になったギャップに戸惑ったのを覚えてる。

この先生のおかげで、私の小学生人生は真っ暗闇じゃなくなった。
終り良ければ全て良し。じゃないけど、少なくとも人生は覆るって事を教えてもらった。

その後憧れと尊敬の塊みたいな先生がPTAの集まりにて私の父にちょっかいをかけてた事を知り、「世の中って本当に善悪で語れないな・・・」と最初に勉強させてもらった。(笑)

伝えたいのは、小学生って簡単にいじめる。いじめられた方も簡単に傷つく。
でも皆まだまだ未成熟だ。悪魔なんて存在しない。それでも一歩間違えれば一生物の傷がつく、危うい年代なんだなって。大人が解ってほしいと思った。という事。

いじめられた私は一方的な被害者じゃないし、虐めたみんなも悪魔ではなかった。同じ小学生。でも、何かがきっかけで誰かにとっての悪魔になっちゃう。

こういう社会を大人がどう、両者を正しく導くかっていうの、考えるきっかけになればなあと思い、書かせてもらいました。
読んで頂き有難うございます♪

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