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読まないままでいたくない

最近氣になっているのは、「後で読もう」と手を付けていなかった本が、まだあること。よく、雑誌の企画などで、「死ぬ前に読みたい〇〇冊の本」というのがありますが、「これを読まずに死んだら後悔するに違いない」と、自分で思っている本が少なからずあるのです。

時間が無限にあると思えた若い頃は、氣にならなかったけれど、仕事や家事やで私の時間は有限なのです。

若い頃は、話の展開がどんどん進んでゆくような話の方が、読みやすかったように思います。「ヘンリ・ライクロフトの私記」を面白く思えたのは、社会人になってから。読むにふさわしい時期というのがあるのだと思うのです。

引用だけは知っているランボーの「地獄の季節」の珈琲のくだり、実際はどういう前後関係で書かれているのか、読みたいのです。マルセル プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌのくだり、きちんと読みたいのです。原語で買っている料理の本も、じっくり読んで作りたいです。知らないままで終わりたくないのです。

著名な学者が、老年になってからラテン語を勉強しだしたので、周囲の人に「何故今から?」と聞かれ、「神様と直接話をしたいから。」と答えたという話が好きです。

「できない」「読めない」と、自分で限界を作ってしまうと、それ以上のことはできなくなってしまう。「できる」と言って取り掛かると、できるようになる、と教わりました。潜在能力というのは、表面に見えない。自分が思っている能力というのは、「氷山の一角」に過ぎないと。

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