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無花果の頃

子供の頃、母に連れられて出かけた家の一つに、大きな無花果の木が何本もありました。他の季節にも出かけたのだろうけれど、思い出すのは無花果の季節に出かけたことばかりです。

「採って食べていいんだよ」と言われて、子供の手の届く範囲の実に手を伸ばしては、口にしたものです。どれが熟れていて、どれが未熟かを体験学習で学んでようなものです。もいだところの樹液が、白くてべたべたするのには閉口しましたが、無花果のぽわんとぼやけたような甘さは好きでした。

今思えば、ちょっと子供に聞かせたくないような話をするために、私に無花果を採らせていたのでしょう。親族のトラブルや、相続の問題、病気の話など、母に色々相談していたようでしたから。

外で無花果を採って、おやつというのばかりでは気の毒に思ったのか、ある時、無花果の実の砂糖煮を出してくれました。まだ青い未熟な無花果を砂糖で姿煮にしたものです。そのこっくりとした深みのある味が、大好きになりました。

何処に行くにも母と一緒という年齢を過ぎても、私が喜んだのを覚えていてくれて、母が一人で出かけた時も、お土産にもたせてくれたりしたものです。

就職して郷里の宮城を離れた後、あの無花果の砂糖煮が仙台特有の食べ方だったのを知りました。関東の八百屋では、未熟な青い無花果が店頭に並ぶことはありません。

偶然手にした、島根県の多岐の無花果は、干した無花果をワイン煮にしたものです。見た目は怪しく黒いのですが、まさに食べたかったあの味でした。

大人買いした多岐の無花果を食べると、子供の頃の情景が脳裏に蘇ります。広い庭と無花果の木。薄暗い室内のちゃぶ台の上の皿に載った、無花果の砂糖煮。

あの方は癌で亡くなったと聞きました。子供のいなかった人ですから、あの家も庭も人手に渡って、今はないかもしれません。

無花果を食べる時、そっと当時を思い出すのが、私からの供養のように思えます。

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