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妊娠徒然日記-優しい人に育ってほしいという願い-

ある日,夫とベッドでゴロゴロしながら,たわいもない会話を繰り広げていたとき。

「長男は優しい人に育ってほしいよね」と何気なく言った私に対して,夫は「どうやったら優しい人に育てられるんだろう」と真剣に答えた。

「うーん,そうだなぁ,犬を飼うとか?」と笑いながら冗談半分で言った私に,「犬に向かう優しさと人間に向かう優しさって違うよね」と,これまた夫は真剣に答えた。

たしかにそうだ。

いや,待てよ,そもそも,『優しい人』とはどんな人だろうか。

妻の私が言うのもなんだが,夫は間違いなく『優しい人』だ。とりあえず私がこれまでの人生で出会った人の中では圧倒的に一番優しいし,私の周りの人はみんな夫を優しいと言う。
一方,私は優しさが足りない人間だ。もっと優しくなりたい…そう願ったことは一度や二度ではない。

そんな夫と私との違いから『優しい人』とはどんな人か考察してみた。

まず,夫はものすごく寛容だ。

私は夫よりひとまわり以上年下で,人生経験が乏しいのは言うまでもないが,読書家で歩く百科事典のような夫と比べると私は知らないことが多すぎる。そんな私の言うことなんて夫からしてみれば小娘の戯言(私も小娘と言える年齢ではないということはもちろん承知している)に過ぎないはずだ。
しかし,思い返せば,夫と出会って,これまでに,夫は私の意見を否定したことが一度もない。もちろん,反対意見を言われることはある。それでも,私の意見を否定することはしないのだ。
一方,私はどうだろうか。「えー,それは違うでしょ。」とか,口癖のように言ってる気がする。私は夫と意見が違うとき,夫の意見のここがおかしいと並べ立てて,論破しようと躍起になってしまうのだ。
夫は自分とは違う意見を聞き入れる寛容さを持っているが,一方の私はその寛容さを持ち合わせていない。

それから,私は,物事を,正しいか,間違っているか,黒か白か,で判断しがちだ。黒と白の間,グレーを許すことができないのだ。
そんな私に夫は良く言う。「物事は正しいか,間違っているかだけで判断できないよ。」と。
私はもしかしたら間違っているかもしれないという曖昧な状態を許すという寛容さがないのだ。正しいものだけを集めて,間違っているものはさっさと切り捨ててしまいたい。この年まで生きてきて,私だって,世の中には黒か白で割り切れないこともたくさんあるということくらいは知っている。でも,それを許容する寛容さがどうしてもまだ足りないのだ。

「お前が従わないのなら,俺が従うまでだ。」
夫が昔見た漫画のセリフらしいが,夫は良くこれを言う。最初に聞いたときは爆笑してお腹が痛くなった。
私は一人っ子だったからか,一人っ子は関係なく属人的な問題なのか,いずれにせよ,自他共に認める我がままだ。加えて,気が強い。そして,極度の負けず嫌いだ。
そんな私に対して,夫は,仕事上の議論は別として,プライベートでは,同じ土俵に上がってくることはほとんどない。いつも一段上にいるのだ。
私が,夫のここが間違ってるとか,私の言ってることが正しいとかなんとか喧嘩を売りはじめると,夫はいつも決まって「**ちゃん(私)はどっちが正しいとか間違ってるとか勝ち負けにこだわるけど,そうじゃなくて,夫婦は歩み寄って一緒に問題を解決していくの。」と言う。まるで夫婦問題カウンセラーのようだ。
私は,人間関係よりも,どっちの言ってることが正しいかとか勝ち負けにこだわってしまう。一方で,夫は,勝ち負けはいったん置いといて,どうやったら人間関係がうまくいくかを考えて行動する。
夫だって,自分の言ってることが正しいし,それなのに私に歩み寄るなんて理不尽だな,などと思うこともあるのだと思う。でも,それをグッと堪えて,歩み寄れるのだ。
それは仕事をしていてもそうだし,夫は,私以外の人にもそうやって接している。

また,夫は人によって態度を変えたりしない。
私も偉い人に媚び諂ったりはしないが,そうではなくて,この人とは関わりたくないなというような人に対して,すぐに心のシャッターを降してしまう。いろいろと問題のあるような人が困っていたとしても,それって自業自得じゃないの…などと思ってしまうのだ。そういうとき,私は距離を取りたがる。
しかし,夫は,誰もが敬遠するような人に対しても,手を差し伸べることができるし,構えることなく至って普通に接することができる。
私が夫に惚れた要素の1つもこれだった。何でそこまでそんな人にしてあげられるの…と思うようなエピソードがあって(仕事内容に関わるためここで具体的に記載することはできないが),そして,夫はそれを特別なこととは思っていないのだ。

私と夫の決定的な違いは,夫は,自分が傷ついたり損をすることを恐れていないのだ。
おそらく,多くの人は,誰かに何かをしてあげたとして,裏切られたり,恩を仇で返されたりすれば,傷つくし,自分がしてあげたことが無駄だったみたいで損した気持ちにもなると思う。私はそれを恐れているからこそ,この人とは関わりたくないな,などと思ってしまうのだと思う。
あるとき,夫は私に「たとえ何かをしてあげた人に感謝されたりしなくても,その人が分かってくれなくても,その人に何かをしてあげたことで,少しでも世の中が良くなってくれれば良いと思っている。」と言ったことがあった。
もう夫とは人間の格が違うな,とそのとき思った。私もそう思えたら良いのだけど,でも,私はなんだか自分が損をする=負けたような気がして,やっぱり夫のような気持ちにはなれないのだ。

夫は強いんだと思う。
私は弱いから,自分が傷つかないように,裏切られないように,損をしないように,防御して生きているのだと思う。
一方で,夫はそんな防御などせずにいられるから,誰にでも寛容で,正しいか間違ってるかよりも,いかに人間関係がうまくいくかを考えて行動できるんだと思う。

きっと強さと優しさはイコールなんだろう。

子どもの頃は,喧嘩をして先に謝った方が負けだと思っていた。だから,私は自分が悪いと思えないことについては,決して自分から謝らなかった。それどころか,喧嘩をして自分から話しかけるのすら負けだと思っていた。
でも,大人になっていく過程で,そうではなくで,先に謝ったり,話しかけたりできる方が強い人間なんだということに気付いた。だって,謝ったり,話しかけたりしたところで,それを受け入れてもらえなかったり,無視される可能性だってあるわけだ。そうなると傷つくだろうし,腹も立つだろう。しかし,そういう懸念を抱えながらも自分からあえて謝ったり,話しかけたりできるってことは,それは負けではなく強さなんだと気付いたのだ。
それでも,私は,大人になってもなかなかこれを実践することはできなかった。夫と結婚しても最初のうちはそうだったように思う。
あるとき,夫と喧嘩をして,しばらく別の部屋にいたのだが,怒りが収まらない私は,第二ラウンドを開始しようと夫の元に向かった。そして,夫がいた部屋の扉を開けたところで,夫がニコニコと笑いながら両手を広げて「おいで。」と言ったのだ。一瞬で私は戦意喪失し,泣きながら夫の胸に飛び込んでしまった。
このときも私は夫には敵わないな,と思った。
そんな夫と一緒にいるうちに,私は,夫と喧嘩をしても,自分から謝ったり,話しかけたり,だいぶできるようになってきたと思う。ただ,それは夫は私の謝罪を受け入れてくれるという絶対的な確信があるからだとも思う。

優しさについて考察してみたけれど,結局,ビシッとした結論は出せなかった。

私は夫と結婚してから,夫のようになりたいと,少しだけ良い人間になれているような気もするので,優しさって伝染するものなのかもしれない。

そうすると,息子を優しい人に育てるには,優しい夫が父親であれば息子も自然と優しい人間になれるのだろうか。
いや,私の父親も優しい人と周囲から評価されているが,その子どもである私は優しい人にはなれていない。
そしたら,優しい夫が父親というだけではだめなのか…。

などと,いろいろ考えてはみたけれど,よく分からない。

優しさとは何なのか,どうやったら優しい人になれるのかを考えながら,私も息子と一緒に優しい人に成長していきたい。

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