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創作の目的や何処に?

美系の専攻に進んだので
同世代の作品展に出向くこともあった。

正直、田舎者の自分ですら判る「技術の拙さ」を
「表題の重たさ」でカバーしようとして
押し付けがましく前面に出す企てによく嫌気が差した。
 

「人間の中の闇」「死」「自傷」みたいな。
 

表現以前から想いその他が存在していないな
表現者と自称したいばかりに自己暗示かけているな
表現そのものに悩んだ履歴すら無いな
背伸びしている行為で自分の首絞めてるな
そもそも大学行かせてもらってる身分では説得力無いな
などと思ったものだが
今の時代そんな作品ばかり。

 

「復讐」「巨人」「刃」みたいな?
  

人間であれ何であれ
物語の重厚さを狙っているのか
簡単に命も存在も消しまくって。
 
 
主人公が美しく描かれ
主人公以外は引き立て役に徹し
主人公の周辺が報われれば
その他大勢は存在意義があった
的な。

 
そんなご都合主義の仮想世界より 
現実世界から学べることのほうが
無限にあるけれど。
 
嘘無く死と向き合って生きておられる方や
故人の遺志を継いで歩まれておられる方からも。

いつから
「ほれ、感動してください」で
そうできるようになったんだろう。

「お願い、感動させて」と
求めているからか?
 
子供も大人も見境無しに。
 

だからきっと史実に対しても
躊躇なく脚色加えられるし
受け入れもされるのでしょう。
  
随所に「感動させる仕掛け」が見え隠れして
流石にあざとく感じ得ないのだろうか?
と思って仕方が無いのだけれど。
 
 
いまや筋書きのないドラマのほうが
よほど筋が通っており。
 

つまり創作とはそもそも
商売その他の為に「絞り出すもの」ではなく
これこそ表現せねばと「溢れてくるもの」であるはずなので。

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