実現可能な夢追い人
友だちが明らかに「海外の広い道路でバイクを走らせる夢」を抱いている。どことなく、その夢が年々膨らんでいるのを感じます。
恐らく、彼の頭の中では「アメリカの広大な土地をバイクで駆け抜けない人生って嘘だよな」となっているわけだ。働いている時も、遊んでいる時も、頭の片隅には「だだっ広い一本道」が浮かんでいる。イージー・ライダーを夢想する。
不可能な夢ではないものの、それなりに実現ハードルは高い。どうせならハーレーに跨りたいだろうし、一人で行くかどうかも悩みどころでしょう。イージー・ライダーだって二人組だし。「夢」なのだから最大を狙いたいわけで、その場合は「友だちと走る」があるかもしれない。
このまま彼が「今はタイミングじゃないなあ」と思いながら老人になったらと想像する。どんなに無理してでもハーレーで飛ばしておけばよかったなぁと、老眼になり始めたあたりで諦める。それはとても悲しい。
が、別にそれは人生の目的って程でもない。友人として接してきたかぎり、彼の生活でバイクの優先度は高くない。なんなら数年乗っていない。僕が気まぐれに買ってきた雑誌のバイクを見て、ほんのりライダー熱が燻ってきた程度。けれどもバイクに慣れ始めた頃の「日本の道路狭すぎ!」という感覚も消えてはないはずだ。
誰しも「これを経験せずに死ぬのは嘘だろ」って憧れがいくつかあるでしょう。でも、結局は途中で挫折する。挫折というか、海外でバイクを走らせることはいつでも実現可能なものの、「一ヶ月程度の休みと少なく見積もって100万近くはかかる出費」への踏ん切りがつく可能性は低い。そこへ「もう1人2人一緒に行きたい」まで望むとさらに0へ近づく。
どうする? 僕らは、そのような「これやらないと嘘だよなあ」という希望を抱え落ちして死んでいく。したいことリストに言い訳をする。「意外と楽しくないんじゃないか」「休みをこんなに割けないから」と。それもギリギリ実現不可能じゃない事項たちへ。
逆に他人の夢を奪ったら面白くないだろうか。僕が急に一言も告げずにカルフォルニアをハーレーで爆走するのだ。相手もめちゃくちゃビックリするだろう。僕はバイクで風を切る爽快感よりも、「友だちをビックリさせてやった」少年心で嬉しくなる。または「他人の夢を奪う」といった夢を達成することができる。悔しくなったら彼もカルフォルニアへ飛べばいいのだ。その気になれば今すぐにでもできないことはないのだし。
じゃあ初めから2人でカリフォルニアへ行けばいいんじゃないか。それもそうかも。本物のイージー・ライダーになるな。
みんなは「ギリギリ実現できはする夢」を抱えたまま死ねますか? 夢は夢だからいいのか? 「絶対やりたいことリスト」を書き出し、その実現のために人生を捧げてみるか。それもまた妙な生き方だ。あまり自由に楽しい様子が想像できない。
夢なんて憧れたままどうにもしないくらいがいいのでしょうか。とりあえずハーレーに跨ってから考えてみようか。