社交辞令と無意味と意味
飛行機に乗っている。今回は8時間の旅。なぜ僕が頻繁に海外へ飛び回っているかは、今後明かされるかもしれないし、そうでもないかもしれない。なんにせよ色んなところを飛び回ることに今は注力しております。
さて。長いフライト、座りっぱなしの8時間はなかなか慣れたものではない。どうしても窮屈さに辟易する。今回も例に漏れず、本を読みながらもぐってりとしていた。眠れても体勢的に1.2時間で起きちゃうしね。
日付変更線を越えているので、3日の夕方に日本をたち、8時間かけて着いた時には3日の朝! 時が戻っている。怖い。
途中、キャビンアテンダントが暖かいお茶を淹れてくれた。ありがたい……。その際、なぜか僕にだけ「先ほどのお食事は美味しかったですか?」と付きであった。なぜ!? たしかに周囲はヘッドホンやアイマスクを駆使して就寝状態。ずっと読書していたのは僕くらいかもしれない。そのせいで強張って見えたのかな。
なんにせよ、訊かれたのだから答えねばならない。「美味しかったです」と小声で返すと、向こうは笑顔で返事する。作り笑いながら僕もにこやかに返す。まさかここで「ぜんぜん美味しくなかった!」「まだまだ焼き加減が調整不足だね」なんて言うわけもなく、「美味しかったです」と笑顔でコミュニケーションする前提の質問!
なるほど。たしかに、一瞬であれども僕は笑顔になった。8時間のフライトで笑ったのはこの瞬間だけ。こうした短い会話があるか無いかで印象は結構違うものな気もする。少なくとも、「いざとなれば人間とコミュニケーションできる場である」と安心感を得られた。
少し前、中野にあるホームセンター・島忠にて、棚用の板を買っている時に店員のおばちゃんが「そのピアス素敵ねえ」と褒めてくれた。「ありがとうございます」と微笑む。それ以上に意味はない。意味はないけれども、こうして記憶しているくらいには「ほっこりエピソード」として刻まれたのですね。
自分にはなかなかできない。それどころか真逆の印象を与えている。どうやら僕は会話中にあまり表情が変わらないらしく、打ち合わせ中に「僕が怒っているんじゃないか」と誤解が生じたらしい。まっっったく怒っていないどころか、特に何も感じていなかった。そもそも不快感を一切示さなかったのに何故誤解をされたのかと尋ねてみたら、怒ってはいないが笑ってもいないことを指摘されたのです!
「人間というのは、敵意が無いと示すためにまずは世間話をするんだよ」と教わる。今!? 幼稚園生でも本能的に知っていることだ。どうやら僕はそれができない。なんと恥ずかしい人間なのでしょうか。
自分は信条として社交辞令を言わない。数寄者としてのプライドがあり、目利きであり続けたい。面白い、カッコいい、かわいい、これは好きだ。これらはすべて本当にそう思った時のみに発する。社交辞令で「これ好きです」と言うたびに魂が穢れて社会的になる感覚へ耐えきれなかった!
結果として、仕事で少し話す程度の初対面の人間に対し、「表情が変わらなくて怖い」と認識されてしまった。しかも僕は見ての通りテキストの人間なので、アイデアや状況を文章にて送信する。人は急に6.7行以上の文章がくると身構えてしまうらしい。その時点で「なにか怒っているのではないか」「気に障ってしまったんじゃないか」とビビる。こちら側の意図としては「誤解のないように事実や環境を説明しておこう」でしかない。いわゆる書き言葉の世界に生きている。
読んだらわかるよ〜♪ と軽い気持ちなのですが、僕の文体が他人行儀なせいで、これまた「怒っているのかな?」と疑心暗鬼に拍車をかける。「齟齬が起きないように事実をしっかり共有して進めていきましょう!」と、むしろ後に揉めないための姿勢を示したつもりが……。
人はそんなに文章で事細かに説明をせず、通話や対面によって、感情を含めて意識を共有するのです! なんと正しいことだ。
はたして、僕は初対面の人間に「先ほどの食事は美味しかったですか?」と尋ねられるだろうか。そんなん、美味しかったですとしか返ってこないんだから無意味じゃないかとスキップするでしょう。「無意味な会話をできる関係」に意味がある。
着いた先は英語圏。ジェスチャーとイントネーションの国。ここでコミュニケーションを学ぼう。今回も鞄の中はぬいぐるみが8割を占めている。僕の会話相手は彼女たちだけさ。