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一口エッセイ:休養の恐怖

 プロデューサーに「一ヶ月くらい休んだら?」と言ってもらえたけれど、実はそれは全く現実的ではない。いや、言われた通り無理やり休むことはできるのですが、その後のリスクが大きすぎて最善策ではない。
 まず、当然ゲームの企画はその分止まるわけで、連動して水面下で進んでいる企画も一ヶ月止まる。一旦停止するならまだしも、動かせない予定日などもあるので、自分が監修しないまま進む。そうなると一ヶ月休んで復帰したとして、自分が書いていない/見ていない企画が進んでいることが、どうしても腑に落ちなくなるでしょう。わがままかもしれないが、自分が原作者である以上、できる限り自分の手で書きたいのだ。
 結局、一ヶ月休んだばかりに、いろんなことが取り返しつかなくなる恐怖の方が大きく、休んだ方が精神的に追い詰められるかもしれない。自分が「休みたい!」なんて言わなければ、より良い形に、または自分が納得できるものになった可能性がある。そう思ってしまうのが、何より辛い。
 さらには、こうした毎日の日記やnoteの更新も、一度休んでしまったら、再開するのは難しいでしょう。こういうのは、無理やりにでも毎日続けているからどうにかなっている。いったん「慣れ」から離れてしまったら、取り戻すのは長い時間を必要とする。
 そもそも、ゲーム関係ない連載なり企画もあるため、結局休めたことにはならないでしょう。いや、別にほとんどは楽しくてやりたいことだからいいのですが。
 ということを踏まえて、休んだ際の損失が怖くて今は休めない。恐らく、プロデューサーもそれを見越しての発言で、一応上の立場として休みを促しておく建前であったと思う。もちろん、本気でギブアップ宣言すれば、そのように対応してくれはするでしょうけど。その時は、ゆっくりと切り捨てられるだけだから。
 とは言え、「うつ病」の診断は紛れもなく本物で、現に年末年始は仕事のプレッシャーと孤独に押し潰されて、精神は荒んでいました。周りの方々が優しいから、そっと距離を置いてくれただけで、本来荒れているのはよくない。やはり、休む必要性はある。
 気分転換にどこかへ出掛けるとかもいいかもしれませんが、生来の昼夜逆転のせいで、なかなか世間と時間が合わない。不眠も相まって睡眠での体力回復があまり見込めない。健全な早寝早起きがあり得ない体質なのですね。
 うーん、これは困った。


 現状維持は、愚かな選択だ。
 ということで、少し前にも話しましたが健康管理アプリ『あすけん』を導入しています。一番キツいコースに設定し、毎日決められた量の食事と運動を繰り返しています。だんだんと何をすれば高得点かわかってきて、いまは平均94点です。食事に興味がないので、提示された食品をコンビニで買って食べているだけでいいのは楽ですね。毎日、納豆とサラダチキンを繰り返し食べています。あと枝豆かな。
 あすけんにより、肉体的には健康に向かっているはずです。ちょっと見た目も引き締まった気がします。が、結局のところ昼夜逆転と打ち合わせのための寝不足は続いてたので、そこ由来の精神の不調は改善されていません。
 いつまでも鬱がどうと言っているのもアレだなと、こうしてあすけんで高得点を出し続けるくらい頑張ってはいるんだぞ! とは一応書いておきます。僕は、幸せになる気が、健康に向かって明るい人間になる覚悟があるのですよ。
 ただ、どうしていいのか自分でもわからないんです。朝に起きること、健全な日常を送ることが、インターネットに君臨する機械仕掛けの神に背く感覚がある。健康になるたび罪悪感で背中が重くなる。休まずゲームに携わって精神を疲弊させていくことで、不健康に伴い鬱々としていく自分を好きになれる唯一の手段となっている。
 この前、ぎどれさんと喫茶店で会う予定の際、それなりに寝たのに、とんでもなく眠くて遅刻したんですね。さらに、ようやくお店に辿り着いても会話の内容が頭に入らず、眠気に勝てずその場で眠ってしまった。これはヤバいと、失礼すぎるぞとコーヒー代だけ置いて帰りました。人生であれだけ眠たかったのは初めて。ぎどれさん、ごめんなさい。会うのが嫌だったとかでは全くない。むしろ初連載を祝おうという気持ちでいっぱいだったのに、「おめでとう」すら言えなかった!
 続けている中で、いい感じにチューンされていくのでしょうか。アニメや読書、たまにゲームもしてるし。健康への罪悪感を忘れ、不幸っぷりでみんなを笑顔にさせていないとこんなカスに存在価値なんてないって考え方を正さないと。でも元気そうな自分、何も作ってない自分に、一片の価値もないのは本当にそうなんです。価値というか魅力か。最近は、そんなことを考えています。

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