
狂わない
多忙に追われる中、運悪く低気圧が重なった。元より自律神経はめちゃくちゃなうえ、この忙しさでは言うまでもなく気圧の影響を大いに受ける。へにゃっと床に伏せつつも、大気の圧力を締切の恐怖が勝ったのでカフェインを摂ることに。
自販機で温かなブラックコーヒーを購入し、飲み干す。血中を駆け巡るカフェインはゆっくりと痛みを上塗りする。おかげで、僕の身体は傷ついていないフリを行った。おかげで作業を再開できる。
しばらくして、カフェインのピークが終わる。再び気圧に襲われる。さらには反動で怠さは倍増されているのです。これには耐えられない。またまた自動販売機で痛み止めを追加する。数分後、僕の脳みそは「もう痛くないんだ」と勘違いして。
繰り返しているうち、震えが酷くなってきた。カフェインによって刺激された肉体は興奮と憔悴の段階へ突入する。身体はもう動きたくないと叫んでいるのに、血中の成分が無理やり活性化させてくる。この矛盾によって僕はバグっていた。けれども休めるわけで無し。
カフェインによる震えと不安を、新たなカフェインによって胃へ流す。そこまでして生きている理由ってなんだと悲しみも浮かんだけれども、感情すらも焦げ茶色の濁流といっしょに胃酸で溶ける。

数日前、知り合いが精神的に追い込まれてついに発狂したらしい。もはや会話が支離滅裂だと。そうなると本人はなおさら病院へ行かないと決め込むし、誰かが連れて行ったらその人物が予後の責任を取ることになる。この場合、社会はそっと見なかったフリを選択する。その事実へ悲しくなった。
自分がそうなったっておかしくはない。そもそも僕は数年前に一度使い物にならなくなり、適応障害として半月動けなくなっている。発狂した知り合いの様子は僕とそっくりで、再び僕が狂いきる可能性だって当然あるのだ。現に、今夜の打ち合わせではさすがにそれは無いんじゃないかと感じた命令に対し、納得できないものの震えで声を出すこともできず、5分くらいフリーズして言葉を失ってしまった。「絶句」なる状態を初めて味わう。
口をパクパクさせつつも、声にならなければモニターの向こうには分からない。「言いたいことはあるだろうけど、とりあえず進める感じで」と退出していき、一人になっても数分呆然としたままだった。
無力感にひしひしとしつつ、発狂についてが脳裏を過る。
社会というものは、幾重にも強固なバリアが張られている。あらゆる場面において、狂った人間を適切に切り離す準備が施されており、「このような手助けをしていましたよ」という証拠も適所に用意がある。大人たちは恐ろしいほどに責任回避の隙がない。
「休ませて欲しい」といった要望へは、特に完璧だ。究極的に責任さえ感じなければ封殺できる。「ではクオリティを落とすね」「つらいけど、まだまだいけるよね」。手をかえ品かえ、音ゲーのように2つの言葉を交互に繰り返していればいい。責任の所在を現場に託しちゃえば上は傷つかない。そのせいで手を動かすものが狂ったら、ある程度悲しんでおしまい。
おかしくなったら終わりだ。放っておいても矛盾やミスが大量に出てくるから勝手に自滅する。結果がすべて。過程の苦悩はバリアによって封殺されていく。僕だけ特段ワガママなのかと油断していたものの、同じ環境の周囲が発狂したから、無抵抗だとこの未来を辿ることが分かってしまった。それが恐ろしくて声が出なかった。
とはいえ、どうにもならない。何故このようなことへ耐えきれる者がいるのか考えると、彼らには家族がいる。愛する配偶者や子どもたちを守ることに責任をスライドさせることで、仕事は腹八分目で切り上げられる。「家庭まで捨てて働け」なんて誰も言えないからね。その際、僕にはプライベートの言い訳はないから無限に差し込まれる。「言いたいことはあるだろうけど、とりあえず進める感じで」。仰る通り。黙り込んだ人間が落ち着くまで待ってやれるほど社会のスピードは甘くない。あなた方の勝利だ。どうせ僕はアップデートのために尽力するでしょう。守るべきものは作品だけだし。守らねばならぬ存在が居ることは立派なことで。要するに人間サマにゃかなわんてことさ。
それに、やっぱり各々に事情があるからしょうがないのは流石に分かっている。誰かが引き受けなければ80%で完成になることへ、バカな自閉症が煮えきれないまま憤っているだけで。インディーゲームを成立させるのは愛と拘りだけで、愛と拘りを持っている者が疲弊する。たとえ3年経とうとも。200万本達成のお祝いの言葉もないまま、代わりに「とりあえず進める感じで」と通話から落ちて。
この感情すらもカフェインによって消えます。狂ったら負けの世界で。僕はコーヒーなんか大嫌いですが、真っ黒なアルミ缶の熱だけが僕の心へ寄り添っている。
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