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コミュニケーションのミスと大人語

 多くのことを間違えてしまった。
 結局はコミュニケーション量であることを甘くみたというか、身体がどうしてもついてこなかった。無理にでも打ち合わせ……いや、打ち合わせだと重々しいので、何らかのイベントや展示を探し、仕事相手をそれに誘うべきであった。
 テキスト上や通話のみでの不満を自分を知っていたはずなのに、週一での打ち合わせで顔を合わせるからと、それだけでは「仕事で会っている」感覚に嫌気が差す。というか週一ですら集まれてないし。
 すべてがコミュニケーション量のなか、相手の予定を慮っている余裕がなかったかもしれない。とはいえ、スケジュールの調整は非常に難しい。予定に関して「偉い方に逆らえない」。偉い人物が忙しいと、誰も相手に無理を言ってまで予定を空けさせられない。偉い方は「自分はお金や人員を割いているから居なくてもいいだろう」と判断する。偉いからね。そこで全員が顔を合わせる機会が著しく減っていく。
 全員が全員、テキスト上のやり取りでも人間の感情を無視すれば成り立つから、いや……SNSに慣れすぎて、文章として記録に残っていることに重きを置きすぎたね。チャットを掘り返せると「証拠」が存在しており、そのため水掛け論にならないよう「証拠」があることに安堵する。そうなると言い争った痕跡を残さぬよう、発言が丸くなるに決まっているのに。
 テキスト上での証拠が突きつけられるのだから、責任者、先述した偉い方は自ずと「大人語」を喋るようになる。大人語、それとなく命令をしつつ具体的なことはしない、後から面倒ごとになった時、最悪裁判になっても突かれない言い回しに徹する。
 たとえば「本当にキツかったら休めよ」とかは綺麗事もいいところで、同時に「休んだ時に発生する損失はアナタのせいだけど」を含んでいる。ただ、後から追求されたところで、「そんな他意はなく、本気で健康を優先していたんだけどなぁ」と責任をかわせる。「金を出す方」とのテキストでのやり取りはこういった大人語の連続でしかない。対策としては相手も企画者としてアイデア出しに参加させるしかなく、たとえその意見を採用しなかったとて、「この企画の一員である」と自覚させねばならない。大規模になればなるほど、安心しきった大人の大人語を封じる作業になる。
 そんなの面倒くさいだろう。一応、大人は大人で企画をよくわかっていないのだから、何となくそれっぽいことしか言えない。「好きに挑戦しなさい」とか。ただ、この発言すら大人語であり、「本気で企画が進んだ際は予算やら何ならで絡むから好きにといっても、こちらの面子が立つようにしておけよ(または面倒になるなよ)」といった意味も含んでおり、要するに相手もふわっとした大人っぽいことしか話せない状況にある。
 いかに引き摺り下ろすかは対面でしかない。対面での会話によって、責任回避の間を与えない。人と人との口約束に頼る。勢いがなければ気を良くしてもらう。これが接待が発生する要因なのでしょうね。であれば、接待なり会食(?)とかいうのをセッティングされた時点でつまらない大人の仲間入りなので終わっている。
 まあ、しかし多くの大人は「オレはもう終わってますけど?」という態度を取れる。「でも金出してますよね」と強気に攻めれるし、「終わってるから若い方を後ろから助けてるんだよ」と、その実結構なコントロールをしながら言い張れるから。見えない圧力で場を支配しつつ、「君たちの成長に期待している」と格好をつけられる、精神的な父親=権力者の構図だ。自分に父親が居ないから分からなかったが、思春期の子供が父親嫌いを経由する理由も分かる。誰だって己のダサさを肯定している権力者を本能的に避ける。とはいえ、大人側も「そうは言っても若者のようにがむしゃらに行動できないし……」と悲しんでいるのも分かる。老いた時点でしゃーないのだな。
 ただ、結局は老いたところで面子はあり、そして多くの人はその面子のもとに集まるしかない。一部の中核、それこそいずれ立場なんか追い越す気でいるギラギラした意思のある者ならともかく、組織の多くは「なんとなくやり甲斐があってお金がもらえそうだから」でしかない。それも仕方がない。やる気や希望なんて、持てと言って持てるわけじゃなし。その人たちがリスクを取るわけもなく、であればテキストでのコミュニケーションは、ひたすら全員による責任回避でしかない。僕がテキスト上での会話を、まあこうして毎日日記を投稿している分、それなりに事細かに感情や状況を言語化するゆえに、そうでない人は会話でしか本音を引き出せない、文章を恐ることを察し難かった。
 ここに僕のミスがある。
 ただ、やはり人はそう簡単に目の前で話すという重々しさに耐えきれない。買い物でも何でもいいから、建前が必要だ。建前を考えきれなかった。ガキのフリして「博物館にでも行きたいな」なんて申し出る覚悟が必要だったのだ。残念、僕は行きたい場所にはすぐに独りでもさっさと行く。独りの気楽さは、他者とのコミュニケーション機会の犠牲であることにも気づけなかったね。でも、博物館はともかく美術館で調子を合わせるのは難しいよな。美術品を前に大人語が繰り出されでもしたら、その場で怒って帰るでしょうね!

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