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2020.3.8 避けられないこと

人生において避けたいことはたくさんある。

すばやくメールを返さなくてはいけないこと、再配達の電話をすること、歯医者に行くこと、休みの日に早起きしなくてはいけないこと。

どれも苦手で、できれば避けたい。

まあ苦手というか単にやりたくないなあという気持ちが強いだけなのだけど、それにしたって避けたい。避けたすぎる。でも人生は避けさせてくれない。修行である。

たまに「会社の仕事と原稿の仕事どっちもやって、大変じゃないですか」って聞かれることがあるんだけど、ぶっちゃけ、原稿そのものは大変ではない。大変なのは、原稿仕事にまつわる、あれこれとした「やらなきゃいけないこと」だ。むしろ原稿仕事なんて、それにまつわる仕事たちの、1/3くらいの労力しか使ってないんじゃないか、と、思う。

でも避けられないことはやってくる。避けられないけどやりたくないというのは、たいてい、他人から見てわからないことの方が多い。

避けたいけれど避けられないことを、どうやってやっていくか。そんなことを考え始めたのは、高校生くらいだったなあ、とこの記事を書いて思った。

https://www.jigakujishu.net/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AB%E5%95%8F%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B/

小学生中学生に続いて、高校生へのおすすめ本である。三浦綾子さんは高校時代に読んだ作家として記憶に残っている。

自分が避けられない自分の弱点。それはたいてい、人から見た姿と、自分で思う姿と、ちがっている。人から見てこいつはここがだめなんだよなあ、と思うところと、自分はここがよわいんだよー、と思うところは、たいてい、ちがうのだ。
でも高校生の時は、それがちがうことになかなか耐えられなくて、そしてどうしていいかわからなかった。
他人視点と自分視点、どちらを大切にしたらいいのか、どうバランスをとればいいのか、本当にわからないし、むずかしい、といつも思っていた。

『氷点』のなかで、主人公の陽子は、ある結末を迎える。のだけど、私にとってその結末は、他人じゃなくて自分視点を完全に優先した結果のように見えた。
読者としての自分はなんでそんなことするの? って首を傾げたのだけど、それは他人から見た時の疑問であって、自分で自分を生かそうとした時、結果的に、人は自分の信念や考え方と殉死することがある。それがいいことかわるいことかは、場合によって違うんだけど。
キリスト教をはじめとする宗教をはっきり自分の内側に抱えている人間は、余計に、自分視点が強くなるのだ。と私はこの本を読んで思った。
むしろ自分視点をぶらさないために、宗教的なものを人は持つのかもしれない、と。

だけどそれはやっぱり自分視点の結果だから、他人からしたら、また、よくないことだったりするのだけど。

自分と他人。ずっと私の中にある、これどうしたらいいんだろうなあ、というテーマの一つが、高校生の時『氷点』を読んだ時に言語化されたことをいまだに覚えている。
避けられないことは、今もなお、避けられない。

いつもありがとうございます。たくさん本を読んでたくさんいい文章をお届けできるよう精進します!