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共存できるsustainableな社会へ


 はじめまして、タカハシジュリです。
この春、武蔵野美術大学 映像学科を卒業し、それと同時に同大学大学院のクリエイティブリーダーシップコースというコースに入学しました。

 このコースには『クリエイティブリーダーシップ特論(CL特論)』という授業があり、毎週、様々な業界で活躍をされている方々をゲストとしてお招きし、お話を伺います。
 CL特論 第1回目の講師は、株式会社glagrid 代表取締役の三澤直加さん
今回は三澤さんのお話を振り返ります。


VISION “共存できるsustainableな社会”


 glagridは様々なプロジェクトを企画されている会社ですが、一貫して「共存できるsustainableな社会」というビジョンを掲げているそうです。

 私はこのビジョンに心から共感しました。もともと私の理想としていた良い社会のビジョンとは、「大小様々な問題に対して、一人一人が当事者意識を持って向き合いながら共創する社会」であり、そのためには「一人一人が主体的に社会に参加すること」と「社会自体に多様性を受け入れる柔軟さがあること」が必要だと考えていました。

 今回、5つのプロジェクトの事例を元にお話を伺いましたが、それらを踏まえて「共存できるsustainableな社会」というビジョンの実現には、
 1 一人一人が想像力・創造力を養うこと
 2 共創による社会づくり
という二つの要素が必要だと感じました。それらは私がぼんやりと考えてきたことと通じるところがたくさんあり、今回はこの二点を中心に、より良い社会に向けて必要なことを考えていこうと思います。


❶ 一人一人が想像力・創造力を養うこと

 まず、現代でより良い社会を作っていくためには、社会の構成員である一人一人が当事者意識を持って主体的に社会に参加することが必要です。それには、周りで起こる問題や社会で起きる問題について考えるとき、客観的な視点だけでなく、むしろ主観的に考える力が実は大切なのだと思います。なぜなら本当にその事柄と向き合い想像する時、その確かな根拠は自分の経験や感覚が元になるからです。
 例えば、恋愛映画を作るとき、全く恋愛感情の分からない人が「恋愛とはこういうもの」という客観的な情報だけを基に作っても、おそらくそこにリアリティは現れず、共感の得られないものになってしまうでしょう。また、精神的に深く落ち込んだ人を前にした時、より同じような経験がある人の方が親身になれる可能性は高いと思います。
 これらは少し小さなスケールの事例のようにも感じますが、大小問わず問題に向き合う上では大体同じようなことが言えると思います。確かな感覚というのは自分の中にしかなく、確かなものを追求する時ほどそれが必要で、客観的な情報を並べるだけというのは机上の空論になってしまう可能性が高いのです。想像力は共感力に繋がり、共感力は多様な価値観を身につける助けになります。そして多様な価値観が身についていればいるほど、起こった問題に対しても柔軟にアプローチできるようになるでしょう。
 このように私は、想像力こそより良く生きる重要な鍵なのではないかと考えており、そしてだからこそ、自分自身を見つめ、価値観や世界観を知ることの必要性を感じているのです。

 しかし、現代の教育や社会では、教えられる「これはこう」という前提を素直に受け入れ、全体(より大きな枠組み)を考えることばかりが重要視されてしまっているような気がします。これでは「みんながそうしているから」「それはそういうものだから」という受動的な考え方が身についてしまう可能性が高くなってしまいます。そして他人事な思考では、どんなに知識の豊富な人でも本質的な問題の解決策を導くことは難く、ましてや、より社会を豊かにするものを創造することも難しいでしょう。それはなんとも非効率的な社会に思えてなりません。

 では、どうしたら想像力・創造力を養うことができるのでしょう。

 今回三澤さんに紹介していただいたglagridのプロジェクトの一つ、「みらい科 おえかきシンキング」は、この問いに対してとてもワクワクするようなアプローチをしているものでした。

 このプロジェクトは「『描く』ことで創造的人材を育成する、小学生向け授業プログラム」で、「正解や形式に囚われてしまって柔軟な発想力が身につきにくい」という落合第六小学校の課題に対して、グラフィックレコーディングという方法で、生徒たちの柔軟な発想力を伸ばそうというものでした。そしてリサーチを重ね、問題を見つけ出し、「いかに生徒の『未来を進む力』を育むか、そして学校という生態系を変えていくか」ということをテーマに、以下の4つのプロセスで企画を進めて行ったそうです。

 ①楽しむ
生徒たちが正解のない問いに対し、巨大な紙に描くことで、個人の壁や固定概念から解放される。
 ②空想する
生徒たちが身体を使った探索、抽象化を行い、他者と話していくことで、見立てたものから飛躍し、新しい意味を発見する。
 ③きく
生徒たちが自分の心の声を聞いて受け止める態度を学び、他者の声を受け止める土台を育んでいく。
 ④まとめる
生徒たちそれぞれが折り合いをつけるための対話、他者の世界への貢献、自分の世界に他者が交わることへの許容を通じて、新たな世界を創造する中でお互いが共存するあり方を学ぶ。

 こうしたプロセスを経て、生徒たちの中に徐々に創造的活動を支える「変化の兆し」が見えるようになったそうです。授業のノートの表現は多様化し、生徒によっては自分の発揮の仕方がわかったり、他者への関わり方に変化が生まれたのだと三澤さんは仰っていました。さらにはそんな生徒たちの変化に先生たちも刺激され、生徒の創造性・自律性を育むよう授業の形を変えていく挑戦をどんどんするようになったそうなのです。

 このプロジェクトのお話を伺って何よりも素晴らしいと感じたのは、この企画を通した体験が、生徒たちの私生活にしっかりと活きているという点です。現代の日本の教育システムは、教育がただの知識の蓄積に留まりがちになってしまうという課題があると思います。学んだことのほとんどはただ試験のために消化され、「身になる」という本来目指すべきところから離れてしまっているのです。
美術の授業も「より評価される作品を作る」ことが重んじられているように感じます。少なくとも美術大学に入学するまでの私は、出来上がるまで(過程)よりも、完成したもの(結果)に興味を持たれているように感じ、「上手な褒められる絵を描かなくては」という意識に疲れてしまい、絵を描くことや表現することを楽しめなくなってしまいました。
 しかし美術教育で重要だったのは、一つの正解のようなものへスイスイ向かう力ではなく、一つのことに丁寧に向き合う力だったのだと、美術大学に4年間通いながら気が付きました。それはただスイスイ進むということではなく、道無き道を彷徨ってみるということで、そして彷徨わなければ見つけられなかったものに出会うということでした。
そういった自分の経験から、私は図画工作や美術といった授業に、想像力、創造力や柔軟性を培う可能性を感じており、このプロジェクトのお話は「リベラルアーツとしての美術教育」の可能性を力強く感じさせてくれるもので、本当にワクワクしました。

 そんな結果を導いた4つのプロセスは、より良い社会形成に必要なプロセスそのもののように感じられ、グラフィックレコーディングの授業がもっと全国的に広がったらどんな素敵な子供たちが育つんだろう!と思うと同時に、子供に限らずすべての世代が体験できたら良いのに!と思いました。


❷ 共創による社会づくり

 より良い社会を作る上で最も重要な点は、❶で述べたような創造的意識・思考を持った人たちが、”共に”社会を作ることにあると思います。
社会を作るのに、誰か一人の価値観・世界観だけでは、あくまでその人にとってのみ居心地の良い世界しかできません。当事者たちが、本人たちにとって心地の良い社会、空間、システムを作るためには、誰か一人ではなくより多くの当事者が参加することが必要になってきます。それが共創型で社会を作るということです。
 今回紹介していただいたglagridのプロジェクトはどれも「共創」が重んじられていました。そして「共創」という観点で特に印象的だったのは『梅光学院 新校舎建設プロジェクト』です。

 このプロジェクトでは、実際に校舎を利用することになる学生や教員などがアイディアを自由に出し合いビジョンを描き、そのビジョンを建築家と協力して実現させるというものでした。

 私がこのプロジェクトに感銘を受けたのは、建築家に任せてしまうのではなく、利用者のひらめきやビジョンと建築家の技術が掛け合わさって、新しい形の学ぶ場が生まれたという点です。
「自分たちには建築に関するスキルもないし...」と全て建築家に任せていたら、本当にそこを利用する人たちに豊かさを与える空間は生まれなかったでしょう。「より良いものを創造するために必要なもの」と言えば、一般的に技術ばかりフォーカスされがちなように思います。もちろん最終的には技術や科学的な実証がなければ実現できないことばかりかもしれませんが、大切なことは「誰にだって創造力がある」こと、つまり「技術を持っていなくても素晴らしいアイディアは生まれる」、さらには「アイディアをみんなで持ち寄ることでより良いアイディアに昇華できる」のだということだと思いました。

 また、今回の事例は、技術のポジションが、そういった共創的なアイディアとその実現の架け橋であった点も素晴らしいと感じました。技術や分野が発展していくにつれ、「専門」と「専門外」の間の壁は厚くなってしまいがちです。しかしそうすると自分にも関係のあるはずのことでも専門家に任せてしまおうという風潮になってしまい、それではその分野が社会に貢献できる可能性が狭まってしまうのではないでしょうか。
専門家たちもより多くのことに興味を持ったり多くの人の多様な意見を取り入れることを怠らず、技術を享受する側も自分たちには何もできないと思い込まないこと、つまり両者がオープンマインドで関わり合うことがより良い未来を創造することに必要なのではないかと、この度の講義で感じました。


柔軟な社会こそ、みんなが心地の良い社会

 社会が発展するにつれ、私たちはより多くのものを享受できるようになりましたが、社会が複雑化すればするほど、社会に転がる問題も複雑化しているのが現状です。そしてそれらは、直線的、一方的なものの見方ではなかなか解決できないと思われ、社会が発展すればするほど柔軟な思考力を持った人材が必要になってくると思います。

 しかし私は、そのことを発展の代償といったネガティブなものだと捉える必要はないと思います。あくまで私の意見ではありますが、私は「柔軟であることは楽しい!」と思っています。そして「柔軟で丁寧な考え方ができればどんな問題でも解決に向かえるだろう」という希望が自分の推進力になることを嬉しく感じています。
 私はもともと「これはこう!」「それはそう!」「だってみんなそう言っているから!」ということばかりでした。カチカチでした。しかしそんな考え方しかできなかった私は自分の感覚でさえ信じることができず、「このままでは人任せに、他人の目を気にしながら生きることしかできなくなるのではないか」と危機感を覚え、(紆余曲折を経て)美術大学に進学することになりました。最初は好きなものも嫌いなものもよく分からないという感じで先生にも心配されるほどでしたが、日々自分と向き合ったり多様な価値観に触れる中で柔軟な思考力が(少なくとも入学当初よりは)身につきました。そして柔軟な思考が身についたことで、足元の踏み場にしか意識が向けられなかった私でも、安心して遠くに見える感動する景色を探せるようになり、それはとても豊かなことでした。
そういった体験から私は、こんな複雑化した社会だからこそ柔軟さがハッピーの鍵なのではないかと思っています。

 今回の講義では、具体的な事例から、確かな希望をたくさん感じることができました。この記事では二つの事例しか取り上げませんでしたが、紹介していただいた5つの事例全てに「柔軟的、創造的思考力の可能性」を感じました。
「柔軟に考える機会が増える」→「柔軟で能動的な人材が育つ」→「そうした人材によってより柔軟な社会が形成され、より柔軟な発想や多様性が受け入れられる社会になっていく」→「柔軟だから、時代が流れてもその都度対応できて持続可能な社会になる」...、そんな良いサイクルが生まれたらどんなに素敵だろうと思ってこの大学院に進学しました。きっとできると思います。

「柔軟で、どんな形の人や問題にもフィットする」そんな心地の良い社会を作る一員になれるよう、これから2年間の大学院生活を本当に大切にしていこう、そう思わせていただいた講義でした。




開講日:2020年5月18日
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース
クリエイティブリーダシップ特論 第1回  三澤直加さん(glagrid)

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