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ICUC-065_2021.6.19【エロい話:体内記憶と体表記憶】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎65「エロい話し:体内記憶と体表記憶」ICUC知的好奇心向上委員会
人は体感する時に、体内記憶と体表記憶があるそうです!
性交の際、女性は体内記憶で男性は体表記憶。。。
これって、あらゆることを体感する際にも、云えることなのではないでしょうか?
今回は、そんな真理を探求するエロさについて語っています。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

落ちたと言ってる自分たちが何とかしようと思うしかない

 おはようございまーすぅー。…おはようございまーすぅーなんて言っちゃいましたけど、知的好奇心向上委員会のバラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。よろしくお願いいたします。6月20日…ですね。はい、もう気づくと今年も半分くらい来ちゃっておりますけども、みなさまいかがお過ごしでしょうか?梅雨に、ついに関東地方も入ったので今日は雨の週末でございますと。私は朝からですね、こんな感じで喋っております(^^)
 で、今日何話しそうかなーなんて思ってるんですけど。今日はですね、史上…史上最大っつったて、このICUC史上ですけどね。ICUC史上最大のエロい話しをしてみようかなーなんて思っております。でもね、エロい話しをしようって言ってもなかなかね、キャラ的に話しせる人間でもないですし、そんなエロについて全く詳しいわけでもないんですけども。ちょっと思ったことがあったんで話してみようかなーなんて思っております。
 で、その前にというか、あのー…ね、新型コロナウイルスのワクチンの接種が。なんかボクらも出来るような、高齢者じゃない人間も出来そうな空気が漂ってきてましてね。私の所属する地方公共団体もですね、7月からなんか接種権を配るってお達した出てましたし。その前に大規模接種?自衛隊がなさってる。あれに行きたい人は早めにチケット、接種権を渡しますよなんていう風に言われたんで。ボク本当に…それを見たのがちょうど金曜日だったのかな?朝起きて、今日からじゃんとか思ったんで、とりあえず区役所に行ってですね、チケットをゲットしました。で、そう思った時に、行ったら結構混んでたんですよね。すごい並んでて。並んでて混んでるから「わー、結構待たされるのかなー」なんて思ったんですけど、待ちませんでした。10分、15分でチケット頂けましたね。だからその時の区役所の方がみんなすごいテキパキとね、効率よくやってて。日本の組織力、なんか落ちた落ちたなんて言われながらも頑張ってるなーなんて思ったって言うか。だから落ちた落ちたなんて言ってるんじゃなくて、自分たちが何とかしようって思うことしか、結局その落ちてることから…防げないんじゃないかなーなんて思ったんで、なんかこうね、海外と比べて日本はダメだとかイイだとか言ってるのもなんか癪に障るし。だからって日本が一番だって言ってるのもおいおい違うよなんて思った時に…。ね、なんかそういう地に足ついたところから1個ずつやって行くことがこの日本の素晴らしさだったんじゃないかなーなんて思いましたね。
 まあ、それで大規模接種の予約をしようと思ったら、大規模接種の予約は出来ないっていう感じだから(笑)、チケットは手に入ったんだけども、いつワクチンが打てるのかはまだ分からないという意味では、なかなか困難な感じでございますが。ボクはさっさと打ちたいですね。さっさと打って…うーん、それがこう、少しでも新しい世界がやってくるきっかけなればなんて思いながら。そんなことを考えておりますが。はい。

ICUC史上最大のエロい話 体内記憶と体表記憶

 で、そんなんで、じゃあそのエロい話しなんですけど。えーと、どこから話しそうかな。エロい話しを話しすって恥ずかしいですよね。あのー…、セックスで男の人とと女の人がどっちが気持ちいいのか?みたいな。これはだからあれですよ、ヘテロな恋愛の場合ですよね。ホモな恋愛の方はまた全然考え方が違うんでしょうけど、私はヘテロな人間でございますから、それは分かんないんですけども。そのヘテロな場合、いわゆるセックスをしたときに男と女はどちらが気持ちいいんだ?みたいな。まあどっちも気持ち良いのかも知れないし、どっちも気持ち良くないのかも知れないんですけど、私は男性なものですから女性の気持ち良さというものが分からないなーなんて思いながらも、なんとなく男性の気持ち良いことを進めるためにこの世界は動いてるところがあって、それに抗ってるのが今のジェンダー論争みたいなことなんじゃないかなーなんて広く思ったりもしてます。
 で、そう言う話しをですね、ある女性の方とこの前話したんですよ。まあ全然雑談ですけどね。そしたらその方は女性の方が気持ち良いんじゃないか?って言うんですよ。うん、なるほど、と。で、その時に気持ち良いって言うか女性の方がその快感というものを記憶してる…量というか記憶してる深さみたいなものが深いのではないか?と。男性より、と。ああ、だからその…男性の方が場当たり的というかね。男性の方が焼畑農業的というかね。女性の方がサスティナブルというかね。
 みたいな話しをした時にその方がね、紹介してくれた言葉があってですね。これあれなんですよね、整体師の三枝龍生さん、龍が生まれると書いて”りゅうせい”さんっていうのかな。三枝龍生さんがね、書かれてるっていって。ボクもその後ちょっとその本を読んでみましたけど。つまり、”体内記憶と体表記憶の違い”だって言ってるんですよ。だから女性というのは深く中に入って来るわけで、体内で記憶すると、その快感を。男性は深く入ってるときに結局体表、表面、サーフェイスでしか快感を記憶…感じていないから、体表記憶なのではないか?と。だから男性は体表記憶で、女性が体内記憶。なので、体内記憶の方が深い記憶なのでなないか?というようなことをその本は書いていて、その方もそう思うと。「うん。なるほど。」と。
 ほぉ〜なんて思った時に、確かに男性の快感って、う〜ん…擦る快感っていう…究極的に言えば。だからサーフェイス、体面というか表面上の擦れ合いなんじゃないかなーなんて。表面上の擦れ合い、つまりスクラッチみたいな。キュキュキュキュ、キュキュキュキュっていうDJじゃないですけど、スクラッチ的な気持ち良さ、記憶なのではないかな?って言われると、男性のボクとしてはなんかちょっとしっくりくるなーみたいな風に思ったんですよ。
 まあだから女性の方は分かんないです。女性の快感を感じたことがないので。ただそれが体内に入ってくる記憶というのは深いのではないか?っていうことは、なんか…う〜ん、なんかちょっとしっくりきたんですね。

洋楽で考える体表の気持ちよさと体内の感動

 だからその体表記憶と体内記憶っていうのはすごい面白いキーワードだなーなんて思ったんです。で、そう思った時に、先週、先々週、デヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピアの映画について話しをしたと思うんですけど、ライブ映画なんですよね。なので、このことに興味がある方は先々週の「レ・ミゼラブルとアメリカン・ユートピア」って回を見ていただければいいんですけど。ま、そんなことよりアメリカン・ユートピア、映画見ちゃえよ!ってのが一番早いんですけどね。まあそれは置いといて。
 そのアメリカン・ユートピアの時にボクが語ったのは、つまりボクは英語出来ないものですから、デヴィッド・バーンとかトーキングヘッズとか、まあ何でも、ローリングストーンズでもビートルズでもバンヘイレンでもアリアナ・グランデでも、何でもいいんですけど。そういう洋楽のミュージックを聴いてる時に、ビートとかサウンドとかのカッコよさ、そういうものでノリノリになっちゃうわけですよ。ところが、歌詞がなんとなくしか分からないから、アイラブユーって言ってることぐらいは分かるけどみたいな風に思った時に、そんなに歌詞のことについて実は洋楽聴いてるとき考えてんだよなーなんて思ったってことは、アメリカン・ユートピアの時に言ったんですよね。で、その時にその映画だと歌詞のところのに翻訳が字幕スーパーで現れるから、実はその歌詞の意味が分かる、と。で、その歌詞の意味が分かった時に、そのデヴィッド・バーンが語っている言葉一つ一つにすごい意味があるってことを感じた時に、すごい感動してしまったってのが、そのアメリカン・ユートピアという映画での感動だって話しをしたんですけど。
 それって今のこのセックスの体表記憶と体内記憶っていう話しと実は被ってるのかなーなんて思っちゃったんですね。だからボクがじゃあ、ある、そういう洋楽を聴いて、カッコいいなーとか、クールだなーと思って、なんか感じ入った時って、それって体表的な、表面的な、まさにサーフェイスに触れるような体感でしか感じていないのではないかなーなんて思うんです。ところが、その言葉の意味まで分かった上でその音楽を聴くっていうのは、もっとその音楽を体内で記憶している、体内で快感を感じてるのではないかなーなんて、ちょっと思ったんですね。

バズる映えるは表面推し

 で、そう考えるとなんか体表記憶と体内記憶ってまさにセックスだけじゃなくてあらゆる感覚というか、まさにセンス、あらゆる感覚を感覚する時に、実はその深さみたいなものをどこまで自分が感じ入ってるのか?みたいなところの、何か違いみたいなもので現れるのではないかなーなんてちょっと思っちゃったんですね。
 そうすると、なんか…例えばね、それこそ先週話した動画だと、バズる動画バズらない動画っていう話しをしてるんですけど。YouTube上ではどんな動画がバズるのか?って…YouTube上で話してるんだけど。その動画自体はバズっていないっていう(笑) つまりボクが言ってるバズるバズらないは間違ってるんじゃないか?みたいな説は置いといて。うん、あのー、その説は置いといて。そのYouTube上でボクがなんか思っている”こうやればもうちょと見られるだろう”みたいな施作をやることが、なんとなく、こう、本能的に拒否してしまうんですよね、と。そんなこと関係なく自分がしゃべりたいことを喋るとか、コトブキツカサと5分で分かる映画のティップスみたいなの話したってしょうがないなーなんて思うと、まあ何だかんだ言って1時間ぐらい中年のおっさん二人があーだこーだ言いながらダベってる…みたいな方が楽しいんじゃないかなと。
 うん。山本豊津さんとね、豊津徳ってのやってますけど。あれも豊津さんっていう好々爺と言いますか人生の大先輩とアートについてめくるめく話しをしてるって言うのは、やっぱりめくるめくから面白いわけで。こうやれば美術がすごい、こう…見れますよ、ポイントみたいなことだけを語るのって、すごい表面的な気がするんですよね、うん。
 だから豊津徳で言えばまさにサーフェイスって話しになったんですよね。だからそれはまさに今週やった豊津徳の10回目を見ていただければ。

豊津徳【HozuTalk】10「ポップとアート」
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 つまり表面上に絵をペインティングすることと、その絵が語ってる中身、深さ、みたいなものってのは、やっぱり繋がってるようで違うみたいな。…違うって言うか、もっとサーフェイス以上に深いものをどう感じるか?みたいなものがアートを楽しむコツなのではないか?みたいな話しを豊津さんがされてますし。実際そのYouTubeのバズり方とかも結局サーフェイスというか表面…だから体表記憶に残るように、こうやれば擦られますよ。で、擦ったことで傷を付けるというか跡というか、コードを付けるというか、印を付けるというか。その記憶みたいなものって、だからまさにレコードですよね。レコード版に溝を掘るという記憶、コード、うん。それが繰り返すからレコードだと思うんですけど。
 そのコードをどう記憶するか?記録するか?っていう意味では、その見ている人にどう記録するか?と言う意味ではまさに体表記録なわけですよ。で、じゃあこの動画が体表記録の域を超えて体内記録まで、記憶までになるのか?って言われたら、もうめちゃくちゃ心許ないと言えば心許ないんですけども。でもなんかボクが日々思ったことで語ってることって、なんとなくその体表記憶ではない…う〜ん、体内に感じたモノ、モノも無いかも知んないけど、みたいなものをどう人に伝えればいいのかな?みたいなことがずーっとやりたいんだなーなんて思った時に、ボクがさんまのからくりテレビとか金スマって作って、視聴率を取るぞって入ってる時って、やっぱり体表記憶的にどうみなさんの脳裏に残るのか?みたいな。すごいジェンダー論で言えば男性的な快感を渡してたのかなー…。
 男性的って言ったけど、その体表記憶ってもしかしたら化粧をするってこともそうかも知れないですよね。インスタ映えを狙うってこともそうかも知れないですよね。だから実はジェンダー論的に実際メイクをしてインスタで映えてる写真を出そうとするというのは、たぶん比較的に男性より女性の方が多いという風に考えると、実はそういう体表的な装飾、体表的なコードをですね、身に纏って、対外的にどう見られてるか?ってことをたぶんすごい気にしてる社会になってるってことは、実はその感覚とか感動みたいな…もしかしたら感傷って言ってもいいですね、傷を感じる、だからまさにコードを付ける。楔形文字ですよね。楔を打つみたいな。そういう様な記憶の中に傷を付けていく感じが、すごい表面的なものだけでいいのではないか?というような世界にどんどん進んでるのかも知れないですよね。

表面をさらに面で覆う

 で、ボクがなんかこう、それよりも心の中の深みみたいなことを言ってるんだけど、一番難しいのは、じゃあ外見と内面とかよく言いますけど、結局内面なんてものは見えないし、そもそも内面なんてものはあるのか?それを言うと哲学論、哲学で言うとペルソナ論みたいなね。マスク(面)を着けてて、そのマスクみたいなものってのは一体…?体表というか、体表よりさらに被ってるものだから、今のコロナのマスクをしなきゃいけなくて口が隠れてるっていうことってのも、すごいマスクを着けてるって意味では、表面的に覆ってるのかも知れないけども。だからその表面的に覆って、どんどん内面が見えなくなってると。そんな中で、そんな中でも、内面を感じることがすごい気持ちいいことなのかなーなんて思った時に、ボクはなんか…もしかしたらセックスもそうかも知れないけども、あらゆる事物、”人・もの・こと”と内面記憶をしてみたいのかなーなんていう欲望にね、駆られますね。
 で、これは自分が男性だから体表記憶でしか感じ得ない自分というものに、体内記憶的な…もの…、だからこれ、あれですかね?よく昔から言ってる”子宮で感じる”みたいな話しってそういうことなのかなーなんて思ったりするんですけどね。
 ね、あのー、蜷川幸雄さんのね、芝居でもありますよね。藤原竜也さんが…パッとでない、ド忘れしちゃた、あのー、母と子のやつ。大竹しのぶさんと藤原竜也さんが演ったやつ、みたいな感じで言うと、そういう…根源的な子宮というか、カラダの、身体(しんたい)の奥で何を感じるか?みたいなところっていうものに、もしかしたら男性であるボク、あるいは男性はすごい根源的な到達できない、挫折とも言えるし、到達できないから追ってみたいみたいな欲望みたいなものがあるのかなーなんてちょっと思いますね。これ、だから、女性と話してみたいんですね。女性…いや、違いますよ。あんた分かってないわよって言われてしまったらスイマセンみたいな感じかも知れないけども。

学問のエロさ

 で、ボクが学問とかでエロい、エロさ、学問のエロさみたいな話しとかよくしてると思うんですけど。学問ってすごいエロいなーと思ってるんですけど。学問って真理の探究なわけじゃないですか。その真理の探究ということって体内記憶…ぅ〜ん、体表記憶ではない、体内にどう、心にこう…傷というかコードを付けていくのか?刻んで行くのか?みたいなことなのかなーなんて思うから、うん、学問を、真理の探求ってのはすごいエロティックな行為なんだなーなんて思う、と。
 で、もしかしたらアートでもね、ビジネスでもね、何か作品を生み出すっていうのは、その子宮というのはまさに子供が生まれる場所じゃないですか。だからそこから、何かを宿すってのは、体内、身体の奥で生まれるものってのは…発せられるわけですよね。それってじゃあ何かこの作品を作るとか仕事そするとか、もしかしたら人間関係もそうかも知れないけど、何かを、そういうものを生み出して世に出すっていうことは、結局体内の傷からしか生まれないというか。体内の記憶からしか生まれないのではないかなーなんて思ったりもするわけです。

体表から体内へ感情の挿入感

 そうすると、まあ本当は体内記憶的なものから何かが生み出されて、それが世に出た時に、それが体表記憶的なものを見て、言う人とか、感じている人とか、それに接している人の体表記憶を擦ってキュキュキュキュ、キュキュキュキュ、擦って。もしかしたらその人達のことを勃起させてしまって、それで…なんて言うんだろうなー、感じ入らせてしまえば…もしかしたらバズるっていうのはそう言うことかも知れない、うん。感情が勃起するというか、感情が隆起するというか。そういうことなのかなーなんて思うし。それを…なんて言うんでしょうね、やっていれば、もしかしたらその中でもっと深く、身体の中で、体内記憶として感じ入る人たちも出てくるかも知れないですよね。
 だからそう考えると、体表記憶みたいなものを別に否定してるわけではないです。なんか、だって、ある人を好きになるってなった時にその人の外見が、──だから好み、美人なのか不男なのか、ブスなのか美男子なのか、みたいなことは置いといて──、やっぱりそういう表面的なものから人が入って。で、入ってなんかコミュニケーションしてる時に、ああこの人はこういう人なんだなと思った時に好意を持つとか、あるいは敵意を持つとか、一緒になんかやってみたいなーと思うか、二度と会いたくないなーと思うかとか。人それぞれだなと思うんですけど。そういう風に感じるんだなーなんて思った時に…。うん。体表記憶というものを軽視してしまっては、まさに勃起できないというか。つまり感じ入れないんだと思うんですね。だから体表記憶で感じたものがどう体内記憶になっていくのか?っていうのは、まさに感情の挿入感というか。で、そうしたところで何かが結実すれば、セックスで言えば子供が宿るわけですし、アートで言えば作品が生み出されるってことなのかなーって思った時に、なんかね、すげぇ面白いなーと思ったんですよね。まさにエロいですよね。すっごいエロい。朝から話してる話しなのかなーなんて思いながらね。

深さあっての表面

 このエロさというのって、すごい追求したいなーって思うのって、男性のボクとしては無い物ねだりなのかも知れないなーなんて思うし。これをどんな方が見てるかは知らないけど、もしこれを見てる女性の方がいたとしたらば、なんかその体内記憶というものをすごい感じているのかどうか?ってことも知りたいですけど、それをセックスだけではなくて、世界、この世界というかこの宇宙というか、この社会で感じ入られるようになったら、もっと…本当のジェンダー論的に、もっとすごい平等と言うとあれだけど、女性も男性も楽しめる、ワクワクする世界が来るのではないかなーなんて思いますね。
 だからその体内記憶なんですよ、女性はって…仮に、仮定したとしても、それを憚る社会ってあるじゃないですか。その憚るって言うのは今までで言うと男性の体表的な、まさにポルノ雑誌的なというか。なんかこう表面的にエロティックなものでドキドキするということがよりビジネスになりやすいというか。…そういうところってあると思うんですよね。でも本当はビジネスだって、ライフというか人生だって、深いところがあるからこそ表面上で輝きを保つわけで。その深いところみたいなものをどう探究するのか?っていうのは、実はそんな憚っちゃいけないことなのではないかなーなんて思ったりするわけです。

元々の意味でのインターコース

 …まあ、憚りますけどねというか…その憚るというのは例えばね、忖度とかね、とも言えるし。なんかこうそこまで踏み込んでいいんだっけ?って思えるし。なおかつそれって自者と他者みたいな話しになりますからね。だからインターコースって話しをこの前、だいぶ前?1ヶ月前ぐらいかな、2ヶ月前ぐらいか?海の動画で話してる回があるんですけど。

55「内部思考のウォーキング、外部存在とのインターコース」
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 その回とかでインターコースってね、まさに性交、セックスするっていう意味になっちゃうらしいんですけど。元々はインターでコースするというか、自分の霊的なものをたいての霊的なものを交換するみたいなものがインターコースだったっていう意味で言うと、それがいつぞやセックスをするみたいな意味になってしまったらしいんだけど。そのインターコースをしてみたいんだよねってボクはその時言ったんですけど。今回の体表記憶と体内記憶って話しを聞いた時に、ああボクはそのインターコースしたいって言ってる意味って、深く入る…入ったことで、入られたことで、感じる疼きというか、そういうものをすごい感じていたいんだろうなーなんて思ったっていうことかも知れません。
 それがね、じゃあ具体的に今のこの世界の中の情報とかね、世界で自分が受け入れる情報とか、それを体内に入れまくってたら実際すごい傷が付くじゃないですか。パカパカパカッと。スクラッチ、擦ってたら、擦ってたら、擦ってたら、痛くなっちゃった!みたいな。擦りすぎですみたいな。そうなったときにそれでいいんだっけ?というか、やっぱり痛いからもう擦られるのいやだなって思っちゃいますよね、…ネットとか、人間関係とか、仕事上の嫌なこととか。だからそれを全くなしにして不感症でいいのか?みたいな。ちょっとこう…その傷に耐えられうるだけの身体的な健全さみたいなものも一方であって、なおかつ精神的な健全さみたいなものもないとその傷に耐えられないよなーなんて思うし。
 じゃあ一方でその擦ることの快感みたいなものがすっごい独り善がりになってしまえば、それはまさにマスターベーションというか、自慰行為になってしまうわけで。その快楽だけに踊ってるのって、果たしてそれでいいのか?みたいな。本当はまさにインターコースする、相手と、他者と、この世界と、この宇宙と、交換し合うことが一番の快感…かも知れないし、実はそれが人間の根源的な欲求というか、存在してる意味なのかなーなんて思ったりもするというか。うーん、なんかそれを身体でもね、精神でもね、感じ入られるということはすごいすごい、実は人生にとって一番大事なことなのではないかなーなんて思ったりもするわけです。

真理の探究こそエロである

 なんか良いことを言っている気がするんですけどね、今日(笑)。すごいエロい、エロいことを言ってる気もするけど。うん、真理の探究はエロであるっていう話し…かなぁ。真理の探究こそエロであるっていうことかなって言うか。…なんかね、それが表面的に関係性を作るとか、表面的に上手く行くとか、表面的に映えるみたいなことじゃないことの方がなんか面白いなーと思ってただけかも知れないですけどね。う〜ん、そんな感じのお話しをしてしまいました。
 なんか、なんかね、すごく…あることがあるじゃないですか。で、あることがあって、それに対してリアクションありますよね?楽しいとか、悲しいとか、ムカつくとか、喜怒哀楽的なものって。それも、あることって一瞬…例えば運転とかしててちょっとムカッて思ったって、実は体表的な感じですよね。で、その体表的なものってむしろ流してもいいのかなーなんてちょっと思ったりもするなーとも…ちょっと今思いましたね。恥ずかしいとかね。なんかそんなものってその瞬間の体表的な感覚でしかないじゃないですか。だから体内的にね、何かを感じ入った時にそれでもムカついたってことって何とかしなきゃいけないし、それほどの悲しさを感じた時ってやっぱりそれほどの悲しさなわけだから、「うん、はいはい、流してnext!next!」ってわけにはなかなか行かないと思うし。
 それほどの喜びみたいなものを感じたとするならばね、それってやっぱりその人が人生を謳歌していることの最大の意味なのではないかなーなんて思ったりもしますよね。だからなんか日々の暮らしの中で体内的な記憶がたくさんあると、それはそれでたぶん(笑) 体が保たないんだと思うんですけど。でもその体表的な刺激、擦る刺激だけで…うん、なんかこう満足してしまうのは、日常の擦り切れてる感じというか、日常の無駄遣いって言うか、有効に使えばいいってものでもないんだけど、うん、なんか人生という時間の楽しさとしては表面的だな(笑) って思うっていうか。…うん、思いますね。
 自分のその深いところで感じ入るってことはたぶんその自分の中にも深さがないとね。底が知れてるよなーってよく言いますけど。…そんな深さがあった方がいいのよねって言ってる人間というのはそんな深くないのかも知れないんですけど(笑) その深さみたいなものってのは、なんかすごい必要だなーなんて。必要というか、自分にはね、必要だなーって思うし。色んな他者に出会った時に「この人なんか嫌な人だな」とか「浅い人だな」って思ったりもするけど、それって実は自分がその相手の深さに入れてないから。その人の表面的なことしか見てないから感じ入れてないだけなのかなーと思った時に、もっと相手のね、体内、奥までずっぽし入ってみれば何か分かることがあって。それでやっぱり嫌なやつだなと思うかも知れないけど(笑) すげぇ身体と身体のとか、精神と精神の触れ合った時の快感みたいなものが生まれるっていう関係性とかも出来るのではないかなーなんて思ったりもします。
 なんか、なんか今日、実は知的好奇心の向上な話しをしてるような気がします。はい。そんな感じで、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。みなさま、また来週よろしくお願いいたします。…はい。こんなんでいいかな、っふっふっふっふ(^^)

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 『ひとはなぜ服を着るのか』鷲田清一 著(ちくま文庫)の「もくじ」と「まえがき」の間にはこう書いてある。

 ファッションは「わたしはだれ?」と言う問いと戯れている。
 ファッションは体の観念を揺さぶり、性のイメージをずらせ、品位とか優美とか情愛のきめを作りだし、欲望の形を象り、最後に、あらゆる包囲をすり抜ける抵抗のスタイルを決める。「あえて言えば愛の流動性とでも呼べそうなもの」(ロラン・バルト)、あるいは「欲望の曖昧な対象」。ファッションは、不確定なものを不確定のままに定着させる装置なのである。
 ときに崩れ、ときにかさぶたにもなる社会に生きた皮膚。より大きな危険を迂回するための小さな危険。誇りを包む最後のヴェール……

 今回の角田さんが話したかったことをギュッとまとめるとコレに近いんじゃないかと思う。私の勝手な見出し「表面をさらに面で覆う」の少し前の

「対外的にどう見られてるか?ってことをたぶんすごい気にしてる社会」
「記憶の中に傷を付けていく感じが、すごい表面的なものだけでいいのではないか?というような世界にどんどん進んでるのかも知れない」

 ってところで、つまり人は表面が心地いい、気持ちいいはいいけど、やっぱり傷を付けられるのは嫌だってことじゃないか?と思い、その後「表面をさらに面で覆う」話になって、これは服の話しと似て来てないか?と。
 皮膚は外的要因から体を守る臓器だけど、さらに服で保護する。服は体が保護できて動きやすければ要を成すのに、さらに身体の表面を加工したり演出したりする。ロラン・バルトの「あらゆる包囲をすり抜ける抵抗のスタイルを決める」を見つけたあたりで、今度は「海馬」のことが気になって来た。
 ICUC#017(2020.7.19)【言葉というかなしき鋭利なモノ】で、眠くて起きられない時は起きる。脳は体よりちょっと遅いから、騙されて体に付いて来る。つまり服を着飾るのは自分でやったことなんだけど、流行とか他人の目を考慮している。服を着ることで人は社会の表面部分に無意識に不随してるのかな?と。だけど個人の有意識の部分では”包囲をすり抜ける抵抗のスタイル”を取っている。角田さんの言うように深いも浅いもどちらも大事ではあるけど難しいねって感じ。
 またICUC#017と今回の話しが反対なのに似てるから面白い。今回は深くまで受け入れたい話しで、#017は傷つけられないように防御、防衛の話し。それを表面、皮膚を例にして話してる。なんか色々繋がって、ICUCマニアで良かったなーと思う。
(文字起こしは#017辺りでほぼ今の全文掲載、素起こしの形になったので、現在よりちょっとだけ文字が少なめで走り読みにはいい感じ。)

 「ひとはなぜ服を着るのか」は 2020/6/22 に入手し、半分読んだところで積読に戻しちゃってたけど、ずっと頭の隅から消えなくて。で、6/13 に行った「FASHION IN JAPAN 1945-2020」(新国立美術館)では川久保玲の名前を見るたびに思い出した。(他に高田賢三、三宅一成、山本耀司も登場してたけど川久保玲の印象が強かった。)─という、個人的になんか繋がった感もあって。一層ICUCマニアで良かったなーと。

 子宮で感じる。言い換えれば腑に落ちる…?心底で納得する。理解が得られる。と言う意味では男女関係なく表面は表面でしかないのかも知れない。セックスにおいては女性の方がということは言えるのかも知れないけど。どこかで読んだけど、男性は女性的ほど快楽が得られないという前提で、どうしたら女性的な快楽を得られるか?という質問にお尻の方でしょうと回答された人がいたけど…ホントかな?
 そう言えば女性が男性よりよく泣くとかヒステリックだという理由は、感情の振り幅がMAX10だとして普段の生活で女性は7〜8くらいまで感情を使うのに対し、男性は5〜6程度と聞いたことがある。生物学的にそういう傾向が強いという理由らしいけど、そうすると性器が凸凹だからってことより、その性器を作ったホルモンの違い?
 ホルモンで言えば、男性の方が筋力がある。生まれ持ったものは普通は有利に使って生きるだろうと言う意味で言うと、男性の方が暴力生を備えてるかも知れない。外で、表面で戦う。内側が大奥みたいな構造を想像してみると、人権的な問題についてはともかく、歴史的に基本はずーっとそういう家族構成だったよなと思う。戦ったところで男性が女性の感覚域に達せないとすると、よく女性の体の開発なんて言い方をするけど、これは男性の生物学的に得ようがない感覚へのないものねだりの現れなのかな?とも思ってみたり。

 これって要はものの考え方の一つ。色んなものの例えに応用させて物事を考えていく過程が収録された動画。理解できないことがあるなら、まずしっくりくる例え方を、どんな変な視点からでもいいから見つけることが大事なんですよって話しだったなと。面白かった!

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