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ICUC第29回(篭もって第23回)2020.8.28【安倍首相の辞任と夏の終わり:父親について語るとき】

今週ものんびりと知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書
『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹著(文藝春秋刊)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
ICUC#23「安倍首相の辞任と夏の終わり:父親について語るとき」
安倍首相の辞任表明と父の葬儀で感じた夏の終わりについて話しました。
もしよかったらご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

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ICUC主宰:ヨウイチロウ web サイト

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動画の内容
・どのような8月でしたか?
・晋太郎さんのお葬式
・自分の言葉で辞任
・保守派と革新派
・100年前も今も男も女も難しい
・幼稚園の思い出
・経済やるな政治やるな
・トラお婆ちゃんのお葬式と花
・30年後の花を気にするお葬式
・花が沢山あるお葬式ということは
・「猫を棄てる」父親について語るとき
・ともだち
・欠けた景色は親父の死
・承認を欲求する相手
・今回の夏が終わる
メモという名の私の感想

どのような8月でしたか?

 おはようございいます、角田陽一郎と申します。あぁーヨウイチロウだった(笑)。ヨウイチロウと申します。バラエティプロデューサーのヨウイチロウと申します。ICUC 知的好奇心向上委員会の8月30日でございます。はい、よろしくお願いします。

 ねぇ、8月ももう終わりでございます。みなさんは8月はどのような感じだったでしょうか?私は50歳になり、翌日父が亡くなりと、そんな怒涛の1か月だったなんて思いますね。
 で、何話そうかなぁなんて思うんですけど、父も亡くなったので父のことを話そうかなんて思ったり。本当は思ってなかったんですけどね。思ってなかったんですけど昨日?一昨日?安部晋三首相が辞任を表明したじゃないですかですか。それを「そっかー」と思って、それで色々思ったんですけど。安倍晋三さんとうちの親父は会ったことがあって。

晋太郎さんのお葬式

 もう何十年前だろうな、僕は高校、大学?安倍晋三首相のお父さんの安倍晋太郎さんとうちの親父が関係があって、当時安倍さんは晋太郎さんの秘書をしてたと思うんです。で、うちの親父もちょっと政治に興味があって、ちょっとというか、かなり興味があって衆議院議員に出て。結局当選しなかったんですけどね、2回出たのが僕が高1の時と大学4年の時かな?そういう意味で言うとあの頃は安倍派だったのか…福田派だったんだ。福田赳夫さんの書が実家に飾ってあるもんな。
 それで晋太郎さんのお葬式の時に息子の晋三さんと父がご挨拶して。お葬式って親族側とお客様側で分かれてるけど、角田さんは親族側の方座ってくださいよって言ってくれたみたいなことを言ってましたね親父は。だからなんていうか、先週まさにちょうど1週間前に通夜があって、翌日告別式があって、火葬場で荼毘に付されるというのを経験して、そこから1週間も経たずで首相は辞任を表明するっていうのも、なんか僕の中ではそういう意味で時代が変わるタイミングなんだなんて思うわけです。

 だからなんて言うんでしょうね、夏が終わるじゃないですか。、暑いけど。まだ暑いんだけど夏が終わるじゃないですか、8月が終わると。そう考えたときに、今回の夏っていうのは自分の人生の中の夏が終わったんだろうなぁなんていうということ凄い思うわけですよね。そう、なんか昨日、一昨日の安倍総理の会見とか見てそんなことを思いましたね。初めて自分の言葉で喋ってるんじゃないかなと、首相が。という風には思いましたね。

自分の言葉で辞任

 安倍さんって第一期政権の時は366日で辞めてるんですよね。今回も辞めると決めたのは月曜日、まさにうちの親父の葬儀の時に決めたって、なんかどっか読みましたけど、それって在位が最長になった日ですもんね。それって体調がどうかとか全然わからないんですけど、気持ち的なことで言うとすごくわかりますよね。「もう俺1年やったんだからさ、いいじゃん。」っていう、こんだけで辛いんだったらって思ったのが366日目だったのかも知れないし、ずーっとやってきて、もう俺一番長くやったんだからもういいんじゃねーのって。ちょっと肩の荷というかね、下したくなるんだろうな、なんて。多分気力みたいなものがないとやっていけないからなんでしょうね。だからなんかそんな事をですね、安倍さんの会見を見てて思いましたね。
 決して素晴らしい首相だとも思わないし、だからって何て言うんででしょう、他の方がやってたら経済はうまくいってて、今回のコロナの対応も今よりもスムーズだったのかって言われると、果たしてどうなんだろうなんていうも思いますしね。

保守派と革新派

 保守か革新かって言われたら…面白いなと思うんですけど、保守か革新かって言われたら自分はどっちだ?って思うと、考え方でいうと革新の方が好きだと思うんです。ところがなんか革新の人達って全然…あの、政治なんて何もノンポリなんで全くわからないんですけど、話を聴いているとちょっと冷たいなと思うときもあるんですよね。保守の人達の方がなんか人情みたいなものを感じるときがあるなんて思ったりすると、人情がある革新だったらいいのになんて、いつも思うんですけど。
 それって結局、原理原則を尊重するのか?その場の対応を尊重するのか?みたいなことが保守と革新の違いだとすると、そこの原理原則は曲げられないよってところが革新の本質的なところだから、やっぱりちょっと冷たさが出るんだろうなんて思ったりもするんですけどね。

 だから今の自民党みたいなものが保守本流を、果たしてどのレベルが保守本流なのかってことはそれぞれの考え方があるし…どうなんでしょうね。革新的なものの方が思想的にはすごい憧れるなと思いながら。イギリスのサッチャー首相の映画「鉄の女」でしたっけ?っていうのを観たときにサッチャーかっこいいなーなんて思ったりもするし、ドイツのメルケルさんとか肝っ玉母ちゃんぽくですっげぇかっこいいなーなんて、僕は思いますね。一方でね、あのフランスのマックロンさんみたいなのもかっこいいなぁと。かっこいい?かっこよきゃいいのか問題もあるんだけど。

100年前も今も男も女も難しい

 いずれにしても、どなたがやっても梶取りが難しい時代なんだなぁと思いつつ、じゃあ100年前は簡単だったのかといったら難しいわけですからね。つまり生きていくというか、その国をこう指導するというかは、何やっても反対されるし、上手くいか上手くいかないかなんて時の運みたいなものもありますからね。原理原則では分かってても、あの人に頼まれたら断れないんだよなーみたいなものって皆抱えてると思うんだよな。そういうものを全く断ち切って果たしてやることが出来たとして、じゃあそれが本当に上手くいくのかっていうと分からないな、なんて思うのが一方でオジサンになったなぁと思うわけですよ。若いころは「何言ってんだよ!それはお前らの既得権益を守るためじゃんか!」と思っていた気もするからな。

 だから僕が思うのは、若い人がやった方がいいんじゃないかなと思います。歳をとって、人脈があって、ノウハウがあって、交渉ごとも上手くてみたいな方が上手くいくと思うんだけど、そうするとやっぱり今言ったようにこの人に頼まれたら断れないよなーってものを沢山抱えてる人がやると、それはそれでいろんな問題が起こるんだろうと思ったりする。なんかそういうしがらみを超えてやれる若い人の方がいいのかなって思う。
 あと男女。男性女性みたいな話ってどう話しても差別みたいな話になっちゃうんだけど、そう捕われないようにピュアな気持ちで言うと、女性がやった方がいいんじゃないかなんてと思います。つまりどんな人がやってもどうせ困難な時代なわけだから、そんな中で女性の首相が、初の女性の首相がこうやるみたいなことになった時に、ちょっとその歯車がいい方向に転がるひとつのきっかけにはなるんじゃないかな。その方もまた大変な思いをすると思うんですけど。なんてことを思いながら昨日のね、一昨日か、その会見を見てたなと思いました。

幼稚園の思い出

 だからさっきもちょろっと言いましたけど、うちの親父はそういう意味で言うと政治家になりたかったんだろうなと思うんです。だから県会議員…この話ね、全然しないんですけど、もう亡くなっちゃったから言っちゃってもいいかなと思いながら。なんか経済の方でそれこそ成功したけど、でもオイルショックで失敗してとか、なんかすごいいろんな浮き沈みが激しい人生だったんです。

 僕が幼稚園の時に家に帰ってきたら、いきなり玄関にわーと荷物が出てて、お袋に「どうしたの?」って言ったら「会社が潰れちゃったの」って言われて、たぶんそのまま夜逃げ同然で逃げる時だったと思うんですけど、潰れるのになんで荷物置いたのか意味がわからなくて。潰れるってのは僕の中では地震で崩れるみたいな潰れるだったんで、会社が潰れる、で、なんで荷物が出てなきゃいけないのか分からなかったなぁ。そこからお袋の実家に居候して、家にあった家具とか居間を潰して全部置かれてて。でも子供だったからなんか迷路みたくなってて “かくれんぼ” とかして楽しかったなーってと思い出があります。
 あと幼稚園が転校になって、中途で転校になるとなんかこうちょっと浮くじゃないですか。元々通ってた幼稚園はそこそこ大きな幼稚園だったんんだけど、最初に行った幼稚園がすごい小っちゃい、こじんまりとした幼稚園で、あんなとこ行きたくないって言ったらしいです。なんかその記憶だけは覚えてるけど。で、お袋方のお爺ちゃんが一生懸命探してくれて、なんかその街の幼稚園の園長さんに頼み込んで入れさせて貰ったみたいなこととかありますね。

経済やるな政治やるな

 だから親父は経済ですごい金持ちだった時もあるし、すごい失敗した時とかもあるから、もう僕には経済なんかやるなみたいなことを言うわけです。で、経済なんかやるな、経済もすごい金がかかるからやめた方がいい、一方で政治はいいぞーみたいなこと言ってたんだけど、ちょうど40代ぐらいで政治に行ってみたけどやっぱりなかなか受からなくて。
 まあ今、僕が分析すると、息子から見ると何故受らなかったんだろうなあみたいなこととか、なんとなくわかるんですけどね。よく言えばピュアだった。悪く言えば人間関係がうまくない。それはたぶん僕と似てるんだろうなと思うんですけど、そういうオヤジだったんじゃないかなと思うんです。だからそこからはお前は政治家にはなるな!みたない。ならないよ!(笑)とか思いながら。ずっとそういうことを言われていましたね。

 若い頃は経済はやるな、辛い。で、そこそこになってから政治とかには手を出すな。とか言われて。そんな中でサラリーマンはいいぞーとか言うわけですよね。で、親父はサラリーマンやったことないわけですよ。サラリーマンはサラリーマンで大変なのになぁなんて思いながら、僕は結局 TBS に入って22年9ヶ月サラリーマンをやったわけです。だから先週お話したように辞めるときも何で「いい会社のサラリーマン辞めちゃうんだ!」って大反対されたなって。

トラお婆ちゃんのお葬式と花

 で、先週、通夜だったんですけど。今ほら通夜と告別式って、要は2回やる、2回出席できるチャンスがあるということなんですよね。だから通夜の方が関係者の方が結構来ていただいて、こんなコロナの中で3蜜を避けながら、それはそれで粛々と結構豪華な式になったと。本当にありがたいんです、花もたくさん来て。

 あのこれ本当にあの告別式でね、僕は挨拶で言ったんですけど、なんかずっとそうやって思ってたら、まさに30年前くらいに親父が選挙に出る出ない、衆議院に出る出ないとか言った頃に、親父のお袋、僕のお婆ちゃんがトラお婆ちゃんっていうんです。名前がトラさんっていうんですけど、トラお婆ちゃんがですね、まあ良い年でなくなったんですよ。亡くなった時にすんごいデカいお葬式をやったんですよね。その町というか集落に花輪がわーっとあったりとか。もう、すんごい豪華な葬式だったんですよ。で、その豪華なお葬式だった時に僕はたぶんまだ東京に一人暮らししてたけど、車でつかつかつかーと行ったわけですよ。で、親父に「おう」と言ったら、僕にその花輪とか見て「ここの順番とこの順番はちょっと違うなあ」みたいな、「ココとココをこう入れ替えて」と、ある意味プロデューサー仕事的なことやってるわけです。
 花輪のこちらの方が上だなとかってことをすごい嬉々としてやってたんですよ。嬉々としてやってる親父を見てですね、学生の僕は、だかちょっと反発してるじゃないですか、「自分の母親が亡くなった時に悲しむでもなく花輪のことばっか気にしてんじゃねーよ親父」と、ちょっと思ったんですよね。まぁ言ったかも知れないな、もしかしたら。

 だからそれこそ選挙出るみたいなことだから立場的にそういうことをやりたかった、そういう豪華なところみたいなものがたぶんあの時代…だからそれがね、昭和30年40年ぎりぎり50年だったらよかったけど、昭和から平成に変わるとこら辺で、果たしてそんな豪華なみたいなこと…。だから親父が2回目で落ちた時はそれこそ、あれ?まだ民主党になってないな、日本新党か。もう日本新党ブームみたいな、つまり既得権益を壊せみたいな時に、そんな豪華な家から出る、パワーを見せつけるみたいなことが果たしてプラスだったのかなってすごく思う。でもそこに群がってくる人たちも一方でいたんだろうなぁなんて思いながら。
 ということを多分考えてそういうことをしてたんだろうと思うけど、だから頭では理解できるけど、20代前半の僕にはなんでそんな花輪とか花の位置ばっか気にしてるんだよ親父って思ってたわけです。

30年後の花を気にするお葬式

 って思ってたんだけど、それから30年ぐらい経って自分の親のお葬式の時にですね、僕が気にしているのはまさに花のことなんですよね(笑)。花たくさん来なかったらやだなーなんて思って。だから親父がそういう豪華なお葬式を自分の母親でもやってあげて、去年、親父の兄貴が、僕の叔父さんが亡くなったんですけど、そのお葬式の時も親父は兄貴のためにこれだけ盛大な葬式ができてよかったよって。もうちょっと病魔に侵された親父は帰り僕の車で実家に帰る時にそういうことを言ってたわけですよ。もうその時に親父が病気であるのは僕は知ってるわけだから、親父がじゃあ近い将来亡くなった時に僕は自分の親父を盛大なお葬式で送ってあげられるのかというプレッシャー。つまり自分のお婆ちゃんの時から30年くらい自分のお親のお葬式っていうのはそういう豪華なお葬式がやってあげられるのだろうか?豪華なお葬式がいいかどうかは別ですよ、別なんだけど、やってあげられるのだろうかみたいなプレッシャーを感じてたんだろうなと思って、先週の動画を撮ったのはその日の朝だったんですね。

 で夕方、お通夜の時には結構お花がいっぱい、たくさん来てて、たくさんの弔問客の方が来ていただいて、本当にありがとうございます。すごくいいお葬式だったなと思います。で、いい葬式だったなーなんて思いながら翌日の告別式で今僕が言ったような挨拶をしたんですけど、その中で言ったんですけど、お通夜の時に住職がお経をあげて頂いたあとにお話をして頂けるじゃないですか。すばらしいお話しをして頂いたんだけど、そのときになるほど思ったことを仰ってたんです。「今回はすごい立派なお葬式で、お花が沢山あって、故人の方も喜ばれてるでしょう。沢山お花があるってことは、今でも現役で頑張っていらっしゃってたんですよね。」みたいなことを言ったわけです。

花が沢山あるお葬式ということは

 そうなんですよね。だからつまりそのお葬式にすごい関係者がたくさん来るとかお花がすごいあるって言うのは、インタラクティブなコミュニケーションを亡くなるまでたくさん取っているから。実際親父はそうだったんですね。もう本当にその日まで会社の人と電話で話したりしていたりとか、亡くなる何日か前に言われたのは、1週間前とかか?「家族のことは全然俺は知らないから。9割仕事だから。」とかって。まぁ強がっているのか本気なのかみたいなこと僕らには言ってたりもしたんですけど、仕事一筋でギリギリまで直前までやってたと言う意味で、花輪がたくさん来たりお客様が沢山来て頂けたっていうのは、親父が現役だったからなわけですよね。渡哲也さんと同い年かな。ちょうどだから同じ時期に亡くなっちゃったっていうことだと思うんですけど。

 そう思ったときになんか僕は挨拶しててちょっと泣いちゃったんですけど、だからその30年ぐらい豪華なお葬式をやらなきゃなってプレッシャーを抱えてたんだけど、そのご住職さんのお話を聞いたときに、もしかしたら花2個しかありませんみたいなお葬式でもよかったのかなと思うんです。つまりどういうことかというと、もっとだいぶあと、5年なのか10年なのか20年とか生きて、親父も本当に現役引退してて、知り合いとかもむしろ亡くなっちゃったりしてて、そんなに関係性とかがもう無くて、親父の知り合いもそんなにいないからそんなに弔問客もいなくて、お花が写真の隣に子供と(笑)、孫一同とか子供一同みたいな、あんな花が2個しかないような、寂しいなおいっ!ていうお葬式ぐらい、長く生きて欲しかったななんて、一方で思うって話をしたんですけどね。だからまだまだやり残した事とかはあるんだろうなぁなんて思いながらね。そんなことを考えますね。

「猫を棄てる」父親について語るとき

 今日紹介する本はですね、まさにそういうような本なんですけど。見えるか?こうか?こうだ?こうだ?きた!えー、村上春樹さんの「猫を捨てる」と言う比較的新しい本です。父親について語る時っていう、村上春樹さんが自分のお父さんのことを語ってるんですよね。そうだ今年の4月に出たんだ。そう、だから僕、本当に自分の親がそういう状態の時にこれを読んでたんで、なかなかすごい…うん…
 すぐ読めるんで。ほんとに村上さんの小説って僕は大好きです。僕は大好きなんだけど、色々ノーベル賞だとか、もうビッグなだけに村上春樹はって言われちゃうところのマイナス点で読んでない方とかたくさんいるんだろうなと思うんですけど、僕はやっぱり素晴らしい作家さんだなと思うんです。尊敬しているし。生き方とかも。
 その方が自分のお父さんについて語ってるって言うのはね、初めてへぇそうだったんだってこともたくさん知りしました。その時の感情みたいなものも、へぇそうだったんだと思いながら、自分の父親のこととかも思ってると、なんか色々思い出すこともあるなぁと思いながらね。ここに書いてますね。

ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。

ともだち

 自分の、まあ皆さんは皆さんで…皆さんは皆さんでいって言うとあれですけど、自分の親とかね、家族のことってどう思われてるのかなっていうのは本当に人それぞれだと思いますけれども。なんかねぇ…これあれですね、お通夜があってお葬式が翌日あって、お葬式は午前中だったんですけど、そのまま終わって、夜の出版の打ち合わせはで延期しなかったんですね。その日にしたんですよ。それは今、僕の高校の友人と一緒に共著を書いてるんで、なんか寂しいなと思って。むしろ友人と話すというのを仕事にしといた方がいいなぁなんてむしろ思ったりしてね。
 で、2〜3時間くっちゃべりながら、ライターの方とか編集者の方と4人でね、zoom で話すんですけど、なかなかいつも楽しくしながら示唆に富むお話。この本がすごい本になるんですけど、ちょっとその追加取材みたいなものをやってたんです。で、終わった後に最後ね、今日、自分の親父の葬儀だったんだよと言ったらみんな驚くわけですよね。「えー!マジで?そんな日に?!」とか言うんで「いやいや、そんな日だから皆さんと仕事したかったんですよ。」みたいな話をしたんですけどね。
 そしたらその友人に言われましたね。友人はもう自分のお父さんは亡くなっていると思うんだけど、今日の夜は結構来るぞって言われて。あーそんなもんなのかーなんて思いながらね。

欠けた景色は親父の死

 だから先週話した…だからこれそういう意味で言うとこれは youtube のアーカイブを残してるって面白いなと思うんだけど、先週を思ってたことと、まだ闘病中の先々週思ってたこと、
今思っている事って、すごい違いますね。さらにその1か月前に思ってたことということも全然違う。なんかね、それこそ本当にその先週、亡くなったお葬式の前か後か忘れちゃったけど、夢を見た時ですね。2001年宇宙の旅のモノリスっていう石版が出るじゃないですか、畳の黒いやつみたいなの。それが宇宙人なのか人口知能なのかよくわかんないけど、モノリスがわーっと出てきて、それが人類を進化させたとかね、なんか一個の鍵を握るものが出てくるんだけど。あれがこう空中に浮いているイメージみたいな夢を見たんですよね。モノリスを見たというより、その普通の風景の中にその部分だけ黒く切り取られてる夢を見たんですよね。
 つまりどういうことかというと、それが仮に液晶テレビだったらその部分だけ液晶が死んじゃって画像が映らなくなっている畳大の大きさの黒いものが空中っていうか、景色にあるみたいな夢を見たんだけど。それって僕の中での親父の死みたいなものを見たんだろうなと思うんです。つまり亡くなっちゃったのでその画像の消えちゃったところはもう画像が永遠に黒いままなんですよ、僕らが動いても。そんなことを感じるような夢を見ました。

 だからそんな感じですね。欠けたところは戻ってこないんだなって。だからこう360度全天モニターみたいなものがあったとして、ここが欠けた、ここが欠けたって色んなものが欠けていって、欠けていって欠けていって欠けていって欠けていって、見えなくなるのかななんてことを思うような夢だったんですけど、なんかそんな感覚みたいなものをなんか自分の中ではこの1週間で思ってますね。だからそれは寂しいってのと違う…寂しいなのか。なんか遺族は自責の念にかられるってよく言いますけど、その気持ちもなんとなくわかりましたね。

承認を欲求する相手

 でもこれって僕なんかよりはるかに若くて経験されている方もいらっしゃるし、経験しているからどうだ経験してないからどうだってことじゃないんだけど、それで分かることもあるなぁと思ったときに、なんか認められたいみたいなものってあるじゃないですか、自己承認要求というか。そういうものの源泉は僕は今の話からするとファザコンなのか分からないけど、親父だったんだなあなんて思うんですね。本を書くとか、映画監督やった時も沖縄映画祭でレッドカーペット歩くとき、親父とお袋来なよって言って沖縄に来てもらったもんな。沖縄旅行させてあげたらいいかななんてちょっと思ったりもしたけど、あれってちょっと親に認められたいなと思ってたのかもしれないですね。
 で、その認められたい親が、もう少なくとも親父がいなくなっちゃったわけで、そうするともう認められなくていいかみたいなこととかもちょっと思ってるのかな?今。それが今回の夏の終わりみたいな思いなのかななんてことを思います、と。

 安倍首相も夏の終わりに夏の終わりを感じたんでしょうね。お父さんの晋太郎さんは60いくつで若くして亡くなられてるんですよね。その意思をついで首相になったわけで、なんかいろんな思いがあったんだろうなーなんて思うんだけど、その思いみたいなものっていうのもすごい個人的な思いと、すごいパースペクティブなというか、それこそ地球をどうする日本をどうする世界をどうするみたいな、すごい広い視野と、両方を持ってないと多分やれないじゃないですか。で、それが片方、自分のほうが弱くなってしまうと続かないみたいなことっていうのは、それはたぶんジュリアスシーザーだってそうだったかも知れない、ナポレオンだってそうだったかも知れないしとか、片や全然その辺のいる皆さん、あるいは僕みたいなのも含めてそうなんだろうななんて思うと面白いなぁと思いますよね。

今回の夏が終わる

 それぐらい人間っていうのは面白いんだなあなんてことを感じつつ、僕はね、なんか放心状態みたいな、べたに言うとそういう感じなんだけど、承認欲求が元々あったものがどんどんなくなって、年をとってきたのに、今回本当に黒いモノリスが現れて、僕の中に誰かに認めてもらわなければいけないみたいなものが無くなってしまったので、さあ、どうやって今後、、、
 でもそれ無くなちゃうとあれじゃないですか、食ってくためにこの仕事嫌々やってんですよ
みたいになっちゃいますもんね。それって良くないじゃないですか。これから復活できるのかなあということを、復活したいなぁなんていうことを思いながらね。まあこうして表明しておくと復活するのかな、なんて思ったりして喋っていると思いながら、今日の動画終わりにしたいと思います。また来週よろしくお願いします。


メモという名の私の感想

 ヨウイチロウさんはあと10年生きても60歳、20年生きても70歳。その間にまだまだ色んなコトがやってきて、ときどき親父ならどうしたろうとか、何も関係もないのに何で親父のこと思い出すんだろうとか、そんな風に思うことがあると、そんな時に「あの人はもういないんだ」と、放心状態に似た感覚を思い出すかも知れません。と、私は思うのです。私は父と話さない仲だったからかもしれませんが、時々そんな風に思い出します。
 お父さんに会えないことと亡くなったことの本質的な違いをお父さんが教えてくれるかもしれないし、”はじまりは、何回はじめたっていい"なら、夏でも冬でも生きたい場所で生きたい季節を生きたいときに生きればいいかと思いました。復活の自由。

 居間に詰め込まれた家具が迷路のようで楽しかった。かわいい。嫌な思いをするでもなく楽しんでいたのは”面白みを見つける力”ということでしょうか。
 私は幼稚園だけ千葉で、野田精華幼稚園という移動動物園が来るような大きな幼稚園でした。私の唯一のセーラー服、懐かしい。

 私は承認欲求の塊みたいなもので、口を開くと私が私がとなりがちです(ここ見て一目瞭然)。それを面倒ではないと聞いてくれる友人に感謝です。
 そんな私の承認欲求先は私がすごいと思った人、尊敬している人、全員。どこへ出席するにも相当な緊張を強いられるのはそのためで、私の根元にある他人の虎の威を借りて大きく見せようとする狡い見栄っぱり精神で皆様に不愉快な思いをさせないか?いやいや、中身がバレて永遠に承認してもらえないのは嫌だという、超自分勝手な思いのために戦々恐々です。
 ファザコンって、ヨウイチロウさんの家族愛ですよね。私がファザコンを家族愛と解釈する日が来るとは思わなかった。

 私も父のことを思い出しました。ちょうどあと10年で親父の歳を超えるので。
 私の父は19年前に53歳の誕生日に届かず亡くなりました(この場合享年53とするんだそう)。ずっと前から葬式不要、墓不要、散骨にと言っており、形だけの葬式と散骨だけです。祖母が亡くなったとき、大阪の梶井基次郎と同じお寺さんにあったお墓も閉じました(供えられた真夏の溶けたレモン、子供心に不思議でした)。
 死んだ自分のために金も時間も使うな。自分のことを気にしてくれたら嬉しくないわけないんだけど、でも死んだ俺にかまって何になるという意地を通した親父でした。親父なりの格好付けですね。生前も言わずとも分かるだろうで、あまり会話することのない父と娘でした(弟と妹は違ったようですが)。
 盛大なお葬式は私には縁がなさそうです。私も死んだら散骨でいい。何代か先になれば誰も私のことなど思い出さなくなる、そんななんとなく感じる侘しさを持って死ぬことが、やはり格好いいと私も思うんですね。親子だな。

 父は寅年の母をとらちゃんと呼んでましたね。両親が兵庫出身なので発音は”麦茶”と同じとらちゃん。そうか、母はそう呼ばれなくなって19年経ったんだな。

 2020年5月24日の週間 ICUC の推薦図書「翻訳夜話」を夜読むの本として読んでます。ノーベル賞だなんて、絶対難しくて読めないよ!と思ってたけど、お話しは面白いし、そこから漂う人柄も心地いいし、翻訳文も読みやすい。で、動画見て「猫を棄てる」即買い。今晩で半分ほど読んだところ。「村上め!猫を棄てるなど言語道断だ!」と思った私が言語道断でした。申し訳ありません。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)
[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC
ICUC note

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