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ICUC#026(篭って週間#020)2020.8.9【DIY:創造を想像することから行動は産まれる】

今週ものんびりと知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書
『新白河原人』守村大著(講談社刊)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
ICUC#20「DIY:創造を想像することから行動は産まれる」
おはようございます!8月9日の動画です。
自分で何かをやるということを昔から憧れているのだけど、なかなか思うようにはできません。でも創造を想像するだけで、気分は前向きになれます!よろしければご覧ください!

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容
・考えがあればあるほど話しづらい
・train + ing
・都会の蝉と緑と風鈴
・生活にアドオンする
・ペンの自立と自律
・環境にあるものがどう自分の精神に影響するか
・僕にはクラフトマンシップが足りない
・情報頼りの適材適所だけでは退屈
・経験の上での”美味しい”
・”生きる”環境を作る
・労働の本質は報いる・働く・知人に届ける
・Do It Myself
・半世紀生きて生まれ変わる
・創造を創造すればモチベーションが上がる
・新白河原人
・リブラリアという僕の拠り所
・生きる本質は次の行動を考えてうきうきすること
メモという名の私の感想

考えがあればあるほど話しづらい

 おはようございます。ICUC 2020年8月9日、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。
 うん。なに話そうかなってことをずっと考えながら(笑)。なんて言うんでしょうね、これ話そうあれ話そうみたいなときって、自分の中に今こういう考えがありますっていうものがあればあるほど実は話しづらいと思うときが結構ある。今日はちょっとそんな感じです。それは先週話したように8月は色々あり、なんか結構自省的になるってことを言いましたし、今日だって9日ってことは長崎の原爆の日ですから、なんかやっぱり何話してても深いものを常に意識してしまうと思いながら。でもそんなことばかり話してるとジメジメしちゃうから、ジメジメしちゃうのが悪いってことじゃなくて、いや今まで喋ってきたこともジメジメしてるけど、あえて明るい話がしたいなと思っているというか、それは自分の中では訓練で、そういうときにどう話せるか。

train ing

 訓練、トレーニングって昔から面白い言葉だと思う。trainingって train に ing でしょ? Train って列車だから、多分トレーニングするっていうのは列車が繋がる様に繋げていく、継続することみたいなことなのかなと勝手に思ってる。だから今日も話すことないから、いや想いがあり過ぎるから話すの止めるか、なんてちょと一瞬思ったけど、何だかんだ言って3月から続けているという意味ではコロナ篭りから続けてきてるから、まだコロナが収束してないわけだから、せめてやってやろうなんて、ちょっと思いながらやっておるわけです。

都会の蝉と緑と風鈴

 先週のICUC 8/2分の配信にICUCのメンバーの方からリアクションを頂きました。僕が夏の思い出を話しをたらちょうど蝉の鳴き声が聞こえて。撮っているときはそんなに気にならなかったんだけど、後で観返したら確かに蝉が(笑)丁度いいタイミングで効果音のようにBGMのように鳴いている。それは僕の目の前にある窓を開けているからなんだけど、僕の目の前の窓から木々が見え、ほんの数本しかないんだけどその緑が気持ちいいからちょっと開けておこうなんて思ったら、都会の中にいても蝉が…あ!今も鳴いてきたけど、それが気持ちいい。
 そこに一昨日、風鈴を付けた。そうすると窓を開けたりして風がちょっと入るとチリンチリンと鳴る。ずっとチリンチリン鳴ってると面倒臭いというかちょっと邪魔だなんて思うだろうけど、風が来たときだけチリンって鳴る感じがすごい気持ちいい。風鈴を掛けてると言うとなんか”すげぇオヤジくせぇな”なんて思いながら、まあ自分はもうオヤジだからいいやなんて思いながらも、風というものを音で感じるなんていうのはよく出来た仕組みだと思う。それでチリンチリンっというのを聞くだけで、ちょっと心が晴れやかになる、そんなことが面白い。

生活にアドオンする

 つまり生活の中に何かちょっとしたアドオンを乗っけるだけで全然変わる。僕は足元にラグを敷いてるけど、それを先日替えてみた。ラグマットみたいなものは何か良いやつがいいなとか思いながら、どうせ汚れちゃうしなーなんて思ったときに、汚れたら替えればいいや、捨てちゃえばいいやと思ってそんなに高くないものを買った。むしろ頻繁に替える方が面白いなんて思ったりして。
 そういうものを敷くだけで、今までフローリングに例えばスリッパだったというより、明らかに素足で生活することが増えたりすると、やっぱりちょっと気持ち良さが増すというか、そういうことがすごい面白いと思う。

ペンの自立と自律

 昨日も駅前に昼のお弁当を買いに行った。ここで作業してたらペンがめちゃくちゃ転がってて、転がしておいてもなんだなと思いペン立ても買おうと駅ビルの文房具屋さんでペン立てを買い、そこに転がってるフリクションを入れる。それでも、入れるだけでもスッキリした気分になる。
 先々週は分けるということに関してネガティブに思うことを言ったけど、(それは何かと思う人は先々週の動画を面倒くさくても観ていただければいいんだけど、)整理整頓するということはなんと言うか、整理しすぎるということはつまりアパルトヘイトになるけど、やっぱり乱雑にペンが転がってるデスクで、そのペンというものがペン立てに収まるってことは、やっぱり一定の自分の中で律する…だから……
 そうか!「ジリツ」って面白い。自分で立って「自立」というのもあるし、自分を律するで「自律」という両方の言葉があるけど、ペンを寝っ転がしているよりピッと自立させるということが、結果自分の自立になる!なんてことを思った。

環境にあるものがどう自分の精神に影響するか

 自分の環境のなかで色々なパーツがある。風鈴だったり、ペン立てだったり、窓を開ける開けないとか、何かそういう環境みたいなものは、その環境の中に人間として自分が生きているわけだから当たり前だけど、自分が環境に合わせる、あるいは自分が気持ちいい環境にするという行為が実は自分が生きている原動力にもなり、生きているときの快適さみたいなものにもなると思う。
 僕はもともとそういうことを思っている人間かも知れない。テレビの収録をしていると美術さんに何を発注しようかと常に考えているわけで、そうするとそのものがあるからこういう事象が起こるという事がたくさんある。
 一番分かりやすいのはコント。例えば倒れる花瓶があるからコントになる、その花瓶が倒れなければ笑いにならないとすると、美術さんに「倒れる花瓶作って下さい」って発注する。「倒れる花瓶って何ですか?」「普段は倒れないけどちょっと触っただけでバッと倒れて水がバーッとこぼれちゃうような花瓶、一見普通の花瓶なんだけど倒れてしまう花瓶を作ってくれ」なんて言うと「そんなもんないよ」と美術さんに怒られながらもお願いするみたいなことがあるけど、だからやっぱりその環境にあるものがどう自分の精神に影響するかって、すごく大きいんだと思う。

僕にはクラフトマンシップが足りない

 そう思いながらずっと自分の中の欠点というか自分に足りないものだと思ってるのが「クラフトマンシップ」。つまり物を作るということが…めんどくさがり屋なんだな、結局。だから料理も全然作れないし、日曜大工みたいなものも時々やるけど、それは組み立てる程度のもので、自分から設計して木材を切ってなんていうのは人生で4・5回しかやったことないと思う。
 そして基本的には整理ができない、片付けられない人。僕は圧倒的に片付けられない。それは情報も物理的なものもとよく言ってたけど、そういう人間なので、今の話で言うと環境に何か自分の精神が影響するような物事を、なんとうかコンセプトに当てはめていくみたいな作業、料理を作るとか整理整頓するとか家具を作るとか、そういうのができない。
 できないと言うのはやってないから出来ないような気もちょっとだけする。それで一生懸命作ってみて、仮に棚を自分で作ったとしても、塗ったペンキがちょっとムラがあったら嫌だなとか思った時に、綺麗に出来てるもの買ってきちゃった方がいいじゃんって思ってきた人生なような気がする。それってさっきのテレビの比喩で言うと、僕が用意するより美術さんに用意してもらった方がいいものが出来るから美術さんに発注するみたいな。

情報頼りの適材適所だけでは退屈

 つまり適材適所みたいなものをなんとなく自分の仕事と生活の中ですごい分けて考えていくところが、また分けるって話と繋がったけど、つまり分けるって事はアパルトヘイトじゃんって言いながらも、自分の中ではこの〇〇はこの人に、この〇〇はこの人にお願いした方がいいみたいに思ってる。自分なんか料理ができないから、自分が頑張って料理するんだったら美味しい弁当を買ってきた方がいいとか、美味しいレストランで腕のあるシェフに作ってもらった方がいいと、か、そんな風にずっとずっと考え続けてきたんだと思う。
 でもそうすると、まもなく40代が終わるんですけども、自分の年齢的に言うと、これはもうここ数年思ってることなんだけど、簡単に言うと退屈なんです。なんて言うか、例えばご飯で言うと美味しいレストランをたくさん知ってますとか、カレーならこのインドカレー屋さんが美味しいとか、焼き肉ならあそこじゃなくてこっちの韓国料理の方が美味しいとか。それぞれ皆さん知ってると思うけど、自分が若い頃はそういうお店とか全然知らない一方で、プロデューサーとかディレクターはタレントさんと行くレストランとかすごい知ってたりする。
 どうやって知るんだろう?なんて当時は思ってました。まだインターネットで検索が出来ない時代に。でもやっぱり口コミで美味しいということを聞く方が美味しい料理屋さんに行けるのは今だって同じかも知れない。そういうものをすごい知っている先輩を「何で知ってんだろう。まあたくさん行ってるんだろうな、すごいな。」なんて思ってた。

経験の上での”美味しい”

 ところがそういう風においしいレストランをたくさん知ってて、じゃあ何だろう?と言うくか。つまりそれって料理というものを情報としてしか捉えてない。仮に美味しいという、舌が口が美味しいと思う感覚という意味では味覚という情報を味覚器官で捉え、すごい綺麗は視覚で捉え、匂いは嗅覚で捉え、ジューッという音は聴覚で捉えたりとかもしてるけども、基本はその美味しいというものを情報でしか捉えてないと思う。それって韓国料理屋さんのA店もB店もどっちも美味しいというのを知ってても、ああそうだね、と。つまり”面白い”がそこで止まっちゃうんです。

 それは数年前から思ってる。という事はもう自分が作るしかないんじゃないか?と思う。つまり美味しい料理がダンッと出てきてそれを食べて美味しいよりも、その美味しい料理というものがどういうプロセスで作られてるかっていうのを情報として知ってるんじゃなくて、自分でトントントントンと包丁で切ってとか、炒めてとか、そのためにはこれだけの分量が必要でといったことも踏まえた上での経験みたいなものも含めて味わわないと、もう美味しくないんじゃないか?ってこと。まあ思っておきながらやってない、そんなにねっていう。出来ものを食べてますね、ほとんど。

”生きる”環境を作る

 そう思うことは同じような意味でさっきの風鈴や日曜大工じゃないけど、本当は自分の生活している”生きていく部分”の環境というものを自分が生み出す、作り出す、例えば家庭菜園的なものもそうかもしれない。だからそっちに行くんだろうな。つまり料理っていうのがあるとすると、今度はその食材みたいなものをただスーパーで買ってくるんじゃなくて、自分で育ててみるということ、そういうものがすごく大事になるんでしょう。

 これって色んなことがそうなんだけど、これ、僕が歳取ったんですかね?歳取ったんですかねってなに質問してんだよってことなんですけど、時代がそっちに来てるっていうのもありますよね。でも時代がそっちに来ているとして、じゃあ僕が今10代だったらそういう風に思うのか?分からないです。圧倒的にスマホみたいなものを弄っている時間が多くなったという意味で言うと、どう情報を操作するかってことは、例えば僕らが10代20代だった80年代90年代の情報に泳いでいたのと、今インターネットを通じてzoomでリモート会議をし、youtubeで動画を見て、Twitterで自分の思ってる事を良いも悪いも発信できるという情報の使い手みたいなものになったのと、
むしろ今の空虚さみたいなものは、80年代の時はその人に直接会わないと分からないこと、言えないこと、そういうことがたくさんあったのに、そういうものが仮想…仮想でもないんだけど、ネット空間でできちゃうとなったときに、やっぱり身体で、包丁で何かを切ってみる、トンカチで何かを打ってみるといったことがすごい必要というか、必要に感じられているのではないかと思う。

労働の本質は報いる・働く・知人に届ける

 まあ色んなことを言っても半世紀生きてるわけで、半世生きると、色んな事を経験すると、また何か新しいことを経験となったときに、もう見たり聞いたりだけでは前に見たり聞いたりしたことと同じ…いや別に新しければいいと言うことじゃなく。同じだと思ったりしているところもあるかも知れない。そういう意味だと老化ですね、確実に。
 あるいはの時代もそっちに来てるって意味で言うと資本主義も一世紀ぐらい経ってるわけで。もうちょっと経ってるか、マルクスから考えれば。つまりその一世紀ぐらい100年ぐらい資本主義をやってると、資本主義にみんなちょっと疑問点を感じてきて、一方で疑問点みたいな問いかけもある一方で飽きちゃったな、みたいな。知らない人がたくさん作ったものを買うために自分も相手が知らないような9時5時で働いてということの、働くという意味は何なんだ?と思ったとき、それは知らない人に知らないものを届けるということよりも、自分が知っているものを自分が作って出来たものを自分の知り合に届けるみたいなことの方が、実は労働という意味の、働く報いる、報いる働くで労働なわけで、それが本質的な意味なんだと、もうみんな薄々気付いてきてるのではないかと思う。

 そう考えると料理なんて典型的。だって自分が食べ、周りの人が食べるっていう…
 すいません、また咳き込んじゃったので久しぶり杜仲茶を。はいもう杜仲茶ばっかり飲んでますが…
 はいえーとなんでしたっけ?料理だって周りの人、つまり知ってる人に届けるという意味では自分がプロセスみたいなものを知っていることを知人に届けるみたいなことなのかと思います。

Do It Myself

 すごいベタに言うとDIYみたいな話になる。Do It Yourself でDIYでしたっけ?僕むかし do it yourself あなた自身でそれを作れ、自分自身でそれを作るわけだからDIMだよなと個人的には思ってるけど、DIMなことというのはたぶんすごい必要なんだろうとは思います。必要だというのは簡単に言えば自分に。だからなんか人から押し付けられたもの、押し付けるというか自分が選択しているとしても、よく分からないものを自分が手に入れて身につけて、その情報だけでうんうんって言ってるよりも、やっぱり自分から生み出す、あるいは生み出すための苦労も含めて経験する、釘を打つときに強く打ちすぎると曲がっちゃうかもしれないし、弱いとなかなか入らないしずれちゃうしみたいな。だからそのその釘にトンカチでコンコンってやる時のその手への衝撃の量みたいなものが自分で打ってみないと分からないみたいなことを知る必要があるんだろうなと思っています。

半世紀生きて生まれ変わる

 そう考えるとあれですね、なんかこう半世紀生きてきてみて生まれ変わるというか、そんな印象が僕の中では今強いです。”生まれ変わってみる”みたいな、そういうことがすごい大事だなと思っています。
 だからか昨日ふと引っ越そうかなーなんて(笑) 思ったりして。この後ろ蔵書どう配置するかみたいなことも含めてなんだけど。都内にいる必要があるのかなとずっと思ってるので、なんだったらこの機会に引っ越してみるってことを考えていて。そうすると、やっぱりさっきもね、その鳥のさえずりだ、蝉の鳴き声だ、風鈴だみたいな話しをしたけど、やっぱりそういうところに自分が行って生きていく、DIY、DIM的な生活をどうやってできるかなみたいなことをちょっと試してみたい自分がいるんだろうと思います。
 一方で書かなきゃいけない執筆作業と、修士論文と、色んなコンサルティングとか、スマートシェアって会社の社外取締役にも8月からなりましてとか。やらなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、でもそれも今やリモートでできるものがだいぶ増えてきてるから、わざわざ都心に構えている必要ないなとちょっと思いながら。

創造を創造すればモチベーションが上がる

 なんかそんなこと思っております。執筆できない!とか、修士論文書けない!みたいな、ここで うだうだうだうだ とパソコンの前に向かってカチャカチャやりながら、カチャカチャって進まないからカチャカチャになんないんだけど、うーっと唸ってるよりも、引っ越そうかなとふと思い、ちょっと不動産屋さんのサイトを見たりとかしてるだけでちょっとモチベーションが上がるみたいな。それってつまり生み出すという作業を考えるだけでも、「そうぞう」クリエーションという意味の「創造」をイマジンという意味の「想像」、創造を想像するという行為をするだけでやっぱり生きるモチベーションにはなるんだってことを思いながら、まぁかっこよく言ってますけど要は物件のホームページを見ていただけたんです。

新白河原人

 今日紹介する本はそんな中でこれです。「新白河原人」作者の守村さんは漫画家で、この本自体が出たのが2011年、僕がこの本を知ったのもだいぶ前。誰かが書いてたんだよな。
 新白河原人。福島の白河の山の中に土地を持ち、そこに自分で家を建てる。漫画家さんだから絵は超上手くて、こういう感じで建ててるのはこうだとか、自分で木を切ってとか、どういう風に自分が作業をしてたか、日々の暮らしはどんなものかということが書いてある本です。続編もある。
 何年前だったかな。僕は2016年にフリーになってるけど、フリーになる前だから2015年、2014年とかくらいに読んですごく憧れました、この生き方に。「福島県の山中で自給自足を目指す漫画家のイラスト&エッセイ」「遊んで暮らす究極 DIY 生活」「半分ちょいの電気で贅沢 DIY 生活」って書いてますね。犬がいて、電気をどうするか?水をどうするか?農業どうするか?
 これを読んだ時には、そんなこと自分なんか到底できないなんて思いながらも、このDIY的なものに憧れて、いつかやろういつかやろうと思いながら出来てない。なんせ料理も作れない(笑) パソコン打つぐらい、スマホ見るぐらいしかできない。編集でこうやって(フィンガースナップで)パチンってやる(※)くらいしか出来ないテレビマンでございますが。そうなんだけどちょっと自分で色々やってみたいなんて思ってて。そうすると守村さんの本から学んだことってすごくあると思う。新白河”原人”、まさに全てを一からやるみたいなこと。
(※)フィンガースナップ=指パッチン。テレビの編集ではこのパチンッで作業の指示を出すようです。

 福島だからちょうどやってる最中に震災と原発事故が起こり、そのことは2巻の後ろの方にちょろっと書いてあるんだよな…確かね、それがどうなるのかみたいなことも踏まえて。ただこの2巻の方が2012年7月に出てるから、たぶん震災を11年の3月に経験されてる。今どうしてるのかなと時々ネットで拝見してますけど、もしそういうことにご興味がある方はこの本はかなりお勧め。楽しいです、普通に。楽しいです普通にって…Twitterとかだったかな?誰かが書いてるのを見て、速攻で買って、読んだら確かに良かったんです。

 だから自分も引っ越そうかなんてちょっと思っているというのは、自分でやれることをやる、そういう思いもあるのかも知れない。やれないことあんのかな(笑)とかも色々思うんだけど、ただそういうふうに思っていると何もできないわけで。だからちょっとやってみようかなんて思っている次第でございます。

リブラリアという僕の拠り所

 そんな感じですかねぇ。面白い、こんな話ししようなで全然思ってなかったんだよな。思ってなかったんだけど、毎回本の紹介を一応しながらやってるけど、そうするとやっぱり最近読んだ本に行っちゃう。ところが最近読んだ本と今まで読んだ本なら今まで読んだ本が多いわけだから、今まで読んだ本についてもこの本は良い本だと思ったから紹介したい本もある。それらを全然紹介してないと思って、こう、本棚を見回してみた。何が面白かったかなーって。それで、そうそうそうそう、この本はすごい自分の中で生き方の一つのきっかけを与えてくれた、与えてくれたって言ったって自分は全然なんにもやってないけど(笑)。そう思うとやっぱり自分の中でこの背表紙が並ぶ本棚があるということは、僕の中での一つの拠り所になってるなと思います。

 それでもうなんか名称を付けた方がいいなと。スタジオと言うとあれだし、作業場と言うと作業っぽいし、書斎ってわけでもない。仕事場、なんですけどね。
 そうしたらポルトガル語で本屋さんってリブーラリア(livraria)と言う。だからここをリブラリアって勝手に名付けようみたいな、リブラリアって言いにくいから結局リブラリアって言ってなさそうな感じもするけど。このリブラリアで、締め切り過ぎている執筆もあるし、本当に修士論文も書かなきゃいけないし、やんなきゃいけないなんて思いながら、なのに引っ越しサイトを見ている(笑)、物件サイトを見てる。

生きる本質は次の行動を考えてうきうきすること

 いやでもちょっと本当に行ってみようかなと思っているんです。つまりすぐに今度何をやろうという行動をいちいち考えていくことでうきうきするみたいなことが人生の本質がんじゃないかなんて思う。何を考える、何を行動するってことは、考えるが先で行動が後になると思うけど、行動しようと思うと考えが引っ張られていく。考えると行動をぐるぐる回すような。その考えるの一つのきっかけとして読書というのはすごくあるし、映画を観ててもドラマを観てても人と会って話すみたいなものも一つの対象になりますけど、それでほとんどのうちは情報で終わらせている。その中で自分がどう行動するかみたいなことまでやることは結構大事なことなんじゃないかと思います。

 先週は蝉の鳴き声がなんて言っていましたけど今、風鈴、風鈴鳴るかななんて思ったら、あそこにあるんですけど…鳴らないですね(笑)。鳴ると良い音なんですけどね。うーん、鳴らないですね。風が入ってこないのかも知れない。
 暑いので皆さんもすごいお気を付けて頂ければと思います。もう腹をくくるしかないという意味で言うと、このコロナと一緒に with コロナで人類は行くって、たぶん色んな政府はなんとなく腹を括ってるんだろうなぁなんて思うと、民衆である我々も腹を括らなきゃいけないかなとちょっと思いながら、そうすると僕の中では引っ越そうかなみたいなところに行き着くっていうのがまた面白いんですけど、そんな感じで ICUC知的好奇心向上委員会でございました。
また来週よろしくお願いします。


メモという名の私の感想

 我が家のお隣さん宅には鉄製の風鈴。風通しが良すぎてチリンが止まらない。亡くなった次男猫が金属音が苦手なので外してもらうよう言うか迷ったけど、自宅に金属製の風鈴を置いて慣らすことで解決した。その後、止まらないチリンもゲリラ豪雨襲来の合図に使える(ヂリヂリヂリヂリと壊れそうに鳴る)と分かり、今年も一日中お隣の風鈴を聞いている。

 【train + ing】で『まだコロナが収束してないわけだから、せめてやってやろう』という部分、好きです!不安に苛まれるのはもう嫌だし疲れたけど、でもまだ負けない、抗ってやろう、篭り切ってやろうという感じが格好いい!

 生活を生きる場として考える。自分が生きる最も身近な環境をどう創造していくか?五感を軸にそれを創造するのは面白い。コロナ篭りで多くの人が意識せず始めていると思うけど、風鈴•蝉•BGMは聴覚、木々•風鈴•ペン立て•ラグは視覚、お弁当•窓の開け閉めは嗅覚、お弁当は味覚、ラグ•素足•風は触覚と、どの五感に響くか想像し、響き具合を意識すると面白みが増す。そこに意識や無意識を重ねていけばモチベーションの維持や心理的な健康管理にも役立つのではないか?
 私は素質論でも手相でも壊滅的に片付けが苦手と言われ、実際すでに壊滅状態で、主に掃除•片付けという創造(新環境を創る)が優先されがちだけど、ここも五感を意識すると面倒くささから幾分意識が逸れるし、新たに買い換えるときは衝動買いを避けられるのでは?確実には避けられずとも、軌道修正というか徐々に失敗が減る気がする。
 それにしても片付けできない仲間に角田さんもいらっしゃるなんて安心至福!料理も苦手だけど、味噌は毎年、ゴーヤと瓢箪は作ったことあるなぁ。

 Do it yourself、直訳すると「自分でやれ」だけど「やってみよう」の略との解説も見た。確かに自分でやれって何だ?宿題か?お母さんが言ってるのか?それとも出来ない部下を持った上司か?と謎めいてしまうのでDIM、広まって欲しい。
 ここ10年ほどかな?DIYと一緒に広まった感があるのは〇〇女子。男女平等の最終仕上げの序章なんだろうか?元々女子感のある手芸などもハンドメイドブームとして現在は立派なレッドオーシャン市場に。女性が自分の手で、出来ること、好きなことで、一から想像を創造したとも考えられないか?コロナでハンドメイドブームももしかしたら動きが出るのかも。

 私が思うハンドメイドブームとは、世間の流れがどうであれ家事や子育てをしないわけには…と思う女性にとって、子供の手が離れるまで、半世紀生きるまで、生まれ変わることを待たないと判断した人が多かったという結果に思える。今のうちに生まれ変わっちゃおうと。化粧にブラジャー、ガードルにヒール、変身願望というより変身そのものが男性より身近な女どもは実は動けば身軽なのかも知れないし、子供の成長を見る目を今の自分の舵取りに重ね、ほんの少しでも後々大きく開くと想像できたのかも知れない。

 のんびり動かないこと山の如しの牡牛座の私は動かないまま焦っている。コンセプトに当てはめる事よりコンセプトが作れない、創造先を想像できずに困る。DIM好きなのに。うだうだはもういいからはやく何とかしろバカ彩。

 蝉の株が右肩上がり。夏の音として夏から欠けては風情もへったくれもない。アスファルトが増えたせいで危機的とも聞いたけど、それでも都内でも頑張って生きているし、先週も今週もICUCでいい仕事をした。角田さんからギャラ(樹液的な?)を貰って欲しい。
 都心は特に生きる土地が少なく大変だろうけど、生きる場を否応なく奪った人間に言われても困るだろうけど、何とかその環境で精一杯生きて欲しい。でも蝉すっごい苦手なんだよな。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)

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