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私の天賦の才は白旗上げです(と言い切ってみる)

今日の気づき。為末さんのツイートだった。

私のあの思い出は、つまり「私は提案しているつもりだった。そして、相手はそれを一応聞いていたけど…」というものだったんだ。

相手に悪意はない。強いて言えば興味の薄い人間への対応が雑だってくらい。

私の意見や考えをその時はすごい!さすが!分かってる!と褒めてはくれるけど、会話として成立した感じがしないというか、話が相手に刺さった感じがしない。

その後、私の意見や考えを他の人に良いものとして伝える時は「こう言ってた人がいたんけど、まさにその通りで…」と話すこともあれば、いつの間にかその人の意見、考えということになってたりもする。

いちいち「彩さんが言ってたんだけど」と言うのは面倒くさい。ってか、それは彩さんの自意識過剰。もしくは自己肯定感の低さからくる"この人に認められたい欲"。

だって、すごくすごくすごーく小さな、同じことを言う人はいくらでもいる程度の、その程度の意見だったから。
だけど、横取りされた感覚も、為末さんの言う無力感も、ずっと持ってるんだよね。

それはそれは激しい戦争になってた人達も見た。彩さんと同じ"この人に認められたい欲"で溢れてて、牽制し合って、マウント取り合って。
私、恥ずかしがり屋でよかった。逃げ足と白旗上げという天賦の才があってよかった。

為末さんの仰る行為とはちょっと違うんだけど、似ていると思う。

話を聞く側は、失敗を経験として気長に待ってはいられない。興味の薄い私にそんな無駄な時間はかけない。コーチングなどの場合は、失敗されると苦情になることもある(その程度の信頼関係でコーチするのも悪いけど)。それで、子供じみた意見も、糞みたいな考えも、とりあえずすごい!と褒めておく。伸び代があろうが無かろうが、料金を回収出来たらおさらば、あとは自己責任で、だ。

意見や考えを話す側は、思いのほか強い承認欲求を諦められない。自分がそれほど承認に飢えてると気付いてない時もある。かと言って、自分で自分を認められない。
大人の持つ問題が絡まると、こういうマウント戦争になる。認められる為の投資という集金システムも戦争ビジネスと言えるだろうな。

じゃあ私、これからどうするの?と言われても。気付いたから、人に対してそうはしないと誓うとか、自分は自分で認めればいいことにするとか。そのくらいしか思いつかないけど。そもそも為末さんの話と全然違う、めちゃ遠い話だった気もするけど。
気付いただけでも何かは変わる。

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