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ICUC-064_2021.6.13【バズる動画、バズらない動画】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎64「バズる動画、バズらない動画」ICUC知的好奇心向上委員会
バズる動画って一体何なのでしょう?
では、バズらない動画って・・・。
そんな話をしております。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

喋ることは脳内アーカイブとアイデアの醸造である

 おはようございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。知的好奇心向上委員会の6月13日バージョンでございます。今、朝方でございますが、わたくし海の近くに住んで、…住んでと言うかここに拠点を構えておりまして。なので今日はね、朝7時くらいに海に行って参りました。ちょっと日焼けしてるかなぁ?うっふっふ!別にマリンスポーツをやったわけでもなく、ただ散歩しただけなんですが。…なので髪の毛がちょとボサボサのやつを無理くり直すとぺちゃぺちゃになるなーなんて思いながら。まあ私の髪なんかどうでもいいんでしょうけどと思いながら、今日もずらずら喋ってみたいと思います。
 これ、基本ですね、毎週週末に撮って。去年の3月の終わり、4月の頭くらいから緩く緩くやってて。30分くらい一応喋ってみようかなーなんて思ってやっております。で、YouTubeでね、30分ぐらい喋ってるのって、30分ぐらいのはそんなに聞かれないらしいですよね。それってもっと短い方がいいんじゃないかとか、色んな説というかがあったりして。でもまあそれでも大して見られるか?見られないか?変わんないだったら、別にその見られるか?見られないか?は気にしないでやってみようかなーなんて思ったときに、ボクはこの30分で喋ってるのは…これは初期のころから聞いてる・見て頂いてる方は知ってるかも知れないんですけど、ちょうど去年の3月まで「渋谷のラジオ」っていうコミュニティFMで「渋谷で角田陽一郎と」という番組をですね、1時間、…正確に言うと51分、52分ぐらいのトーク・ラジオ・ショーをレギュラーでやってまして。それが終わったんですね。で、それって毎週50分喋ってたんですけど、喋ったあとアーカイブに置く時に音楽を掛けちゃうと音楽を切らなきゃいけない。著作権的なね。ラジオだと電波で流す時はむしろ著作権を一括で払ってるから大丈夫なんですけど、YouTube とかに上げる時にはやっぱり切らなきゃいけないことになるので、──ハックション!…ハックション!…ックション!──すいません。くしゃみしちゃった(笑) すいません。はい。なので、ずーっと52分、CMも無く喋りっぱをしてたわけです。
 最初は毎週ゲストを呼んだりとかして、スタジオに行ったりもしてたんですけど、スタジオに行けない時もあったりして、録音でお送りするとすると、地方でね、なんかこう…歩きながら喋ったりとかしてたら面白いなーなんて思って結構やってたんですね。一番遠い時は…リヨンから。パリのね、パリじゃない、フランスの。リヨンから放送したことも…というか収録したこともあるなーなんて思いながら。モンゴルもあるな!モンゴルのウランバートルの市場でロケやってる時にちょっと暇だったんで音を撮って、それを流したりとかしましたし。山形もあるし。熊野古道の…田辺市か、とかからもやったことあるし…とか。色々やってたんですけど。
 そんな中でこんな感じでね、一人で何十分も喋るって結構大変だと思うんですけどね、今の Clubhouse ブーム?あるいは終焉?まあどうでもいいんですけど、そのラジオ的な一人喋り、みんなで喋る、みたいな音声メディアというものの隆盛みたいなことってよく言われてると思うんですけど、そういう様なことともそんな関係なく、なんか自分が喋ってると…なんかその週に起こったこととかを脳内で、思考でアーカイブできてるんですよね。ああ今こんなこと考えてるなーみたいな。
 で、それを今30分にしてますけど、そういう風にある一定の時間喋るって、なんかね、ボク的にはすごいアイデアを煮詰めるタイミングというか、きっかけとして。…だからあの、お酒とか作ると醸造する樽にずっと入れとくじゃないですか?あれでブツブツこう…プシュプシュプシュプシュとかなったりして、美味しい日本酒とかになったりしますよね。あのプシュプシュプシュプシュみたいなやつを、発酵させてる感じって、ただ頭の中でなんか考えてるより喋ってる方が人に説明しなきゃいけないって分だけ…なんて言うんでしょうね、もうちょっとこう論理的になるんですね。ボクの喋り方が論理的かどうかはともかく(笑) 言いたいことがより纏まってくるみたいなところがあったりして。で、それってこれを誰が聞いてるか?誰が見てるか?と言うことよりも、ボク的に価値があるなーなんて思ってラジオをやってたんです。

やりたいことは環境醸造から始まる

 で、ラジオが去年の3月に終わっちゃったんで、ICUC、Intellectual Curiosity Update Committee という、知的好奇心向上委員会って言う…まあ、まあこう、グループみたいなものをやってたんですけども、そのグループみたいなものも丁度コロナで集まりが出来なくなっちゃったんで、じゃあ毎週毎週ラジオの代わりに喋ってみよう、動画で…という風に始めたのがこの知的好奇心向上委員会な感じでございますね。なので今日で…何回目?64回目、に、なるみたいです。だから数字みたいなものは、それは聞いて頂ける方、見て頂ける方がたくさん居た方がそりゃいいんですけど。それをするためにティップスというかね、何々のコツみたいなものに話が寄っちゃうってのはちょっと嫌だし。見やすく編集して5分ぐらいにまとめるとかっていうのが…どうなのかな?なんて思ったりしてね。
 でも一方で、例えばメンタリストDaiGoさんのYouTubeなんてね、見ても面白いし。あれYouTubeじゃないのか、あれは自分のメディアでやってるのか。結構ね、だらだら喋ったりしてるだけだけど、やっぱり見て頂いてる方とかいらっしゃるから、そうなると理想ですよね。でもそれって、つまりDaiGoさんのお話は魅力的なんだけど、DaiGoさんという方の信頼度、この方の喋りだったら見たくなるなとか、そういう様なところがたぶんすごい形作られてからなんでしょうね。
 そう思うとこれってボクがテレビ局入ってからね、例えば自分が作りたくない番組の担当とかにさせられたりした時に、やっぱりちょっと深夜番組とかでね、自分のカラーを出せる、自分の趣味に合った、ちょっとマニアックな番組とかやりたいなってみんな思うわけですよ。って言うか、そもそもそういう事を思ってテレビ局に入って来てると思うんですけど。でもそういうのがなかなか出来ないんですよね。で、やっぱりゴールデンとかでむしろおじちゃん・おばちゃん向けの番組作れとか。お掃除特集とかやれとか言われて、なんでそんなのやらなきゃいけないんだよとか思いながらもね、やってたりした時に、──ボクの師匠がですね、言った言葉を今ぱっと思い出したんですけど。「いいからまずそれをやって、こいつはそういう番組も出来るんだなっていう信頼を勝ち取ったあと好きなことやりゃいいじゃんか」と。つまり好きなことをやるためには、好きなことをやれるための土壌というか、環境というか、そういうものが無い限り好きなことを形にするのはなかなか難しいんだよっていうことを、たぶんその先輩はボクに伝えたんだと思うんですね。だから自分にある一定の、自分の好きなことをやれるだけの許しというか…許し…?でも許しだな、本当に。だって許可みたいな…免許制じゃないですからね。その環境が、あなたにそういうことを許してくれる環境にあるならば出来るんだよ、と。その環境醸造を先にした方がいいんじゃないの?っていうことをたぶんその上司は言ったんだと思うんですね。
 ところが。今、ある意味この YouTubem みたいなものがあるとすると、例えば昔だったら何かを…自分が考えたことを作り出すって言ったら、映画だろうが、音楽だろうが、結局やっぱり手段がなかなか難しかった。映像だってね、簡単に作って簡単に編集するってのはなかなか難しかったから、やっぱりそれやるなら映画会社に入るとかね、テレビ局に入るとか、やっぱりそういうことをやらないとなかなか自分のやりたいことを、実際のクリエイティブなものを形にするってことは難しかったんだと思うんですよね。で、そんな、そんなそんな状況が、それこそここ10年ぐらいで劇的に変わって、むしろプロと素人の境界線みたいなものが無くなって来た時に、じゃあ自分のやりたいことをどういう風に形にするのか?ってことの再定義みたいなものが必要なんだろうなーなんて思うわけです。

環境の醸造とは何か?何が要るのか?

 なので、それって僕が2017年に出した本の「「好きなことだけやって生きて行く」という提案」っていう本と、それこそ今それのリニューアル版をね、今年の1月に出したんですけど。「なぜ僕たちはこんなにも働くのか?」だったっけな?「なぜ僕らはこんなにも働くだろうか?」か。うん、みたいな本を出してるのって、そういう時にボクが気づいたことみたいなものを書いてるんですけど。その趣旨はね、一番の趣旨は、「やりたいことをやりたい。やれないから好きなことは仕事にならない。」ではなくて「やりたいことが…今ある環境の中で見つけて行くと意外にやりたいこととくっ付きますよ」ってことを提言してるんですね。そう、だから、そのやりたいことを形にする…形にするやりたいこと探し的な意味ではあの本って効果的なことを書いてるなーなんて思うんですけど。いざ、じゃあそれで角田の言ってることは分かったとなったとして、やりたいことを形にします。それは別に今の環境に不平不満は無くやりますってことで、じゃあ、やりたいことを形にしましたってなった時に、それが先ほど言いました周りの許しを得ないと…、周りの許しを貰えないと、平たく言えばお金が手に入らない。うん、つまりそれで生きていけないって言うか。だからそれって自分のやりたいことをある一定のクオリティまで上げて行かないと、結局好きなことを仕事にも出来ないし、やりたいものを作れないだってことになりますよね。はい。
 で、じゃあそのやりたいものをどういう風に周りの人が許して頂けるような…レベルって言うか、規模、までにするのか?ってことが、たぶん難しいんだろうなーって思ってます。…当たり前のこと言ってるだけなんですけどね。結構難しいですよね。
 で、たぶんその狭間の話がさっきの視聴数を稼ぐために色んなテクを使うのか?あるいは、そんなこと気にせず思考の鍛錬のツボとしてただ喋ってりゃいいんじゃないの?って言う様なこと。つまりこの ICUC という YouTube 動画は何なのか?っていうようなこととの話とくっ付くってことだとは思うんですね。ね、今日とかってそんなに中身ないような話をしてるなーと思ってるのは、ボクの中で思考をぐるぐる回してるだけなのかも知れないんですけど。だって言いましたよね、思考をぐるぐる回すツボなので(笑) でも YouTube の Tube ってね、チューブじゃないですか?なんかグルグルな感じしますよね(^^)
 で、そうやって思考をぐるぐる回して行くと、前も話しましたけど松岡圭祐さんっていう、小説家のね、…「小説家で1億稼ぐ」みたいな。またタイトルが微妙に間違ってるけど(笑) みたいな話って言ったと思うんですけど。今言ったように自分が好きなことだけど儲からない、好きじゃないけど儲かる、みちな二者択一ではなくて。好きなことでも儲かるみたいなことをやるべきではないか?と。そのためにはどう作ればいいのか?ってことが、あの小説の本には書いてあって。それは…何回か後ろの YouTube の動画にあるので、もし宜しければ見て頂きたいんですけど。ってか、なんなら松岡さんの本を買って頂く方が早いのかも知れないですけどね。ボクの説明なんかよりもね。
 結局、自分が生み出したものでどう利潤を取るか?ってことは、やっぱり避けて通れない。無くてもいいんだよって強がりで生きて行くとしても…、自分が喋ったこと、自分が作ったものが一人にも見られてないんだったら、それはそれで悲しいのではないかな?というのも、色んな人、あらゆる人、なんだと思うんで、やっぱりそれはそれで金はいらねぇよ!って話にはならないんだろうなーなんて思うわけですよね。

ヒット曲のない45周年ができるクオリティ

 そんな中でね、昨日。6月12日にですね、ボクが大好きなムーンライダーズの45周年記念ライブが六本木の EX THEATER であったので行って来たんですけど。まあ大好きなバンドなんでね、ホントにカッコよかったし、いつも泣いちゃうんですけどね。で、そのムーンライダーズのこととかもふと思うわけですよ。もう45周年なんですよね。ムーンライダーズってね、ご自身も、ご自身達も言ってましたし、何冊も本が出ていて、そこでいつも書かれてますけど、ヒット曲ないんですよね。…ヒット曲ないんですよ。ヒット曲ないのに45周年やってて、EX THEATER が満員になってしまうっていう人気。人気があるのか?ないのか?と言うとないんだと思うんだけど。ムーンライダーズという個体が成立するだけの人気を持っているという。
 これってボクがムーンライダーズと出会ったのは45周年のムーンライダーズの35…だから10周年のとき出会ったんですね。だから35年前、1986年、高1のボクが、ANIMAL INDEX っていうアルバムを聞いて衝撃を受けちゃったっていうことなんですけど。その時にね、ヒット作ないんだよねみたいな話とかを聞いてて、なのに業界で支持している方がいて。尚且つその業界で支持している方とかはみんなセンスのある方で、みたいな。つまりそういう生き方に憧れちゃった走りがちょうど16歳の時なんですね。だからそこから、そこから今に至る、そこから35年経ってるんですけども、自分がやりたいことをやろうというのはあるんだけど、それが世間に認められないなーって思いながらも、ヒット作がないっていう様な、ムーンライダーズ的な生き方にも一方で憧れ。
 ただそれってね、憧れてるだけじゃやっぱり生きていけないので、どうやって生きて行くだけの収入を確保するか?っていうことって、やっぱり考えなきゃいけないなーっていう。なんて言うか狭間があるから、そのムーンライダーズの皆さんがどうだったかは置いといて、そういう風にただレスペクトしてるだけでも無くて、それはそれで大変なんだよなってことは、まあ、大人になると分かるなーなんて思いますよね。16歳のボクにはただカッコよくにしか思えなかったっていう感じ。
 ただそれでもね、その45周年ライブでね、50周年も待ってて下さいって言ってましたからね。まだまだやるぜ!っていう意気込みがね。おじさま達の意気込みがすごいカッコよく感じられて。50周年ってことはこれから5年だから2026年なわけですよね。まあ、まだまだ先のような感じもするし、あっという間だなーなんてのも思いますよね。
 ちょうど5年前の40周年のときはね、ムーンライダーズの40周年ツアーにボク同行させて頂いて、カメラで色々撮影したりとかしてたんですけどね。だからなんか自分がやりたいことと、自分が、それが世間が認められ許してくれるものとのクオリティの差っていうのは、…うん、結論から言うとやっぱり縮めて行かないといけないんだろうなーなんて思います。だからムーンライダーズっていうのはやっぱり売れたか売れないかみたいな話は置いといて、そのクオリティがめちゃくちゃあるから45周年続くロックバンドとして支持されてるんだろうなーなんて思った時に、こと自分、わたくし角田陽一郎はどうなのかなーなんてのも思うし、これを見ている方もどう思われるのかなーなんて、そんな思いがよぎりますよね。

変わる準備はできてる?

 例えば今これ、今日何回目って言いましたっけ?64回目?…って言いましたけど。あのね、こう…見てるんですけど、視聴回数みたいなもので見ると、ああなるほどなーって思う時もあるんですよ。例えば「英語ができない人の英語習得術」って回はいつもの回より多いんですよね。だから英語習得術みたいな話を聞けるんだなーってやっぱり皆さん思うんでしょうね。うん。とかね、あとね、「やる気のなさからの脱出」とかね。「ネガティブな世界へようこそ」とかね。やる気のない時どうするか?みたいなものはちょっと見られてる量が多いかなーと思います。でも、そもそもそんなに見られてないから微々たる差だとも言えるし、うん。このトピックに寄っての違いみたいなものをちゃんと考察すると面白いなーなんてのも思ったりもしますね。
 で、また話がぐるぐる回りますが。ちょうどボクがブログに昨日書いたこととかがあるんですけど。えーと、ボクのホームページに書いてありますけども。6月9日にね、こんなことを書いてるんですけど。「変わる準備はできてる?」っていう。

変わる準備はできてる?
2021.06.09 11:18

「いくら壁を作っても、情報だって人だって秘密だって病原菌だって放射能だって、本質的に絶対的に遮断することは不可能。壁には亀裂が入るし人為的ミスもある。つまり壁で完壁な外部との遮断を目指すのではなく、僕らは様々なモノの流入出を前提でシステムや社会や組織や身体を構築すべきなのだ。」

と、コロナ禍の2年前につぶやいていた。。。

 そうなんですよ。ボク2年前にこんなこと呟いてんですね。病原菌って書いてんじゃん!とか思った時に、お?コロナ予言してるじゃん!とかちょっと思ったんですけど(^^) で、それを読んだ僕が思ったことで、、、

そのシステムを、社会を、組織を、身体を、このコロナの時代にこれからどう再構築するか?リデザインするか?
いずれにしても変わるタイミングが到来してきてるのだ。

変わる準備はできてる?

ボクはその準備を2012年頃(ちょうど東日本大震災の翌年)から、コツコツやってきたつもり。遅々として進まなかったり、いわゆる抵抗勢力との闘いに疲弊したり、自分自身が思い悩んだり。
でも、やっぱり、いずれにしても、否が応でも、変わっていかないともういろんなシステムの限界が来てるんだと思う。
そういう意味では変わる準備をしてきて、来年で10年。

なんなら、一緒に変わりませんか?
変わる準備はできてる?

 っていう文章を書いたんですね。これって、なんて言うんでしょうね?ボクの中ではちょっとだけ変化があって。ボクが変わる準備をして来てますよっていうとこまでしか今までは言ってなかったと思うんだけど、この文章での一番の違いは「変わる準備はできてる?」っていう風に他者に投げかけてるんですよね。で、これ結構…この文章書いたとき、結構というかちょっとだけ迷ったんですけど、「なんなら、一緒に変わりませんか?」ってことも言ってるんですよね。トゥギャザー
みたいな(笑)
 これってボクの中では小さいけど大きな変化なんですよね。これって今日話して来たことと連関させると、自分が伝えたいことがあって、で、一方でそれを認められる・認められないみたいなものとの線引きみたいなものがあったときに「まあ、いいや!」と思ってたのが今までだったんだけど、「まあ、ということを伝えてあるんだったら、ちょっとこっちの見た方、触れた方にちょっとでもアクションを起こさせた…させる、というか、起こして頂けると、なんかいいなーなんて思った時に、ちょっと投げかけてみようって思ったのかも知れないですね、この瞬間。だから「変わる準備はできてる?」って他者に質問してるし、「なんなら、一緒に変わりませんか?」って言ってるんですよね。
 なんか、だからその、例えば YouTube 動画がね、人気になるか?ならないか?って、という他者への投げかけがあれば伸びるか?って言ったら、この回がね、この文章がね、そんなにいつもと変わらないかも知れないし、そういう風に思ったばかりの私がこの動画をいつもの様に喋ってて、果たして数字が変わるのか?っていうこととかっていうのは…、分かんないですよ?だって結局、今ここで何分喋ってんだろうな?まあ20分以上喋ってきてこの話になってるってことは、20分くらいこの動画と付き合わないとこの話に出会えないわけで。じゃあ20分も見ないんだったらそもそも出会えないし。この動画をもう見たくないなと思った段階で出会えないわけで(笑) だから…という風に自分が思った他者への投げかけみたいなものの気づきみたいなものが果たしてこの世界に影響を与えるかどうかは知らんがな、なんですけど。でも、それはそれで自分の中での思考実験としてはちょっと面白いかなーなんて思ったりもするんですよね。

業界の意地悪さ

 で、あともう1個が、まさにその6月12日、昨日書いたんだ。はい、ちょっと読まさせて頂くと、、、

業界の意地悪さ
2021.06.12 09:30

例えばテレビ局でAD経験した人は「こうすべき」ってのを、いろいろ持ってたりするんだよね。(それが必要か要らないかはともかく)
でもそれを後輩に伝える時に何故か言葉少なで、伝わらない、伝えないってことが多い。見て盗め的な。なんていうかそれをボクは、その業界の“意地悪さ”だと思っている。

これはどの業界でもサークルでも社会でも多かれ少なかれこういうことは意識的に、あるいは無意識であるんだけど、つまり先人の意地悪さ。先進国のこれから伸びるであろう後続への逆やっかみ、ジェラシーなのかもしれない。
そーいうの嫌だから、ボクは会社を辞めて、一人でやってるのかもしれない。

てことで、ボクは、言葉過剰で、なんでも説明する言葉多い、声が大きい人間になってしまいました。笑
説明しないと、気持ちも、状況も、何を考えてるかも、どーしたいのかも、何が嫌なのかも、何が好きなのかも、相手に伝わらないからね。
過剰すぎて、時たま嫌がられるけど。

 っていう風に文章書いたんですけど。これまあ、ちょっとあるきっかけがその日あって。今書いた様な文章をですね、うちのスタッフとメールでやりとりしてたんですよ。で、やってたメールというかメッセンジャーとかでね、やってたそのメッセンジャーのやり取りみたいなものをただ寝かしておくと勿体ないから、それをコピペして、ブログに貼り、適度に文章を直すだけで、実は…なんて言うんでしょうね.ひとエッセイになっちゃうんだよなっていうことが面白いなーと思ってやってみたってところもちょっとあるんですけど。
 でもやってる中でこの業界の意地悪さみたいなものってなんかあるよなーなんて思った時に、さっきの変わる準備はできてる?って聞いてるのって、ボクの中ではですね、実はこの「業界の意地悪さ」って文章と繋がっていて。もう意地悪しませんよね?って聞いてるっていうことでもあるんですよね。これ、伝わるかな?か変わる準備が出来ているってことは、意地悪し合うのやめましょうよってことなんだよなっていう。だからこの業界の意地悪さみたいなことを意識的にも無意識的にもやってる人がいると思うんだけど、それをやってる人はつまり変わる準備が出来てないんじゃないかなーって、思うんですよね。その意地悪さって、意地悪だからボクはなんか嫌だなって思ってるというよりも、変わる準備してないじゃんっていう感じがすごく嫌なのかも知れないです。

変わる準備とは意地悪をやめること

 で、なんでそこが繋がるか?って言うと、つまり変わる準備が出来てるってことは、今までの業界の意地悪さと言う文章で書いたことで言えば、あなたが持ってるノウハウみたいなものはもう…古い。あるいは役に立たない。あるいは、むしろ新しい世界がやって来るのを邪魔している。にも関わらず、それを秘匿・隠蔽しておくことで、何かさもすごいノウハウの様に見えてしまい、それを人に開示するのを勿体付けて勿体付けてやることで価値を維持しようとしてる作業なのではないかなーなんて思うわけです。だから変わるってことはその価値を十分認めつつ、いや変わんない方がいいじゃないですか?伝統ってことも、言ってることも分かるんだけど、ボクも若干そう思うんだけど。でもこの環境の変化とかコロナとか SDG’s とかって盛んに叫ばれてますけども、それを SDG’s やろうってのをCMとかでバンバンやってるってことは、実は SDG’s じゃないじゃんってことみたいなことで言うと、そのCMの見せ方みたいな、既存の、今までのシステムみたいなものを全然変えることが例えばSDG’s=サスティナブルなんだけど、そこに気づいてないのに SDG’s!SDG’s!って言ってちゃダメじゃん。 SDG’s のPRの予算をたくさん頂きました!って言ってる段階でもう SDG’s じゃないじゃんみたいなね。…ところって、あるなーなんて思った時に、そういう業界的な秘仏というかね、秘宝というかね、そういうものを頑なに守ることでその崩壊・変化を実は防ごうとしてるんだろうなーなんてことを感じてたりするわけです。
 だから変わる準備が出来ているってことは、ボクの中で言い換えると、意地悪するのやめましょうよっていうことなのかも知れないですね。うん。もっと意地悪…、その意地悪っていうのは色々ありますよ?相手がこう言ったことにこう反論するとかの時に、反論しちゃいけないって言ってるんじゃなくて、反論の言い方もあるでしょ?とかね。何かを伝える時に相手に伝える術というものが…全くそれも新しくなってるのではないかな?というか。
 で、そう考えて行くと、まさにその考え方自体も変わって行くし、その個人個人の考え方が変わって行くというこは、たぶんお互いの人間関係が変わって行く。それはつまり組織という在り方が変わるし、社会という在り方が変わるし、世界という在り方が変わるし、みたいな。
 うん。…いや、変わらない方がいいなーってノスタルジアみたいなものもあるんですよね、ボクの中にはね。うん、古き良きものみたいな。ただその古き良きものを、たぶん…仮に活かすためにもやっぱり変わらなきゃいけないところってのがあるんだろうなってのも、あらゆる業界の方は思ってて。で、ボクなんかもね、テレビみたいな業界にいたものですから、それを死守しようとする意地悪な人たち、…その意地悪がね、また無意識だと本当に意地悪なんですよねー。意識的な意地悪だったらまだ可愛いんですよね。意地悪してるつもりは微塵もないっていうのに意地悪だっていう、それってつまり変わる準備が出来てないってことなのではないでしょうか、と思いましたという。
 今日の話はすごい漠然としていて。また視聴数伸びないんだろうなーっふっふっふっふ(笑) と思いながら、さてね、まあこういう回もあっていいでしょう…って言うか、いつもそうか!すいません!いつもそうかも知れません。
 EXPERIENCE THE MOVIE、これあの、コトブキツカサが作ってるTシャツらしいです。なんか着てみました(笑) せっかく買ったから(^^) はい、ということで EXPERIENCE THE…LIFE と言うかね。EXPERIENCE YOUR LIFE、楽しんでください。知的好奇心向上委員会でございました。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 どこかで話したのかも知れないけど、1時間一人で喋ることが出来ると思って渋谷のラジオを引き受けたのか?ゲスト呼んでみたらいけそうだったから一人でやってみるようになったのか?
 渋谷のラジオの西本さんが角田さんをずっと狙ってて、TBS退職を期に声をかけた。CAMPFIRE で ICUC を始めたこともそうだけど、「渋谷で角田陽一郎と」のゲストに来ていた出口治明さんの話と同じだ。頼まれごとを引き受けることで自分の請け負える範囲が広がる。もちろん何でもかんでも受けろと言うことではないけど、これは外部要因を上手く使って自分が変わって行くことだ。
 私は師匠から方向性を決めないと後が辛いよと言われている。どうも私の”方向性という漠然としたイメージ”は師匠から「方向性ってそういうことじゃないんだよ」と言われそうというか、視点が悪いというか、低いというか。とにかくまだ「!」と来る出来事に会えていない。外部要因もあるにはあるけど…まさに変わる準備。私が変わるとどうなる?変わるに必要なものは何?それが分からない…。ということは、変わる準備と方向性は同義な気がする。
 私は先の見通しはいつも出来てないけど、せめて師匠と角田さんの後を追いたいとは思っている。それで変わる準備が、変わることが、果たして出来るだろうか?そもそも「変わる準備はできてる?」を読みきれてない時点で変わる能力がないのでは?という不安がどうしても拭えない。

 一人では出来ないやりたいことするには組織に入るしかなかった。つまり組織内での下積みが必須。俺たちの時代は苦労したからみたいな馬鹿げた根性論ではなく、豊津さんのようにトイレ掃除が楽しいと思えるかどうか?逆に今は一人で作って発信できるけど、下積みの代わりに自分自身をどれだけ客観的に見られるか?無駄なく早く目標に到達するために多くの経験を省こうとしつつ、逆に無意識に下積みの不足分を補おうとして「繋がる」ことをSNSに求めてる気もする。それは縦から得ずに広く横から得る図式。それって要は浅いと言えてしまう。特に角田さんが嫌いな(笑)音声配信は、「若いときの苦労を”本当にお金を払って”買ってでもしよう」としてる人の、一番確実な判断方法と見做されてると思うけど…、浅いが故に遠回りにならないだろうか?給湯流茶道の半休さんはとても上手に使いこなしてるから、やっぱり使い手によるのか?
 自分と似たり寄ったりの浅い層を掘っても経験値は増え難いし、絶対他者を見つけ難い。だから別の層を掘る必要があると思うけど、みんな絶対他者探しに忙しいので、絶対他者に”なる側の人”も不足してると思う。面倒だからなりたくないとも言えるかも。どなたかが「今はすごい人がメディアを通してよく見えるが故に自分と比較して自己肯定感を育てにくい」と仰ってたけど、色んなケースでwin-winの関係=相互絶対他者になれるかも知れないという覚悟を持っておくといいかも知れない。

 環境醸造の話と変わる準備の話、なんだか個人プレーを繋げるリレーに思えた。というのも、たまたま作業のお供ラジオ(YouTube:マメヒコとスタエフ:ヒロの5分ラジオ)がなくなったので久しぶりに聴いてた「渋谷で角田陽一郎と」2018年5月18日。小川さやかさんのインフォーマル経済の話から、45分あたりで自腹で熊本に行きますって話を聞いたせいかも。今回の話と繋がると思う。もしかして、インフォーマルに変わる準備なのか??

 ヒット曲がないとは…どれも平均以上ってこと?ヒットとは売り上げが良かったものだとすると、ムーンライダーズが存続し続けられるだけの資金はどの曲からも満遍なく得られてたってことのような気がするけど、そもそも曲以外の存在感みたいなところに息の長いファンが付いて来てくれたんだと思う。今は作り手の人柄・存在感みたいなものってブログやSNSで伝え易いと思うけど、ムーンライダーズは雑誌なんかで紹介されるときに、紹介してくれる人を魅了していったなんじゃないかと思う。

 環境醸造って言葉が出て来て、それって存在する言葉?角田さんからたまたま生まれた言葉?と気になって検索すると東京農大の「醸造環境化学研究室」がトップに出て来た。醸造科、醸造学というものがあるらしい。土壌の環境だろうと思ってたけど、つまり微生物。土壌以外にも汚水の分解処理、燃料生産、歴史も文化も巻き込んで…ということは社会も経済も込みであり、今なお伝統的とされる醸造方から新しい技術が発見されるという学問らしい。
 「醸造学への期待」という一島英治さんの論文も見つけた。これ面白そうだから、後で読む。前回のキリスト教の解釈といい、今回といい、PDFで6ページの論文を読みたくなったのはこれで3件目(キアシドクガについての相模原市立博物館の論文も面白かった。)研究って面白いな。(なんて書いてたら、半休さんから論文Tシャツ付きZOOMのお誘いが来た。論文のタイトルは「モノに執着しないという幻想」。醸造学の論文見つけて、モノの執着を手放すミニマリストの漫画読み始めたタイミングで…なんなのだろうこのタイミングとは?!)

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