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ICUC-067_2021.7.4【ボクはカメラを動かしたい:自分ができないことに気づくこと】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書
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角田陽一郎67「ボクはカメラを動かしたい:自分ができないことに気づくこと」ICUC知的好奇心向上委員会
最近、挫折しました。つまり自分は研究者にはなれないんだってことに気づいた、ってことです。
でも自分がいろんなできないことに気づくと、自分ができることが築ける、っていう前向きな話でもあります!ぜひご覧ください!

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

学者は定点観測者

 おはようございます。バラエティプロデューサーの角田陽一郎と申します。知的好奇心向上委員会です。7月4日…7月4日ですよね?7月4日ってあれか、アメリカの建国記念日、独立記念日ですね、7月4日。…だから何だって話しじゃないんですけど(笑) あのー、7月14日はね、フランス革命記念日ですからね。ボクはなんか7月4日とか14日ってなんかそう言うような、なんか好きな日付だったりもするんですけども。まあそんなことはさておき。
 梅雨。で、ずーっと本格的に雨がずーっと続いててね。土砂災害とかが…お悔やみ申し上げます。すっごいね、いきなりあんな土砂が来ちゃったらね、もうどうして良いか分かんないですよね。ボクもここの海の街の近くにここの場所があるので、結構緊急避難みたいなのとかが流れたりしてて。まあここは大丈夫だと思うんだけどみたいなことなんだけど、ここは大丈夫だと思うと思ってたら…そうなっちゃったら怖いですよねぇみたいな感じかなーなんて思ったりもします。

 でね、今日は何を話そうかなーなんて思うとですね。えーと…自分の限界みたいなものを知ったという悲しい話しをそんなに悲しくない感じで話してみようかなー(笑) なんて思っております。えーと…どこから話せばいいかなぁ。
 先週はね、長野県に居て。長野県長野市の山の中から渦のようにぐるぐる回るみたいなね。みたいな話しをしたんですけど。まあ本質的にはその話しとちょっと似てるのかも知れないですね。ボクが今日話したいことって。
 簡単に言うと、カメラを動かしたいんですよボクは──っていう(笑) 全然伝わならいかも知れないですけど。カメラを動かしたい。うん。じゃあカメラを動かさないって何だ?って言うと、定点カメラのことですよね。定点カメラ、定点観測みたいな。ボクね、それこそ先週話した色んなところに行って、色んな方と会って、お話ししてみたいなのがいいなって改めて思ったって言いましたけど。定点観測苦手なんだなってことにね、改めて分かったわけです。
 どう言うことかと言うと。研究者、学者って、自分の領域の定点観測者なんですよね。だからボクは2019年から東京大学の大学院の人文社会研究科の文化資源学ってところの研究専攻をしてて、去年修士論文を書いて、一応修士になり、今はドクター、博士の1年なんですよ。で、まあ、いい歳なんですけど、自分としては…それこそ何ヶ月か前に話しましたけど、教育者と言うよりは研究者になった方がいいな、と。大学の先生って研究者兼研究者であるけども、それはつまり研究者ってなかなか食って行くのは難しいので、研究をしながら教育をするという立場にいるのが大学の先生で。そういう風にして研究してるんだと。
 ところが私は一応バラエティプロデューサーを生業にしてますから、バラエティプロデューサーをやりながら研究者をやるって言うのは、なんか理想の自分の生き方なのかなーなんて思ってね。うん…思ってたんですよ。で、修士論文まで書いて、いざ博士論文でどう研究するか?って言った時に、究極的には自分の研究をより深めていくってことなんですね。より深めて行くってことは、やっぱりこうどんどん焦点がヒューッとこう細かくなって行くってことなので、結果的には領域が狭まって行くんですね。
 うん、それはまあ薄々勘付いてたんですけど。一般的にこうだよね?みたな、日本文化ってこうじゃんとかね、21世紀ってこうだよねみたいなこととかを語ってても、それはすごく漠然としてて研究にならないんですよね。そうすると自分の領域みたいなものを細かく指定して、その細かい領域の中でもさらに自分の関心ごとをさらに深く研究していくことでたぶんその論文ってものが積み重なって、積み重なって積み重なって、結果、日本ってこうなんだよね?みたいなのとか、例えば世界ってこうなんだよねとか、21世紀ってこうなんだよねみたいなものが多分出るんだと思うんですよ。ってことは多分、自分の研究領域にドシッとカメラを置いて、グググッと、ずーっと定点観測しているということが実は研究者にとってはすごい大事なことなんだなーってことに気付くわけですね。

旅して拠点に帰るを繰り返す

 そうするとその学問領域がボクが好きか?嫌いか?って言われると全然好きです。全く好きです。そうなんだけど、そこばっかりに居たら、つまり移動出来ないんですよね。ムービング出来ない。で、先月の話し…先月じゃないや、先週のね、長野で話した話しに繋がるんですけど。ボクは移動したいですね。うん。定住出来ないというか。色んなところを移動して。で、定住出来ないから移住…、定住出来ないとはどういうことか?と言うと。ひとつのところに住んで、そこがダメだから違うところに住んで、違うところに住んで…ってことも、ボクの中ではやっぱり出来ないんだなってことも何となく分かって。ひとつのところの拠点にいて、旅する。帰ってくる。旅する。帰ってくる。旅する。帰ってくる。旅する。帰ってくる。──みたいなことがボクの中では一番、旅のワクワク感を維持しながら戻って来て、また何かそこにも自分の拠点があるみたいなことの方がすごいストレスレスになるんだなっていうことが分かるわけですね。
 そう考えると色んなところに移住したいんですよってことだと、ここに移住するために、住むためにはそこでの基盤を作らなくちゃいけないくて、そこからピューッと移動してここで住むとしても、今度ここでもまた拠点を作って…ってやって行くと。で、またこっち側に移動して…ってやって行くと、結局ストレスフルなんですよね。うん。
 ところが、ここに拠点があって、面白いことがあったらヒューッとここへ旅して。…ロケーションですよね、ロケーション・ハンティングして。面白いねって言ってここでカメラを持って撮影して、面白いの撮れた、戻ってくるみたいな。ここで編集して番組作るみたいなことをずーっとやってたものですから。この移動して戻ってくる。移動して戻ってくることが結構ボクの中ではポイントなんだなーと思いました。そうするとまずポイントとして、この場所にずーっと居ると息が詰まっちゃうし。もう自分の中での…なんて言うんでしょうね、知的好奇心が飽きちゃう。で、ここからピューッと移動して、じゃあ今度ここでずーっと住めるか?って言うと、結局ここで住んでることと同じストレスみたいなものを持っちゃうんだなーと思った時に、ボクはやっぱりこう戻って、また違うところに居てとか、こっちに行ってとか、そういうことを繰り返してることが自分の人生にとって面白いことなんだなって。それこそ先週長野に行ってからも気付いて。そこからずーっとつらつら考えてたんですけど。あ、そうなんだな…と思いました。
 だから今ね、ここに、海の街に拠点がこうありますよね。で、あって、そこでこう…そこに篭ってるわけでもなく…篭ってる時もあるんですけど、なんかピッと出て、そこで人と出会い、なにかものを見、食べ、話し、読み、出会い…そういうものをやって自分の中でこの場所だけに居たんじゃ分からないこととの繋がり…こことそこの繋がり。この繋がりみたいなもので自分の知的好奇心ってのは一番ワクワクするんだなってことが分かったわけです。
 これは今、移動という物理的なことを言ってるけど、こちらにある情報とこちらにある情報のぶつかる瞬間のこうぐにゅぐにゅ〜っとなった感じの時の「ああ、それとそれって同じなんだ〜」とか「それとそれって全く違う考え方なんだね」とか。だから出会うことに意味があるんだなっていうか。出会うことが面白いんだなって思いました。

組み合わせの妙を楽しみ発信する

 ってことはですね、やっぱりある一つの拠点、拠点ってのは場所って意味もあるし、例えば研究の時に自分の分野、ジャンルに自分がぐぐっと居て、そこでこう深く深〜く考える、深く深〜く物事を作るってことは、ボクの中では…うん、退屈(笑) モチベーションが続かないんだなってことがちょっと分かったとすると、定点観測なわけですよね、つまりさっきの話しで言うと。固定カメラをずっと置いておいて。で、ずーっとずーっとその領域を定点で撮ってるからちょっと違いが現れた時にああここに不法侵入者がいたんだってことが分かるのが監視カメラ的な定点だし。ずーっと定点でモニタリングしてることで、ここの酸素濃度がちょっと濃くなったな?ここは何か今気が…酸素を供給してるんだな?とか、二酸化炭素が増えたってことは何か地球環境がおかしいんだな?とか、そういうのをモニタリングするために定点観測ってのは必要なんだと思うんですね。うん…それはねぇ、誰かにやってもらった方がいいかな(笑) って思います。それをやって頂いてる方にはすごい価値があるし、でもその人の結果の論文を読めば良いんだなって言うか、なんかそう言う風に思ってしまったなー。
 だからなんかね、それこそ何週間か前に話した英語が出来ないって話しをした時に、自分のコミュニケーションの、雑なコミュニケーション、緩いコミュニケーションを日本語能力で長けてしまった手前、超論理的に英語で書くことが出来ないって言ったんですけど。厳密に言えばやれば出来るのかなとやっぱり一周回って思います。ところがその厳密にやって、厳密に汲み取って、それをまた厳密な英語で表現するっていうのには、やっぱりボクのスキルじゃ足りないって意味では、スキルをつけるためにやっぱり何ヶ月、何年も勉強しなきゃいけなくて。つまり英語という領域で定点観測しない限りボクの英語は上手くならないわけですよ。
 という様な時に、じゃあ曖昧な感じで海外行って、マックに行って、マクドナルド頼めて食べれるくらいの英語力でいいや、それ以上のものだったら通訳さん頼めばいいやとか、なんなら自動翻訳でいいやという風に割り切ってしまった上で、英語圏にも行くし、同様にフランス語圏にも行くし、イタリア語圏にも行くし、中国語圏にも行くみたいなことで、色んなところを旅してる方がボクは性に合ってるのかなってことが分かったって言うかね。
 で、その時にね、カメラを携えて来てるわけですよ。で、カメラを携えて撮影する。で、撮影したものをやっぱりこう…アーカイブ。レコーディングしたものってことですよね、つまり。で、それを自分の拠点にまた戻って来て、それとそれの…じゃあミラノで感じた映像と、パリで感じた映像と、マルセイユで感じた映像と、上海で感じた映像と、みたなものをぐにゅぐにゅぐにゅぐにゅ…それは物理的に編集、エディティングするって意味もあるし、自分の脳内、ブレインの中でエディティングして行くとすると、自分の中で、なんかその組み合わせの中で何かが生まれてくる時の興奮。ああ、それがボクの中での知的好奇心なんだなーって思った時に、その…じゃあミラノとパリと日本にいるボクの組み合わせの中でのワクワク感みたいなものって、たぶん研究で言うと研究にはならないんだと思うんですね。ボクがこう感じたんだって言う…うん、ボクと言う角田陽一郎というのが研究対象だって言うんだったら若干出来るかも知れないけど。こう言う風に考えるタイプの人で…みたいな。そんな研究は人類にとってそんなに価値がないことなので(笑) 研究されないとするとですね、ボクは研究するわけじゃなくて、研究…極論すればA点で研究されたものとB点で研究されたものとC点で研究されたものとっていうものをぐにゅぐにゅぐにゅぐにゅ自分の頭の中に入れて、オールジャンル、で、自分の中で組み合わせの妙を楽しむ。それを発信するってことの方が自分には向いてるんだなってことが…向いてるし楽しい。ってことが、なんかすごい分かったなーって思うと、今日のテーマで言うと研究者になれない自分って言うか。研究者になるのを諦めるというか、敗北宣言かも知れないですね。

定点ムリは職が限られる

 だからそれこそ2019年からね、大学院に通って。自分はもう研究者という肩書きも…だから今自分のTwitterとかにはね、バラエティプロデューサー・文化資源学研究者っていう風な肩書きで行ってますけど。研究者にはなれないですね。うん。自分の能力だとって言うか。自分の能力と、自分のタイムマネジメントと、自分のスキルマネジメントで言うと。モチベーションマネジメントで言うとというか。それよりもぐにゅぐにゅぐにゅぐにゅどうミックスして行くか?みたいな。コラボレーションして行くのか?というか。そういうことの方に興味があるし、やって行きたいんだなーっていうのが分かったって意味では、研究者になれない自分への挫折感と言う意味での挫折と、なんて言うんだろう、腹が括れるというか、自分がやらなきゃいけないことはこういうことなんだ、だから専門領域で攻めるって言うのは自分の中では無理だなって言う。専門領域を厳密に、厳密に厳密に書き記して、ロジック、ロジック、ロジック…みたいなもので、その研究領域に風穴を開けるみたいなことは…ムリ!(笑) ってことが分かったんだなーなんて思います。
 で、そう考えた時にね、もう去年、自分の父が亡くなったんですけど。父が若い頃とかね、なんかボクが将来何やるんだ?みたいな時とかに「お前は研究者には、学者は無理だな〜」とかってずーっと言うわけですよ。で、自分的には分かんないわけですよ、何で学者がムリなんだよ?この親父はオレのこと言うんだよ?!って思ってたんですけど。まあコツコツやらないじゃんみたいなこと言われてて。まあ確かにコツコツやらないけどさ、結構学問好きなタイプじゃん、と。じゃあ出来んじゃないの?というか、やりますよ!みたいな。やってやる!とか思ってたりもしたりして。でね、期せずして親父が去年亡くなった年に修士論文を書いたって言う意味ではね、「ほら!親父、研究者になれるじゃん!」みたいな。なれるように頑張るよ!という風にちょっと思ってたりもしてたわけです。
 そこから半年(笑) 研究者になれないですねぇ。ってことは結局親父はボクをよく分かってたんだなーなんて思いますね。でもね、その定点観測出来ないみたいな悩みって、研究者にもなれないとも言ってるけど、突き詰めると会社員にもなれないんですよね。事務員にはなれないですよね。同じ場所で事務するの嫌ですからね。あとお店を開くみたいなのも無理ってことですよね。定点ですもんね。だから定点ムリっていう話しって、すごい職業は限られるんだなってことがまた分かるわけです。定点観測ムリだもんな。だからサラリーマンもほとんど出来ないんだなってことも分かりました。
 だからサラリーマンやってる時も、よくロケとか行くバラエティ番組とかやってたみたいな。で、そんなに会社にね、自分の席にいなくて。いつも上司に軽い嫌味を言われるみたなことを結構繰り返して来ましたけど。でもそれでも行かないみたいな。だって居ると息詰まるんだもん!みたいな。うん。それこそね、インテリジェント・ビルってのはね、窓が開かないですからね。で、開かない窓のことをはめ殺しって言うじゃないですか。はめ殺しですよ?みなさん、はめ殺し。誰が殺されてるんだって話しですよね。その中の人ですよね。ボク本当に息苦しくてですね、ダメだなって思ったわけです。だからもう、何で会社辞めたんですか?はめ殺われたくないから!みたいなところとかあったと思うんです。
 じゃあ一方で、さっきの話しで言うと、ずーっとずーっと、ぐるぐるぐるぐる、根な仕草のように場所も決まらずにぐるぐる回ってるってのもやっぱりボクの中では無理だという。行く、帰ってくる、みたいな。その行って、記憶して、記録して、帰って来て、それをどうエディティングして、自分の仕事…それは書き物かも知れないし、映像かも知れないし、もうちょっとビジネス的なものかも知れないけど、そこに発信して行くのか?みたいな。そこに価値というかがあるんだなってことにすごい気付かされるわけですね。

可能性は減っていく

 うん…これをね、でも気付かされたってのはすっごい面白いですね。なんかね、と言う意味で英語を本当にこの4月からちょっと本格的にやってみて、自分が本格的に出来ないんだって気付いた挫折感みたいなものってすごく意味がありますね。
 あのー…、ボクね。26歳、結構ショックだったんですけど。あの、ほら、何歳になったらショックみたいなのあるじゃないですか。30歳になったらショックとか、40歳になったらショックみたいな。ボクね、26歳になったとき結構ショックだったんですけど。何でか?って言うと、確かボクサー…今は知らないですけど、当時ですけど、ボクサーがプロになれる年齢は26歳までなんですよ。ってことは26歳になったらプロボクサーになれないんですよね。で、別にボクはボクサーになりたかったかと言うとなれないし、そもそもなりたくもないんだけど、その事実を知った時に、実際26になった時に、あ、もうボクはプロボクサーになれないんだなっていう。
 つまりそれまでは、25歳まではもしかしたらあらゆる職業に就ける可能性があったわけですよね。ところが26歳になったときにボクサーという職業にはなれないんだなって時に、あ、可能性が1個減ったんだっていうこと。それってすごい寂しさみたいなのを感じたんですね。で、そこから27歳になり、28歳になり…って、どんどんなれるものが減ってるわけで。で、私は今50歳で研究者になれるかなーなんて思ったんだけど、研究者になれないですね…っていうような意味で言うと、あと英語使いにもなれない。英語で論文を書けるほどのアカデミック・ライティングが出来る人間になるっていう能力というか余地もこの瞬間に消えました…はい消えた〜、みたいな。だから人はどんどんやれるものって減って行くんだなってことは、まあ薄々感づいてはいたんですけども。それでも努力すりゃなれるんじゃないかな?なんて思ってやってたわけですね…うん、、、研究者にはなれないですね。あと英語使いもなれない。プロボクサーにもなれないけど。で、たぶんお医者さんとかにもなれないじゃないですか。弁護士とかにもなれないかな。なれないと言うか、厳密に言えばなろうと思えば頑張れるっていう意味では英語使いはまだなれるかも知れないし、研究者はなれるかも知れないし、弁護士だってなれるかも知れないし、医者は相当難しいかも知れないけど頑張れば出来るかも知れないけど、それもモチベーションマネジメントと(笑) スキルマネジメントと、一番はタイムマネジメント、この3つが自分には無理って考えると色んなものになれないんだなってことに気付く、と。

無くしたことに気付いて築く

 うん、でも、気付くってことは…気付くってのはだからファインドみたいな意味で気の付くで気付くみたなのはあるけど、【築く】建物を築くみたいな意味の築く。気付いたことで築けますよね、自分の人生が…って言うか。自分のこれから、よりやらなければいけないことは何か?みたいな。こっちの領域は減った、こっちの領域は無くなった、こっちの領域は無くなった…ってどんどん無くなって行くわけですね。無くしていってるとも言えるし。さっきのモチベーションマネジメント的な意味で言うと。うん、さあ、腹は決まったぜって言うようなところで言うと、自分はやっぱり自分という拠点にボク、私、角田陽一郎というのがいて。それは多分日本であり、じゃあ海外に行かないか?って言うと、行きますよ。行きますけど、やっぱり海外に住むなんてことはもうないんだなって言うか。結果的に住んでないけど1年くらい居ましたとかはあるかも知れないけど、そこに新たな拠点を作って構築するという手間があるならば、今あるところを拠点にどう自分というのを旅して…戻って来て…、みたいな。この往復運動みたいなものを繰り返すその中で自分が何を[気付/築]けるか?気付いて、そして築く、ね。建築するか?の方の築く
…なのかなーなんてことを…思ったってことかなー。
 う〜ん、これはなんかすごい…だから、ぅーー…喪失したって意味ではすごい凹む話しですよね。喪失感満載の話しですよね。喪失したって意味ではすごい喪失感満載の話しなんだけど。失ったことで分かったことがあるというかね。だから何て言うんでしょうね…余分なものの整理ってのともちょっと違うんだよな。研究者にならない、なれないんだなって割り切った上で、その研究領域について自分がどうコミットするか?みたいな風に考えた方が、考え方の筋道としてはちょっと見えてるってことかも知れないですよね。

カメラを持って思考を移動する

 これどうなんだろうな?いっつも…今ちょっとふと思ったんだけど、これも60数回喋ってますけど。こういう感じで自分の思いを喋ってますよね?これって皆さんそれぞれの方もそれぞれの思いがあるわけですよね?その中でボクなんかより若い人でも、ボクと同い年でも、ボクより年上の人でも研究者って方は沢山いて。その方達ってのはどう思われてるんだろうなー。やっぱり研究のところで定点観測…いや、定点観測じゃないんだよ!お前の認識が間違ってんだよ、角田!ってことかも知れないですよね。もしそう言う風に思われてる研究者の方がいたらちょっと教えて欲しいなぁー。いや研究ってそんなもんじゃないぞって。
 そんなもんじゃないって言うんだけど、その領域の論文をどんどんどんどん深めて読んでいかないと研究にならないじゃんみたいなところがやっぱり、特に文系の学問なんてのはメインどころだとするとね。とは言ってもね、う〜ん…違う領域に目移りしたくなっちゃう浮気性な自分っていうか。浮気って言うと…浮気っていい意味で浮気ってことかなぁー?浮ついてないとダメなんですよ、ボク。根なし草じゃないと。ぅ〜ん、だからくっ付いてるとね、退屈なんだなー、やっぱりなー。退屈だし窮屈。束縛されてる感じがする、その学問領域…その領域に。その領域のことはうん、知ってる、分かってる、分かってるけど今違うことやりたいんだよ!みたいな。で、その違うことをやるってことは、今はその元々やってる学問領域を忘れてるわけじゃなくて、そことの接続を楽しんでるだよって言う。う〜ん、この感覚ね。まあ、浮気なんだな。本気ではなくて…というか。…本気か?浮気か?みたいなことかな。
 でもね、そのカメラをぐるぐる…カメラを動かしていたいってのは、なんかボク、それこそね、ちょっと1個なるほどなと思いました。ボクそんなにカメラを持って何でも撮影してやるぞ!ってタイプのディレクターでもなかったので。テレビの時はね。なんかね、そんなにドキュメンタリー肌の人間ではないんですね。と言う意味ではなんかある1個の場所でゲームみたいなものをやって面白い、みたいなことが面白いと思ってるバラエティタイプの人間だったけど。だからってじゃあスタジオにずーっと篭ってなんかひとつのゲームをやってるような、ゲーム番組みたいなのは退屈で退屈でしょうがなくてね。で、それってクイズ番組とかもそうなんでね。だからそう言う意味で言うと番組のフォーマットというのは決まってるのがすごい嫌な人間でしたね。だからやってた「さんまのスーパーからくりテレビ」なんてね、いつもコーナーが違ってて。そのコーナーでどう見せて行くか?みたいなのは、いつも毎回違うことやってたし。「金スマ」なんてまさにそうですね。何の企画も決まってなくてみたいな。EXILEさんとやった「EXILE魂」ってのもそうだし。それから「あいまいナ!」なんて深夜番組はザキヤマさんとやってましたけども、本当に毎回毎回がスペシャルみたいな。毎回が毎回がスペシャルみたいなことってさっきの企画みたいなことで言うと、ひとつの定式化した企画の中に固定カメラでいるのがやっぱり嫌だったんだな。やっぱり思考が移動して、そこにカメラを持って移動していくということに自分の面白さがあるのかなーなんて思いますね。

瞬間瞬間を楽しむための最適化

 うん。面白いですね。その1年前とかは全然違うこと言ってた気がするな。半年前でも違う。この4月からの博士課程に行って、ちょっと変わりましたね。それまでの修士課程の時はなんか大学の授業を沢山受けてて、すごい面白かったんだけど。でもそれって色々受けてて、専門領域意外も受けてて、勉強になったなーなんて思いながらも、どう専門の方にフィードバッグしようかなーみたいな風に思ってたんだけど。今は自分の専門の方にフィードバックしようかなーという思いを持っちゃうとむしろそのフィードバック自体が退屈だなーなんて思ってるかな…みたいに思いますね。
 まあ、この自分の言ってることって、長所なのか短所なのかって言われたら、圧倒的に短所のような気もしますね。やっぱりひとつのところに篭って作品を仕上げるとかね。何かを突き詰める…ってことがボクにはやっぱり出来ないんですね。その瞬間、その瞬間に違う場所に行って、、あ!旅です!だから、旅!旅先でとりあえず美味しいもの食べられればいいやとか、何となくどんな手を使っても良いからそこのマニアックな、レアな、なんかチケットでも手に入って見れたら良いよなーみたいな。そういうその場当たり的にその瞬間その瞬間をどう快適にして行くか?とかね。上手く行くようにやるか?ってことをやり続けてるのがバラエティ番組だとして。一方でね、映画とかみたいなのは緻密に作って行く。
 で、ボクは緻密に作って行くのすごい憧れてるわけですね。いつも適当にやってるから。うん、適当にやってるってのは…適当っていい加減って意味での適当もありますけど、最適化してるって意味の適当かも知れないです。それをずーっとずーっと、その瞬間その瞬間にやってるから、長期的には、本当に長い目で見たら、それが最適化されてたかどうかは分かんないよなーなんて思いながらも、それに明け暮れてた人生なんですよね。それをやってるうちに、そっちの方が…そっちの沼に住んでる方が、水の…なんて言うんだろうね、心地良さが自分にはまっちゃってるようになっちゃったのかも知れないですね。
 いざ1個のことをググッとこう作ろうぜ!って思うと…作りたいなーなんて思ってますよ?英語で論文書きたいと思ってますよ?ひとつの研究をビシッとやって、その一線級の学者になってみるみたいなこともちょっと思ってましたけど。…ぅん、根気が続かない。うん、根気が続かない。もうこれからも色んなことをやり続けようかと思います。だからバラエティプロデューサーって肩書きもね、自分で名乗り始めて。名乗ってるのボクだけなような気がしますけど。他にもいるのかな?分かんないけど、名乗り続けてて。でも研究者ってなったら…うん、なんかそう言うことよりも研究者みたいな名乗り方に変えようかなーと思ってたけど、うん、違いますね。これはもう名乗れないですね。…ってことが分かったってのが今日のICUC知的好奇心向上委員会かなーなんて思っております。
 はい。そんな感じでございますが。さて、えー、またこの考え方がね、ちょっと経って変わってたら面白いですけどね。なんか、まあ、適当にやっておこうってことです。うん。適当ってさっきも言いましたけど、良い加減って意味もあると言う意味ではいい加減にやっていきます。旅先のようにね。旅の恥はかき捨てとも言いますしね。まあ恥かかないようにはしようと思ってますけど。…って言いながら、その適当ってのはその瞬間その瞬間をどう楽しむか?ってことに最適化して行くみたいな。その瞬間その瞬間ってのはその場所って意味もあるし、その時間って意味もあるし、まさにその存在そのものとして…という意味もあります。
 はい。また来週よろしくお願いいたします。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 角田さんはお水が好き。植物か。温泉も大好きだけど、自分も水でありたいんだろうし、水で例え話をすることが簡単そうに見える。渦も「氵」だし。水=自分に、時間も場所も種類もバラバラの拾ってきた欠片を混ぜ込む。あれだ、お風呂に入れるアヒルみたいな感じで、浮かんでたり沈んでたり色々。水が透明だと欠片繋ぎがよく進むし、濁ってると動きにくい。冷たい時も熱いときもある。
 研究者、定点観測は動かないことが大事なので、絵に描くなら三角や四角でどっしりしたものを描くだろう。そこから妄想していくと、根なし草な冒険者はアメーバ状な気がする。ちょっと怪しい未知の物体。どんな場所=入れ物の形とも合わせられるから水と似てるけど、水はバシャーッと溢して終わりにならないために実は入れ物=拠点が必要なんじゃないか?ニュートラルに戻すところ。
 不便に見えるし、何者にもなれないようにも見えるけど、氷にも蒸気にもなれるからバラエティ。結果やっぱりバラエティに戻ってきた感じ。

 実は今回はこれから文字起こし。初めての手順。何回かやってみる予定で、一番印象に残ったことを書くのか?単純に最後のことだけ覚えてるのか?ちょっと興味がある。今までの順番だと視聴→文字起こし→メモ書き。実際は文字を起こし+検索+メモ書きで、ぐるぐる感を文字起こすからか、こちらもぐるぐる起こし。さあ今週も起こす。

──文字起こし後↓──

 定点の対義語は検索すると…無かった。じゃあ動点か?と思ったんだけど、動点で検索すると中2数学と出て来る。なるほど、点の方が動くから…。ならばと定と点それぞれの反対語を検索すると、定:変/揺、点:面/滅/線。変面/変滅/変線/揺面/揺滅/揺線。滅は無いとして…「定」は観測者が反対側に移動しても観測点は変わらないし…観測者の心の移ろいだから「揺」だな。「点」は面か?線か?A×B、BはボクのBで、×Cもあると面になり広がって行くという話しはぐるぐるに巻き込む話しと近い話しだから、じゃあ揺面だな。定点観測の反対は揺面観測にしよう。ということで、妄想したけど別にどこにも使わなかった。

 研究者兼教育者の話しは自分の中でほんのり反発感があった。たぶん教えることこそ逆に教えられるって話しを聞いたからだ。食えないから仕方なく兼業的に教職じゃなくて、教えることも研究の大事な要素にしている人がいると思いたかったのかも知れない。私自身は教えることで教わったと感じたことはないし、感じるかもとも思えないけど、教わることで相手に何か返してみたいのかも知れない。
 反発と書くと大袈裟だけど、引っかかる何かはしばらく大事な考え事になるから、これは大事にお取り置きしよう。

 ”極論すればA点、B点、C点で研究されたものを頭の中に入れ、頭の中の組み合わせの妙を楽しむ。”料理でつなぎって材料がある。蕎麦に山芋とか、ハンバーグに卵とか。角田さんは「ひと・もの・こと」のつなぎ。角田さん自身が繋ぎだったり、最適な繋ぎを持って来たりする人。ということが言えるかな?

 一般財団法人日本ボクシングコミッションのサイトより。【新人ボクサーの受験資格はプロテスト申込み時に満34歳まで】2007年に年齢制限の上限が29歳から32歳に変更されると、2016年にはさらに上限が上がって現在の34歳となり、下限も17歳から16歳へと変更されたとのこと。志願者が少なくなったから枠を広げたらしいと書いてあるところもあった。少子化か。
 年齢とともになれるもの、出来ることも減って行く。青春、春とは青、春は始まり、青には未熟という意味も含まれる。別の理由なのに青写真も青なのが面白い。伸び代は生きてるだけで消化されていく。伸び代の代わりに脂肪を消化して欲しい。
 たぶんだけど、ほとんどの女性は子供が産める年齢かどうかを気にしたことがあるんじゃないか?私は子供が欲しいと思うことはなかったけど、それでも産めるなら産んだ方がいいのか?と、どちらかと言うと脅迫的に考えるさせられることはある。この話しが面倒なのは閉経はもっと後だってこと。40を超えてから閉経までは産めるっちゃ産めるがどうだろう?期間だ。諦めるという背中の押され方が必要なことだってたくさんある。

 喪失したって意味ではすごい喪失感満載の話し。でも失ったことで分かったことがある。なんか男女の話でそういうの聞いたことある。”何でもないようなことが幸せだったと思う”的な。
 そして浮気。本気じゃない。ある人曰く「自分のことを一番よく分かってるのは妻で、居てもらわないとダメ。居るから安心して遊びに行けるんだ」と。一旦別居するとなった時は少し空元気に見えた。不安定で未完成な彼は、まだ女遊びが出来るだけの自由を持っていると思いたかったんだと思うし、若さ以外の武器を持っていなかったということかも知れない。
 浮つくだけでは生きられないのかも知れない。”土から離れては生きられないのよ”的な。失うことでもし空いた部分が埋まらないようなら、そこに伸び代があったと思って大事に埋めていこう。

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