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ICUC#023(篭って週間#017)2020.7.19【言葉というかなしき鋭利なモノ】

今週ものんびりと知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書
『海馬 脳は疲れない』池谷裕二・糸井重里著(新潮文庫)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
017「言葉というかなしき鋭利なモノ」
かなしいことばかり起きます。そのかなしさを言葉で伝える困難さについて、想うことを話ました。もしよかったら、ご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容
・寝起きなのと元気がないのと
・深く入るは深く沈む
・昨夜のつぶやき
・無自覚に闘いを挑む人
・行動で暗示をかけたり気分を捨てたり
・それはお尻のおでき
・ロゴスというメスで切り裂く
・言葉でも麻酔をかけろ
・行動は回復する一つのきっかけ
・制御と被制御の転換
・作り手が脳、批評が指先のかすり傷ならば
・メスを入れることは正義か?
・刃を向けて渡さない
・やると決めるとなんとかなる
メモという名の私の感想


寝起きなのと元気がないのと

おはようございます。角田陽一郎でございます。ICUCの7月19日分を収録してしております。
寝起きなのと、そんなに元気がないです。悲しい事件がたくさん起こった、世界的にも日本的にも僕的にも。まあ色々あるんですけど、色々あるからyoutube動画とか撮るのもどうか?なんて思いながら撮ってます。

色々考えたんですけど、本当に悲しいことは喋らないだろうと思う。でも悲しいことがあった事実がある。だったら朝起きたてで髪の毛もちょっとパチャっとしちゃってるそんな感じでyoutubeを撮影するということで、ちょっと自分が明るくなったらいいなみたいな、そんな思いもあって撮影していますので、これを見ている方がそんな暗いのなんで見なきゃいけないんだ?!みたいに思われてるなら本当に申し訳ないのでございますが。

深く入るは深く沈む

調子のいい時だけ喋って調子が悪い時は喋らないというのも生き方としてあるけど、これは一応毎週撮ろうと決めたものだから、レコーディング、アーカイブという意味でも"自分の気持ちはこうなんだ"ということを喋るのもありだと思うし、本当に今週は色々あって自分の思いや考えが深まったものもあれば、深く入ったことでちょっと沈む気持ち…深く入るということは沈むということですから。何か世界のからくりみたいなものがちょっと分かったと思うと、それはそれで、分からず生きているのが良かったんじゃないかなんて思ったりする。

そんな気分の1週間で、逆に言えば話すことはたくさんあった。たくさんあったけど、フランスのナントの大聖堂が火事になったことは僕の中ではダメ押しでした。ノートルダム大聖堂が燃えたときや首里城が燃えたとかはすごいショックだった。世界が壊れていく感じがしてしまう。あとちょっと一緒に仕事した方が亡くなるとか、すごい悲しい。これからがすごい楽しみな方だったんじゃないかと思うんで、本当に僕みたいな部外者がどうこう言うことではないけど。自分にも色々あり、色んな人が色んな瞬間に色んなことを感じているんだと思っている。

昨夜のつぶやき

だから昨日の夜、そんな思いで呟いちゃったことがあるんですけど…今探しますね。パソコンで撮ってるとこれがパッとできていいですね。僕はいつも140字満々で呟くことが多いんですけど昨日は、
「かなしいことばかり起こるなあ。」
って呟いちゃったんですけど、その次にまさに140字満々ぐらいで呟やいたことは
「何が何でも闘いや勝負じゃ無いんだよ。人は皆多かれ少なかれ生きてくだけで手一杯なんだよ。自分が傷付いたって言説で、相手を傷つけたりとか。相手の言葉使いには過敏なくせに、自分の言葉使いには鈍感だったりとか。誰もが完璧な言葉使いじゃ無いから、誰もが言葉を大切にするしかないのだよ。」
と。

無自覚に闘いを挑む

どういうことかというと、これは僕が個人的に思ったこと。
世界で色んなことがあるけれど「何が何でもた闘いは勝負じゃないんだよ」というのは無自覚にということ。俺は闘い挑んでんだ!って人いるし、相手との関係性において相手を打ちのめしたい、打ちのめすことで自分が有利になる、それを意識的にやる場合もあり、なんでそんなことするのかとも思うけれど、まあ気持ちは分かります。

無意識的にやる場合があるというのは、例えば僕が何かやったこと、書いた本、作ったものがあり、ダメなところをダメ出しされることがあるとする…ありますけどね。当然ダメなところを指摘している言葉は言葉としてまず正しい。その方がそう思った、思っているクオリティに達していないってことは事実だから「私は事実を言っている」ということなんです。ただそれは対象者がやっぱり居るんです。今言った例で言えば僕みたいな。

昔はSNSがなかったから、そういう人が思ったことを本人が目にすることがない、限りなく少なかった。タレントさんで言えばファンレターを書いて事務所に送るぐらいしかなかった。ただそれも事務所の方がこの書き方は酷いな、本人に見せるのやめようって、たぶん見せなかった。仮に超有名人で、たまたま喫茶店とかに入り、隣で自分のこと喋ってて、悪口言われてたみたいなことで知るってことはあったかもしれないけれど。

行動で暗示をかけたり気分を捨てたり

良くも悪くも増長できたんじゃないですか?自分の作品やパフォーマンスの欠点は指摘されるまで気づかないことはたくさんあるけど、指摘されなくても分かっていることもたくさんあって、そこを指摘されるとやっぱり凹んで色々できなくなる。
そうしたら「いや、そんなことない」と、ちょっと自分に暗示をかけて ━いま僕がこのyoutube撮影をしている気持ちとほぼ一緒。気分がどよーんとしてあまり話したくないけど、youtubeで話すという行為でそんな気持ちもちょっと晴れたり、ちょっと整理されるのではないか?なんて思って僕は今喋ってると冒頭に言ったけど━ 同じようなことが何か作品を作る、生み出す、行動するって時に、このどよーんとした気持ちを行動することで捨てることができるのではないかと思ってやってる人は結構いると思う。

他人の言葉が図星、あるいはただの悪口とか、言葉の強弱みたいな、深い浅いみたいなものはあると思うけど、それが自分に覆いかぶさってくると、やっぱり人というのはそれが深いものなら深いものでグサっと刺さるし、浅いものなら浅いものでかすり傷なのかも知らんけど。指先の擦り傷って結構気になりますよね。それで命の別状はないかもしれないけど、やっぱりちょっと痛くて、その日書こうと思った文章でキーボード打つの嫌だなとか、なりません?

それはお尻のおでき

お尻のおできってそうだと思う。ただおできが出来ただけなんだけど座るとかなり痛かったり、座ることができないと座り作業はほとんど出来ない。もしかしたらその浅く傷つけられるというのは、お尻におできが出来るようなことなのかと思う。大したことではないけども、その人の活動、行動、作品作りにはすごい支障をきたす。

だから僕がTwitterで何が何でも戦いや勝負じゃないんだよと言っているのは、戦いや勝負を挑んでいる人に言ってるというよりは、そういう他人に対しての言葉や態度が、人は一人では生きていけないから巡って当人に来た時に、当人のお尻のおできになるんだってことかと思うわけです。

じゃあどうすりゃいいんだ?!みたいな話もあるんけど、皆それぞれ強くなるって言うのは一つの解決策だと思います。ただね、アレルギーのようになっちゃってるのかな。昔も変わらないだろうけど、SNSがないから単純にそういうものが近くに来ることが確率的に少なかっただけで、人の言葉で傷ついて苦しんでる人っていうのは、何千年も何万年も前からあったんじゃないかと思います。

ロゴスというメスで切り裂く

だから言葉、ギリシャ語でロゴスって言うのはすごいものなんです。ロゴスがあるから多分人は考える事ができるし、意見や想いを他人に伝えることができる。それと同時に、その分鋭利なものを持っているので傷つける。だからなんと言うか、分析するとか分解するとか、ロゴスが論理的にするってことは基本的には分解することで、分析するってことは分け入るってこと。つまり分け入るってことは傷つけるってことなんだと思います。

手術ってのはメスで体を裂くからその中の悪性のものを削除、治すことができる。メスで切り裂くってことは傷つけているということでもある。逆に言えば、傷つかないと手術はできないということ。仮にその人の活動、行動、作品に悪いところがあったとして、手術しないままだと病んでしまう、治らない。

だから手術が必要なものにはやっぱり手術した方がいいという意味では、言葉というメスで身体を切り裂くということをやっちゃ駄目とは言えないでしょう。身体、組織や社会もそうかもしれない。そこに病根があったならばそれを取り除くか、少なくともそこの闇みたいなものを切り裂くことで公になる。それを除去、治すために言葉というメスで切り裂くんであるならば、切り裂いた痛みというのは伴う必要もあると思う。

言葉でも麻酔をかけろ

それを手術のメタファーで言えば、痛みを感じないように麻酔をかける。切った後ちゃんと縫合する。つまりメスで切り裂いたなら、悪いところをちゃんと指摘した上で縫合までするって事が必要。はい切りました、終わりです!じゃないと思う。全てを手術のメタファーに重ね合わせることはできないから、じゃあこういう時はどうなんですか?とメスが飛んできても困っちゃうんだけど。

ただ、これをこんな風に話してると、なんか言葉が飛んできたから角田さんはなんか元気ないんですねってことでもそんなになくて。そんなになくていっていうのは、飛んできたらすごい悲しいけど…、僕はぼかして喋ってんだな。SNSで広まり、かすり傷を死ぬほど体験する事が増えた。死ぬこと以外はかすり傷ではない。色んな事が死まで行ってしまう傷になる可能性はあるって事をです。

行動は回復する一つのきっかけ

冒頭で喋ることで回復…、"かいふく"っていうの腹を切る方の開腹じゃないですからね(笑) 今腹を切る方の"かいふく"の話をしてたから言葉的に似ちゃうんですけど(笑)

回復する一つのきっかけは自分が行動することなんだというのは、今日この本をお勧めしようなんて全く思ってなかったてすし、もう読まれた方はたくさんいるかもしれない。数年前にベストセラーになった「海馬」。脳の専門家の池谷裕二さんと糸井重里さんの対談なんですけど、18年も前の本。

海馬って僕も全然知らないですけど。明るくなれる脳の話、失敗や失恋が頭を良くするって帯にも書いてありますけど、この本読んで僕が圧倒的に変わったこと。例えば朝は眠くて起きの辛いじゃないですか(笑) 朝起きるの辛いなー、なかなか起きれないなーってなった時にどうすればいいか?ってことが書いてあったんですよ。
どうすればいいかって、どうすればいいと思います?(笑)
朝起きれないときはですね、、、、起きるんですって(笑)

制御と被制御の転換

これけっこう発想の転換だと思うんです。朝起きれないときに起きるとは、脳の方が身体よりちょっと遅いってこと。脳の方が後付け。だから起きれないと思ってるから起きれないんだけど、起きてしまえば脳が起きたと思うから起きれる。脳のほうが騙されやすい。だからまず身体を動かしてしまえば脳は起動するということが書かれている。

素人的には脳というのが身体の全てをコントロールしているからこの指もこう動くと思ってる。そういうものなんだけども、今度は指から脳にフィードバックして、それが海馬なのか分からないけど、行って戻ってをずーっと繰り返してる。とすると、繰り返しによって脳の方も当然変わるってことだから、実は自分の身体を動かすということで自分の脳も変わるんです。

作り手が脳、批評が指先のかすり傷ならば

この身体を動かすと脳が変わるというのは個人という意味でも、たぶん社会でもそうなんじゃないかなと思う。社会の場合、脳をどう定義するかと考えれば一つは政府みたいなもので、社会の下々の者はもしかしたらこの指先だったりすると、指先で何か起こったことが脳に関係ないかというとやっぱり関係ある。

むしろ今の話で言うと、指先で起こったことが脳にフィードバックして脳に影響を及ぼすことはあると思う。だから自分が下々の者だから関係ないということにならない。
仮に作り手が脳だとすると、指先はその作品に出会って感想を言っている人。作品に感想を言っている人がかすり傷をつけると、そのかすり傷は脳の方にやっぱり影響して、ちょこちょこっと傷ついていく。

メスを入れることは正義か?

その傷ついていくことが良い方向にいけばいいですよね。さっき言った手術みたいなことになり、ああ自分の悪い所を炙り出してくれたんだ、改善するための一つのきっかけになったんだというなら、ある意味、美しいというか素晴らしいことだと思うのだけれども。傷は痛いですからね、やっぱりね。痛みは伴うものかもしれないけど、痛いのは嫌です。じゃあ痛いのなんか気にせず、そのまま病み続けろっていうことなのか?と言われてしまったら、分からないです。

人生なんて70年80年、そんな風に思ってるけど明日死ぬかもしれないとも思うと、本当に本当に大した時間じゃない。その大した時間じゃない中で、仮に自分に病根があっても生きていけるならそれでもいいやって考え方もあります。それってウィズコロナと言っていることとちょっと似てる。そうするとウィズ病根みたいなこともあると思ったときに、あらゆる病根を全部きれいさっぱり洗い流すために、がさがさとメスを入れることが果たして正義なのか?

刃を向けて渡さない

昨日はお茶の女子大学国際交流フェアで、生活哲学学会で講義をする者として呼ばれて喋ってきた。ご一緒したのは東京画廊の山本豊津(やまもと ほず)さん。なんだかんだで7、8年、適度にお会いして面白いお話を聞かせて頂いていて、昨日はアートと遊びってテーマで話したんです。大学だから若い子もいて、色々質問がくるとそういうところに響くんだと分かってすごい楽しかった。

そこで僕が「説明が長くなっちゃうからしないとして、こういうふうに生きればいいじゃないですか?」って言ったりすると、頭のいい子たちで瞬時に理解してくれて、さらに僕が言ったってことに対して自分が思っていることと違ったところがあって質問がくる。でもぜんぜん失礼な感じじゃない、つまり全然メスではない質問がくる。これはこういうことでいいんですか?と2、3回質問してきた方がいらっしゃった。とても理解して下さってるし、すごい頭の良い方なんだなと思った。

講座終了後にちょっと談笑したとき、僕が言ったことを信じなくてもいいんだよと言った。それってなかなか難しいことですよね。だってそういう講演会で喋ってる人がこう言ってるんだから、それで生きるべきか?

「それは僕が生きてきてそう思っていることだから、あなたの考えと合わないこともあるし、本当に合っているかも分からないし。だから「ふむふむ」って聞いといて、なるほどこのおっさんいいこと言ってるなと思ったら丸付けといて、ダメだと思ったら別にそれは自分は関係ないやって思ってりゃいいんだよ」

「ちなみにあなたの質問のところのここはこうで、時間がかかるから説明しなかったけど、実はこういうことなんだ」と言ったら、ああなるほどってなったんで分かって頂けたから、むしろ嬉しかった。

言葉という武器、ロゴスという鋭利なものに対する僕ら人類の扱い方という意味で言うならば、まず切られる方はそれを全て切られているいるのかと思っているとやってられないので、そうでもないんだぐらいに思うことがやっぱり必要なんじゃないかと。気にしないみたいなこと。一方、その言葉を使う側からすると、自分は他意がない、軽く指摘したとしても、やっぱり言葉という鋭利なものを使うんだから、家庭科で習ったと思うけど、少なくとも包丁を相手に渡す時には刃を向けて渡さないみたいな、そんな気の使い方はすべきなのではないかと思います。

やると決めるとなんとかなる

僕はこうして話してて、やっぱり話してると海馬じゃないですけど、やっぱり、うん、ちょっと元気出てきます。実際、先週はいいこともたくさんあったんですよ、本当に。それこそ豊津先生との久しぶりの対談とか面白かった。だから今度 2人で youtubeライブとかやってみるかと思って。月いちくらいでやってると何か面白いことになったらいいなぁなんて。

豊津さんとは何かやりたいなと思いながらも、実際やるとなると制作費は?とか、時間を合わせるの大変だなんて思ってたから、やろうやろうなと思いながらずっとやってなかったけど、それもさっきの"海馬"の朝起きる話とちょっと似ていて、やると決めるとなんとかなるもんだなと思って。

やると決めれば、ちゃんとルーチンになれば、それが落ち込んでいようが明るかろうが、こういう感じで僕も今喋ってる訳で。つまり思ったらやる、早めにやる、やるということで間違ってたことにも気づかされる。
やっぱりやらないと間違ってたことも分からない。だからってそれをやってない人にやれよっていうのはちょっと違う。やるのは自分なので、その人がやらないとやらないんです。

やるモチベーションは色々あると思う。やりたくないけどお金もらえるからやるも含めて。ただそんなものばっかりだとね。それこそやる=生きるだとすると、生きている意味もないかもしれない。その辺はやっぱり自分が生きるということを、何をやってあるいは何をやらなくて、相手のやっていることに対して自分がメスなのか?ナイフなのか?あるいは絆創膏なのか?みたいなことを考えて、言葉というものを使っていくということしかないのではないか、なんて思って今日もICUCを終わりにしたいと思います。
はい、ということですいませんこんな感じでしたけど。またよろしくお願い致します。


メモという名の私の感想

「海馬」の内容紹介がずるい!
あんまりずるいと思ったので載せておきます↓

「自分の頭は十分に使われていない」と感じたことはありませんか?頭をうまく使えなかったゆえに、損な目に遭ってしまったこと、ありませんか?あなたの脳のチカラは生かされないまま眠っているかもしれません。どんな年齢であっても、「脳は使い尽くせる」と気づきさえすれば、才能はいくらでも伸ばすことができるのです。自分は「カシコくない」と思ってしまっている人、必読です!!

買っちゃうじゃん。文庫で安くなっちゃっててさ、これ絶対買っちゃうじゃん…(ポチ済)
ジル·ボルト·テイラー著「奇跡の脳」を読んだけど、脳の話って面白い。とにかく一筋縄で語れない。最近放送されたNHK人体では脳が身体を一括コントロールではなく、臓器同士がホルモン(情報伝達物質)で互いに情報交換し合ってると言うから、かすり傷は全身に影響する、きっと。
私は朝起き上がると気持ち悪いこともあるから、最近は足をバタバタ動かしてるんだけど、もう少し起き上がれる方法を探してみよう。死ぬまでに爽やかに起きてみたい。

今回の文字起こしは初めての方法で文字にしました。
YouTubeに字幕自動生成があったことを思い出して。やって良かったか?というとまあまあ。一緒くたにコピーされるタイムコードの除去の手間があるし、聞きながら誤字を直すのに結局一時停止せざるを得なかった。次週はどうしよう?

それから今回の工夫。
見出し多くした。角田さんの話は私のスマホで8行前後で区切れることが多いのは知ってましたが、ふた区切りくらいで話の核が動いていく気がしてたので、ふた区切り目安で見出し作成。これで全部読まなくてもどんな話だったか振り返りしやすくなる?いや、見出しつけセンスも問われるなこれ…。
ちなみに同じように話してると感じても、文字にすると伝え言葉と喋り言葉って言えばいいのかな?喋り言葉、最近の状況とその状況に対する気持ちを話してる部分は区切りにくくて大変だったりすることも。

味、粋、風情、情緒、侘び寂びなんてのは傷じゃないかな?
傷を負わざるをえない立場になった自分と、傷をつけた相手の関係性が良ければ、いい傷跡になる気がする。傷は傷なんだから負うのも負わせるのも少ない方がいいと思うけど、傷付きの美学ってあるかも。
歌にもあったけど、ありのままを愛してもらうことを欲するご時世なんだろうな。それが叶わないのか、叶った実感がないのか、主張するときは妙に刺々しかったり、生々しくなったり。どうなれば実感を持てる人が増えるんだろうな。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
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(by 角田さん)

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