評価するときに対比しているものを腐す必要性はないよねっていう話

自戒を込めて。

こんなご時世ですが金曜日にちょっとした集まりがありまして、その時のお話。

テレビで日本対セルビアのサッカーの試合が流れてて、それを見ているときに、そこそこアルコールも入って出来上がっているAさん(学生時代サッカー部)が突然、

ワールドカップとかトヨタカップ(今でいうところのクラブワールドカップね)に日本とかアジアの雑魚はいらねえ。Jリーグとかそんなんもクソだ。


みたいなことを言い出した。要はレベルの高いサッカーが見たいという主張。
別にそれはいい。海外のサッカー(彼にとってはおそらくCLの決勝トーナメント常連組レベルのみを差しているんだろう)と日本のJリーグの上位同士のレベルの差もわからんではない。純粋な競技の上手さというか、そういう部分だと確かにそうだと思う。理解はできるし納得もできる。

でも別にそれを言うときに日本代表とかJリーグを下に見る発言せんでよくね。海外のサッカーは面白いよね、でいいじゃん。

自分はJリーグの中でもJ3とかJFLの、日本人に聞いても知名度20%もないだろうっていうようなチームの本拠地に出かけてそこでのんびりとした試合(※)を見てその空気を楽しむのが趣味の一つだから、めちゃくちゃ気分が悪くなった。でも同時に、自分も無意識でそういうこと言ってることってきっとあるんだろうなあとも思った。

彼の言いたいこともわからんではないのよね、ほんとに。でもそれって楽をしているだけともいえるのかなと。何かをよく言いたいときに比較対象を持ち出して、それを下げることで相対的に上にすることって表現においてとても楽。

でもその比較対象が好きな人も世の中には絶対的にいるわけで。そうでなければそもそもその比較対象は存在し得ることができない。そこに対して意識をすることが大事なんだろうなと思った。

本当に自分も気をつけようと思う。好きなものを語るときには、好きなものを間接的に評価するのではなく、そのものを直接評価しよう。

それならばみんな幸せだ。


※のんびりとした試合という書き方をしているけどそこには昇降格だったりいろんなものがあることは、めちゃくちゃ十分に理解しています。そうでなければこんな記事は書きません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?